1
翌日、朝食を胃袋に詰め込んだオルヴェたちはアリシアの提案で出発前に冒険者ギルドの会議室へ集まっていた。 ……マギニアの冒険者ギルドの建物には会議室がいくつか備え付けられており、冒険者ならいつでも利用可能なのだ。 主に作戦会議などに使われるようで、常に満室気味なのだが今日みたいな朝早くだと空室が目立つ。 「それじゃあ昨日見つけた遺跡……『|東土ノ霊堂《とうどのれいどう》』についてだけど」 「東土ノ霊堂?」 聞き慣れない単語を繰り返すメンバーに向かってアリシアはウィンクすると、『古代文字大全』と表紙に書かれた何冊もの分厚い本──恐らくは昨日図書館で借りたそれらを机の上にドカンと置いた。 「階段の近くに文字があったの、遺跡の名前だと思って調べておいたわ」 「わぁぁっ! アリシアちゃんすごいよ!」 「フン、あれくらいの古代文字なら一晩あれば解読できるわ! ……んん」 「アリシア寝てないのか?」 「こ、これくらい大丈夫よ! それで東土ノ霊堂についてだけど、この地図を見てくれる?」 オルヴェにあくびを指摘され少し赤くなったアリシアが次に取り出したのは綺麗な羊皮紙に写された東土ノ霊堂の地図だった。 南の細い通路を通って中央広間から四方八方に向かってクモの足のように広がる入り組んだ道は見ているだけでも目が痛くなりそうだったが、ある一部分から道を記す線が途切れていた。 「……〝北側のエリア〟がまるっと未踏破でしょ」 「昨日はライカちゃんを見つけてすぐ帰ってしまいましたからね」 つまりこの先に、とエドが地図の空白をつつくとアリシアの唇がにっと弧を描く。 「ええそうよ。恐らくこの未踏破区域に〝なにか〟が隠されていると私は予想する」 「お宝か先への道か……どちらにせよ調べる価値は十分あるな」 自信ありげに言い放つアリシアと珍しく前向きな事を口にしたヴィーザルの言葉に一行は大いに湧き立つ! 謎の遺跡の先にあるのは新たな迷宮への道か、あるいはマギニアの探し求める秘宝か。 冒険者としてこれ以上の喜びと名誉はない。 「よし! 東土ノ霊堂を一番最初に踏破するのはオレたちアルゴノーツに決まりだ‼」 オルヴェは胸に燃え盛る熱意のまま雄叫びを上げて勢いよく立ち上がると腕をテーブルの中心に突き出し、仲間たちも少年の手に自身の手を重ね合わせる。 昔から五人揃って何かをやる時の儀式のようなもので、顔を寄せ互いの瞳を確認し合った若者たちは探索が上手くいくように腕を高く掲げた。
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朝早く訪れた東土ノ霊堂は相変わらず人の気配というものがなく、ホッと胸を撫で下した冒険者たちは昨日ライカが待っていた広間を越えると真の前人未踏のエリアを歩きだした。 東土ノ霊堂の北側は植物の侵食が激しくほぼ森のような様相を呈しており、木々と遺跡の間から降り注ぐ朝日の中で足音だけが木霊する。 更に奥では肉食コアラやマッスルフライといったおなじみの顔ぶれだけではなく、この島の生態系ピラミッドの頂点に位置するであろう狼にも遭遇した。 その度にオルヴェたちは剣を構え、信頼できる仲間に背を預けて戦闘を切り抜ける。 二時間ほど探索を続け、少し開けた部屋で小休止を取っていると不意にヴィーザルが肩を小突いてくる。 「なんか臭くないか」 「……確かに」 彼に促されオルヴェも鼻を動かしてみると確かに鼻の奥を貫くような鋭い異臭を感じる。 ……血でもなければ武具の匂いでもない、霧吹きスカンクのものでもない。 奇妙な刺激臭は遺跡の奥から漂っているらしく、オルヴェたちは鼻を覆って前へと進み、やがて数十分も経たないうちにアルゴノーツの前に石の扉が現れる。 扉の隙間から異臭が流れてくるのだが、それと同時に部屋の奥から物音が聞こえるのだ。 「……」 「大丈夫だって、なにがあってもオレたちならきっと勝てる」 不安げに俯くエドの肩を叩きオルヴェは彼らしい楽観的な言葉を述べる。 ……アルゴノーツのリーダーであり英雄になる為にもオルヴェはこの先に進まなければならない。 恐怖と好奇心を天秤にかけたアルゴノーツは顔を合わせて頷く、そしてリーダーのオルヴェは固く強張った身体に思い切り力を入れた。 ……冒険者たちが目にしたのは自分たちの背丈の数倍はありそうな巨大な花を背負った異形の魔物だった。
3
「なによ、あの生き物……⁉」 見た事のない魔物にアリシアは思わず驚愕の声を上げるが咄嗟に口を押えて壁際に寄りかかる。 「この遺跡のヌシか……」 遺跡のヌシ、というヴィーザルの言葉にオルヴェは固唾を飲む。 冒険の最後に待ち受ける魔物は強敵なのだと様々な御伽噺にも書いてあったが、今の相手はドラゴンでもなければ邪悪な魔法使いでもない。 ……人間一人は簡単に飲み込めそうな赤い花の口、瞼の無い赤い双眸、二本の巨大な蔓の先端には肉食動物のような顎を持ち、漂う重圧は息苦しくて仕方がない。 異形の魔物は広間の奥でぐるぐると同じ場所を行き来していたがやがてピタリと動きを止める。 「あの魔物、なんだか変だよ?」 「どうしたんでしょうか」 両手のような触手を含め背中から更に緑の蔓を空中に伸ばし始める。 まるで人間が首を回して辺りを伺っているように。 そのまま蔓を空に這わせ続けていたが不意に身体の向きを変え──赤い目がオルヴェの青い目を確実に捉えた。 「! おいみんな──」 オルヴェが仲間を庇おうと走り出すのと魔物の背中のツボミが大きく膨らむのは同時だった。 一瞬にして部屋中に黄色い花粉の煙がぶちまけられ、オルヴェたちの視界は異臭漂う黄色に包まれる! 「うわっ‼ なにこれ、離して!」 「アリシアちゃん‼」 「っ何が起きてやがる⁉」 魔物どころか互いの顔すら見えない中、不意に風切り音が響き咄嗟にオルヴェは身を引く! 直後丸太のように太い蔓が煙の中から飛び出しすぐに潜ってしまうが、尾のように振り回す触手についていたのかオルヴェの方へ生暖かい液体が散る。 ……頬を拭ってみると、親指に付いていたのはまだ鮮やかな赤い血液だった。 悲鳴を心配する声に仲間を呼ぶ声、パニックとあちこちから噴出する音の濁流に飲まれ、最早誰の悲鳴なのか理解する事すら困難だった。 「なんだよこの煙、クソ、お前ら大丈夫か⁉」 オルヴェは心の中で悪態をつくと剣を握りしめ、剣先より少し先しか見えない煙の中を射殺さんばかりに睨みつける。 ……このままみんなやられて自分だけが生き残るなんてオルヴェ自身が一番許せなかった。 (来るなら来い……! オレが相手になってやる!) うるさい心臓を黙らせるように歯を食いしばり辺りに意識を集中させる、オルヴェの全身は何とか魔物に一太刀入れようと殺気立っていた。 「敵影観測。パターンB、守護獣。制限を一段階解除、一般市民及びB級以下の戦闘員の退避を要求」 ──不意に知らない声が頭の中で響き、狭まりかけた視界が一気にクリアになる。 「誰だ⁉」 「接続対象。人間、該当IDなし。シャットダウンを実行……データ破損によるエラー発生。不明なユニットと接続します」 男のようにも聞こえるが人間とは思えないほど熱のない声は語り続け、オルヴェが周囲を見回しても世界は黄色に包まれて自分以外は何一つ見えない。 再度誰だとオルヴェが問おうとしたその時、剣に亀裂が走った! 「うわっ⁉」 オルヴェの驚愕が恐怖に変わるよりも早く、亀裂は瞬く間に数を増し剣は青白い光を放ちながら花粉の煙を吹き飛ばす! あまりに激しい光の濁流に怯えて飛び立つ鳥の羽ばたきが四方八方から響き、動物だけではなく魔物たちも光から逃げようと遺跡の外へと駆け出し、遺跡のヌシは蔓で顔を覆うと部屋の奥へと縮こまる。 無論、蔓から解放された仲間たちも突然の閃光にその場で立ち尽くす! 剣の〝外側〟が剥げていく度に輝きは強さを増し、次第に広間から霊堂全体を包み込むように全てが照らされ──。 「……ぅう」 ──どれだけ経っただろうか、収まり始めた光の中心にいたオルヴェは痛む瞼をゆっくりと開ける。 ……しっかりと握りしめていた石の剣は溢れ出た蒼色の光がそのまま形になった美しい剣になっていた。 鋭く尖った両刃の中央や翼型の鍔には金色に輝く星のような装飾が施され、円型になった根元部分の翠の宝玉は生き物の鼓動のように淡い明滅を繰り返す。 確かめるようにひと振りすれば光の帯が剣の先から流れ出し、ずしりと手に馴染む感覚も重すぎず軽すぎない。 ……何よりも、剣が真の姿を現してからオルヴェの先程まで震えていた足はしっかりと大地を踏みしめていた。 「オルヴェ、それって……」 「分からない、だけど……!」 深呼吸をすると早鐘と汗が静かに引いて、胸の中にはある一つの感情が湧き上がる。 強い意志をもって恐怖を克服し守るべき信念の為に立ち向かう。 蒼き光はまるで夜空の一等星のように心に火を灯す。それは──。 「やるんだな」 固い足音を鳴らし短剣を構えたヴィーザルがオルヴェの隣に並び立ち、オルヴェが頷くと自信ありげな目つきで魔物を睨みつける。 続くように各々も盾や槍を持ち立ち上がり、眼前の魔物は抵抗する気の獲物たちを威嚇するように地面に向かって蔓をしならせるが今のオルヴェたちには通用しない。 「……みんな、アイツを倒すぞ!」 剣の柄を握りしめると吸いつくようにピッタリと手に収まった直後、オルヴェの全身が蒼く光り輝き始めた! 「くらえぇぇっ‼」 最初に戦場に躍り出たのはオルヴェだった。 魔物の蔓の攻撃を間一髪で回避し、稲妻のように方向転換を繰り返しながら魔物に接近する! だが動きがあまりにも単純すぎるのか魔物の身体には剣先が掠めるだけで肝心の攻撃は全く当たらない。 ……迫りくる触手を避け忌々しげに魔物を一瞥するオルヴェの脳裏に一つの策が浮かび上がる。 突然動きを止めた獲物を逃すはずもなく、魔物の一際太い一対の触手が槍のように少年の身体を貫こうとする! 「ふっ‼」 腹に刺さる直前、オルヴェは角になっている壁を蹴っ飛ばして座標をずらし、壁に突き刺さった二本の触手を踏みつけると更に高く飛び上がる! そして落ちる勢いと蒼い光を剣に纏わせ魔物の赤い花めがけて思いきり剣を振るう! ──が、ギリギリ間に合った魔物の太い触手に渾身の刃は受け止められてしまった。 まだだ、と握りなおした剣が太い幹に沈み込みオルヴェは思わずバランスを崩してしまう。 ……転落するオルヴェが見たのは、魔物の触手に剣を突き立てている〝自分〟の背中だった。 地面に音を立てて落ちてヴィーザルに回収されたオルヴェと違い、〝剣と同じ蒼い色をしたオルヴェ〟は魔物の動きに合わせて地上に降りるとオルヴェと仲間たちの前にゆらりと立つ。 「オレ……なのか?」 「……」 「! ちょっと!」 オルヴェと違い無表情の〝蒼いオルヴェ〟は質問に答える事なく魔物を見据えると先ほどのオルヴェと同じように魔物に突撃した! 彼の素人らしからぬ動きと剣技は瞬く間に小さな触手を切り捨てながら魔物に肉薄する! だが魔物側も学習したらしく少年の通りそうな場所を的確に狙って触手を振り下ろし、周囲に近づけさせない。 (もしかして〝攻撃〟したいのか? ……何とかしないと) 「オルヴェくん──あの子、助けよう!」 「……そうだよな!」 オルヴェが走り出すと同時に白髪の少女が隣に並ぶ。 生き物ではない獲物に加え、二匹の獲物が飛び出してきた事で自然と魔物はオルヴェたちに意識と触手を向けざるを得ない。 そのままイリスたちは前へと踏み込み〝蒼いオルヴェ〟を庇うと彼に向かって伸びる触手たちを陽動する! オルヴェが大きな蔓を一刀両断し、彼が仕留め損ねた触手をイリスが『シングルスラスト』で一気にぶち抜く! ……こちらの意図を理解したのか〝蒼いオルヴェ〟は単身の突撃をやめると魔物の隙を伺うように周囲を走り出した。 「──させないっ!」 その背に向かって魔物が殴りかかろうと掲げた緑の蔓は星術によって凍りつく! だが有効打ではないのか魔物の触手はすぐに身体を解いて別の触手を出現させ、アリシアはもの言いたげな顔で鼻を鳴らす。 「冷たいのが気に入らないなら……これはどうかしら⁉」 アリシアは前衛で戦うイリスたちに目配せすると、先ほど凍らせた片方の触手──氷柱が命中したポイントを狙うようにもう一度星術を叩き込む! だが今度はじわじわと凍らせる氷ではなく、もっと速く鋭い『雷の星術』が命中し魔物は焼けるような痛みに触手を跳ねさせた! 二、三発と星術や剣、盾の攻撃が続き、最後に先ほどアリシアがぶちまけたエーテルと霊気を槍に乗せたイリスが跳躍し魔物の傷口を貫くと魔物は激しい閃光と焦げ臭い匂いを漂わせながらのたうち回る。 「やるなお前ら! ……ん?」 ──不意にオルヴェの周囲が暗くなる。 嫌な予感のままに首を上げると頭上から巨大な蔓が振り下ろされようとしていた! すぐに逃げようと駆け出したオルヴェの足首に大人の腕ほどはある触手が絡みつく! 「あぐぅ⁉」 切り捨てるよりも早く触手はそのままオルヴェの足首があらぬ方向へと捻られた! 激痛に膝をつくオルヴェの頭上では既に避けられない距離まで緑の壁が迫っていた! 「オルヴェくんっ‼」 その時、転がりながら飛び込んできたエドはオルヴェの腕をぐっと掴んで盾の後ろに引き込むと両腕に装備した盾で蔓の衝撃を受け止める! 受け流して直撃は避けたものの厚い鋼が軋む音にオルヴェは仲間の名を呼んだ。 「っエド! その怪我は⁉」 「大丈夫! さっきやられたやつです!」 エドは額から垂れてきた血を拭うと、煩わしいと言わんばかりに頭に巻き付いた蔓を前髪ごと引きちぎって行けと肩で指示した。 オルヴェは巻き付いた固めの蔓を足首の支え代わりに少し長めに斬って、前衛で一人戦い続けるイリスと〝蒼いオルヴェ〟の元に駆けつける。 「足大丈夫なの⁉」 「これくらいなら大丈夫だ! それよりも……」 少年の視線の先には相変わらず触手を避け続けながら〝蒼いオルヴェ〟が一人戦っていた。 ……そろそろ攻撃に移りたいのか段々と魔物との距離が近づいてきており、その姿は何となく一発で決めたいようにも見える。 「隙が欲しいのか」 低く冷淡な声に振り向くと、どこに潜んでいたのかヴィーザルが立っておりオルヴェと〝蒼いオルヴェ〟の顔を交互に眺める。 隠れながら攻撃を続けてくれていたが、やはりヴィーザルもこのままではいつまで経っても戦いが終わらないと悟ったのだろう。 「うん! あっちのオルヴェくんが攻撃したそうだからわたしたちで援護してたんだけど上手くいかなくて……」 「ヴィーザル、いけるか?」 「……射線に入るなよ」 二人の言葉を聞いて少年は面倒くさそうに頭を掻くが、手には既に毒を塗った短剣が握られていた。 ヴィーザルが闇に隠れたのを見計らい、最初やった時のようにオルヴェとイリスは壁際を走っては魔物に攻撃を繰り返しどんどん部屋の端へと引き付ける! だが魔物も壁の破壊跡に何かを思い出したのか急に方向転換すると間逆の方向──アリシアたちの方へと走り出した! 「ッ‼」 瞬間、赤い目めがけて何本もの短剣が投げつけられた! そのうちの一本が眼球を掠め、魔物の視界を一気に暗闇が支配する。 『盲目の投刃』によって盲目状態になった魔物は闇を払うかのように身体を左右に振り回して暴れだすが、正面にいるのは占星術師《ゾディアック》と聖騎士《パラディン》。 エーテルの炎と鋼の盾が植物の身体を瞬く間に弱らせ、纏わりつく獲物を追い払うと振り下ろされる触手には剣と槍が突き立てられ魔物は石畳の上に縫いつけられる! 「いっけぇぇぇ‼ 〝オレ〟ぇぇぇっ‼」 そして〝蒼いオルヴェ〟は一筋の流星となって動けなくなった魔物に渾身の刃を振るった! 「──‼‼」 蒼の一閃が魔物の身体を何度も走り、遅れて赤い体液が吹き出した直後、魔物の左の巨大な触手を根本から切断する! 片腕をもがれた魔物はガラス窓を何枚もぶち破ったような声で絶叫した! 魔物は狂ったように身悶え広間の中で暴れていたが、体液が流れ出るにつれ段々と動きが鈍くなって……やがて魔物は前のめりにぐったりと倒れ込んだ。 「……倒したの?」 アリシアが星術器を下ろすとオルヴェたちもゆっくりと各々の武器を下ろした。 ヴィーザルとイリスは倒した魔物に恐る恐る近づくと検分を始め、やがて首を振って笑みをこぼし、一行はやっと肩の力を抜く。 「勝ったぞーーっ‼」 「まぁ当然の結果よね」 「あーー……怖かったぁ……」 その場で飛び跳ねて喜ぶオルヴェに静かに顔を緩めるヴィーザル、喜び方は違えどアルゴノーツが互いの無事に喜びを噛み締めていると〝蒼いオルヴェ〟の身体が陽炎のように揺らめく。 ……役目は終わったとでも言わんばかりに、〝蒼いオルヴェ〟はアルゴノーツの目の前からも霊堂からも姿を消してしまった。 光の粒子となった自分の姿に手を伸ばしたオルヴェにアリシアたちがそっと寄り添い、オルヴェは剣を握りしめてゆるく顔をほころばせた。 結局正体は分からずじまいだったが、それでもみんな無事に生きて帰れたのだ。 「……それじゃあミッションを報告しに──」 ──魔物の蔓がピクリと動いた。
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「……それじゃあミッションを報告しに──」 ──魔物の残った蔓がピクリと動く。 危ない、とヴィーザルが口を開くよりも速く触手は鋭く一気に伸長した。 「え……な、んで」 ……オルヴェには先ほど後ろから聞こえた潰れた果実のような水音が何なのか、目の前の幼なじみたちの顔がなぜ一瞬にして凍りついたのか、すぐには理解できなかった。 何があったのか聞きたくても声が出ない──息ができない。 みんなの方へ行きたいのに身体が動かない──動けない。 生花の匂いに混じって錆びた鉄のような匂いがする──熱い。 じわじわと下腹部から焼けるような熱が広がる──痛い。 いやだ──痛い! みたくない──痛い‼ 「ぁ……」 オルヴェの腹にぽっかりと開いた大穴からは、青い鎧とチェインメイルを貫通して赤錆色の鋭い蔓が突き出ていた。 まるで鞘から剣を抜くかのように太い蔓がオルヴェの腹からずるりと出て、脱力した身体はそのまま血塗れの地面へ倒れ込む。 ……少年の背後では立ち上がった花の魔物が冒険者たちを嘲笑うかのように一本だけ残った太い蔓と無数の蔓が蠢いていた。 「……っこンの……雑草がぁぁ‼」 顔中に青筋を立てたヴィーザルが魔物へ切りかかった瞬間、魔物の背中の花が一気に膨張し広間に花粉の嵐が吹き荒れる! 「がはっ‼」 「ヴィーザル……ぐっ‼」 花粉の爆発的な勢いで吹き飛んだヴィーザルをエドが受け止めるも、花粉の生臭い酸味が口腔に広がった途端に腕に力が入らなくなりヴィーザルを受け止めた盾ごと床へ倒れ込む。 「いやっ、いやぁ! オルヴェ返事して!」 「アリシアちゃんダメ!」 「オルヴェが、オルヴェがぁ……‼」 黄色の煙の奥に掻き消えたオルヴェの方へ半狂乱になって駆け寄ろうとするアリシアをイリスが羽交締めにして止める。 ──オルヴェは死に、ヴィーザルとエドは倒され、力が抜ける花粉の中残った自分たちだけで逃げるなど、例え死ぬ気で頑張ったって無理だ。 (どうしようっ……わたし、どうすればいいの⁉) (オレの冒険……おわっちゃった、のか) さっきまで熱と痛みに満たされていたオルヴェの身体は蔓が抜けた途端一気に温度も感覚も失い、アリシアの絶叫もヴィーザルの発狂も魔物が動く振動も、今ではくぐもった小さな音にしか聞こえない。 冒険の終わりへの絶望も、友達を死地へ連れてきてしまった自分への憎しみも、うっすらと浮かぶ後悔もすぐに熱を失い、底のない泥の中へ沈められるような暗く静かな感覚がオルヴェの世界を塗りつぶしていった。 (……あ) 魔物が身動ぎ、オルヴェの目の前にあった毒霧が晴れる。 その隙間から見えたのは魔物を前にどうする事もできず、立ち尽くしていた仲間たちだった。 ──瞬間、オルヴェの胸の中に去来する走馬灯が消し飛んだ。 (させるか、絶対に、あいつらに、手出しは、させない……!) 今の自分は剣を握っているのか、そもそもまだ腕が付いているのかも分からない。 それでもギルドのリーダーとして、自分の夢に付き合ってくれた友達として、まだ生きている仲間たちを助けるまで斃れるわけにはいかない。 けれども内臓の大部分が流れ出た身体は糸の切れた人形のようにピクリとも動かず、瞼は鉛のように重く、オルヴェの冒険の終わりは刻一刻と迫る──はずだった。 (……彼らを助けたいですか?) 薄れる意識の中、蒼い自分が出た時と同じ無機質な声がオルヴェの頭の中で響く。 (誰、いや、幻聴……?) (時間がありませんので手短にお伝えします。貴方の選択肢は二つ。ここで全滅するか、条件を呑み仲間を救うか) (……) (私の頼みを聞いて頂けるのなら、この状況を打破する力を与えましょう) (お前の頼みを聞けば……アリシアを、ヴィーザルを、イリスを、エドを、救える?) (勿論) ……オルヴェの筋肉がまだ生きていたのなら歯を何本もへし折るほど食いしばり、濁った青い瞳は目玉がこぼれ落ちそうなほど見開いただろう。 暗くなる意識の中、今すぐ仲間たちの元へ駆けつけて魔物の背中に剣を突き立てる、その意思だけを頼りに必死に世界へしがみついていたオルヴェにとって取引を迷う理由なんて一つもなかった。 (……やる、なんだってやってやる! だから──力を‼) オルヴェの胸の中で戦意とも殺意とも取れる戦いの炎が燃え上がり、声の主がわずかに口角を上げた気がした。 「──契約承認。プロトコル:アシモフを解除し、生命維持転換処置を実行」 「……オレの、仲間に……‼」 そして静かな声がもう一度聞こえた瞬間、オルヴェの全身から失われた力が一気に溢れだした。 生き残った冒険者たちを仕留めるべく魔物が巨大な蔓をしならせるよりも速く、黄色の毒煙から文字通り弾丸のごとく飛び出した〝無傷の〟オルヴェは花弁の中心めがけ光り輝く剣を全力で一閃した! 「──手を出すなぁぁぁっ‼」 『‼⁉』 背後から、しかも急所に渾身の不意打ちを突き立てられた魔物は悍ましい悲鳴を上げ、血濡れの石畳の上でのたうち回る! そこからオルヴェは楔のように更に奥へ剣を押し込み、振り落とされないよう全力で魔物の身体にしがみつく! 「オルヴェ⁉」 ……もちろん、突然のオルヴェの出現に驚いたのは魔物だけではなかった。 なんせ、さっきまで〝死んでいたはずのオルヴェ〟が鎧は傷ついたままなのに〝生き返った〟のだ。 「この……! うわっ‼」 しばらく魔物にしがみついていたオルヴェだったが、流石に耐えきれず魔物の身体から勢いよく振り落とされてしまう。 「オルヴェくん! 君、なんで生きて……」 「っよく分かんないけどオレは大丈夫!」 「どこも痛くない⁉ 怪我は!?」 「痛くないし元気! だからまずはアイツを──」 手当をしようとしてくるエドとイリスを抑えオルヴェが痛みに悶える魔物を指差すと即座に魔物の顔の前で火球が爆発した! 「⁉」 「言われなくても燃やし尽くしてやるわよ、オルヴェ!」 「アリシア!」 「クソ、心配かけやがって……後で殴る」 火球が発射された方角には星術器のリミッターを一時的に解除したアリシアと、彼女の補佐に回るべく短剣を構えるヴィーザルがオルヴェを一瞥すると魔物の前に立ち塞がる。 「うちのリーダーをよくもやってくれたわね……消し炭にしてやるわ」 アリシアがエーテルで出来た炎の塊で植物の魔物の全身を燃やし、矢のように飛び出す蔓めがけてヴィーザルは投げナイフで牽制し狙いを逸らす! 前半の疲労からか額に汗を浮かべ息を切らしながら戦う二人だが炎と刃の猛攻は鈍るどころか怒りによって更に鋭く苛烈なものとなっていた。 「させないよっ!」 更に手当を終えたイリスがヴィーザルたちの死角から突撃する緑の線を真っすぐ捉え、腰の両刃の大剣を片刃の片手剣に割って触手に投擲する! ヴィーザルたちに届く寸前で片手剣は触手の幹ど真ん中を貫き、触手はビクビクと痙攣しながら空中で止まりイリスは口角を上げた。 「やったぁ!」 「っオルヴェくん! 防御は僕たちがやる!」 両手の盾を防御に攻撃にと振り回しながらエドは全員の意見を代弁するようにオルヴェに向かって叫んだ! 「任せろ‼ うおおぉぉぉっ! どけぇぇっ!」 煙を突き抜け、魔物の触手を荒い身のこなしで回避しながらオルヴェは迫りくる魔物の猛攻を剣で受け切り払う! 魔物もまたあの〝蒼いオルヴェ〟を出されたら厄介なのかアリシアたちよりもオルヴェを狙う。 だがそれは炎による攻撃が素通しになる事を意味しており、オルヴェの胸や腹を蔓の槍が貫こうとする度に魔物の身体は強烈な攻撃に晒された! 崩れ落ちる魔物にオルヴェが剣を振り下ろした瞬間、宝玉から蒼光が放たれみるみるうちに鏡のようにそっくりな少年の姿を得る。 「行こうぜ、オレ!」 オルヴェはこれまでと違ってどこか勇ましい表情をした〝蒼いオルヴェ〟に向かって頷くと、同時に剣を構えて魔物に突撃した! ……魔物の視界にはこれまで一つの不愉快な光しかなかった。 蒼と翠の中間の色をした一閃が瞬く度に恐ろしい剣が蔓を裂き花びらを散らす。 一度は消えかけた〝それ〟が今度はなんと二つに増えているのだ。 視界の不明瞭な戦場は魔物だけではなくオルヴェたちにも有利な場所になっていた。 そして、遂にその時が訪れる。 〝蒼いオルヴェ〟が一度だけアルゴノーツの前に下り立つと剣を横に構える。 それは次で自分たちが魔物を倒す、と伝えに来たようにも見えた。 陽動や再度決まった投刃のチャンスを逃すまいと地面を蹴飛ばしたオルヴェ、だが不意に魔物が触手を大量に出して思いきり身体をひねり……アリシアたちが身構えた瞬間、魔物の巨体から身体を振っただけの暴風が繰り出される! 「!」 辺りに満ちていた花粉が吹き飛ばされ、トドメの為に跳躍した〝蒼いオルヴェ〟に向かって針串刺しのように大量の触手が貫かんと伸びる! 「……!」 だが〝蒼いオルヴェ〟は階段のように伸びてくる触手を斬りまくり、顔を貫かれても気にもとめずそのまま魔物の反撃を腹の真ん中に受けながら魔物の顔面に一文字の斬撃を叩き込んだ! 直後に〝蒼いオルヴェ〟は糸の切れた人形のように吹き飛ばされ壁に叩きつけられる! 一番手ごわい相手が光の粒子になって消える様に魔物は赤い目玉を細く歪めた。 残るは弱い獲物だけだといわんばかりに魔物は太い触手を冒険者たちに向かって一直線に振り下ろす! ……魔物の背後で大きな影が飛び上がった。 「オレは、こっちだぁぁぁっ‼」 大砲のような大声に反射的に振り向いた魔物はハエを払うように触手で──触手は地面の上だ! 咄嗟に身体の向きを変えようにもその動きを読んでいたかのように半身に炎の玉が焼き尽くす! 炎から逃れようと首を上げた魔物の視界が最後に映したのは蒼い刃と剣を掲げた少年だった。 残影が遺した顔の傷にオルヴェ渾身の剣を突き立てられた魔物は悍ましい悲鳴と体液をまき散らしながら暴れだす、だがオルヴェも指先が白むほどの力で魔物の表面にしがみつくと何度も鋼の牙で切り裂き続ける! 「倒れ──ろぉぉぉぉっ‼」 それでもなお暴れようとする魔物にしびれを切らし、オルヴェは喉奥に向かって思いっきり頭突きをお見舞いした! 「‼‼」 石頭という破城槌を急所にぶち込まれた魔物は一瞬全身を激しく痙攣させて硬直する。 ……やがて丸太のように太い蔓がだらりと地面に投げ出され、花のような足をぐしゃりと紙屑のように崩しながら魔物は自らの体液の上に崩れて落ちる。 唾を飲み込むどころか誰も息すらできない静寂の中、汁まみれのオルヴェがゆっくりと魔物の口から出てきた。 オルヴェは顔を拭うと花汁まみれの自分と仲間を数えるように見渡して立ち上がる。 何度も頭を左右に動かして周囲を見渡してもあの恐ろしい魔物の姿はどこにもなく、自分の背後に転がっているソレは間違いなく先ほどまで戦っていた魔物だった。 「……やった」 興奮冷めやらぬ呼吸のままオルヴェが小さく呟き、一行はその場に座り込んだ。 ……東土ノ霊堂の死闘をアルゴノーツが制したのだ。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第三話だよ!今回は第一迷宮『東土ノ霊堂』のボス戦まで。 新生『ラグナロクの覇者』では、このボス戦でオルヴェが死亡します。 旧バージョンとは大きく異なる展開になりました。 オルヴェの身に何が起きたのか、謎の声の正体は、その先は次回へ続きます。