消えたメガネを追って

ギルド『グランギニョル』:10/1(メガネの日)に間に合わなかったSS

低く生い茂るシダの葉を駆け抜ける四足の青蜥蜴、舌を出した必死の形相で逃げる理由は背後より迫りくる巨大な砲剣にあった。


「そっち行ったぞ!」

砲剣を振り下ろす青いオールバックの青年は逃げるロンギスクアマを植物ごと切り裂く勢いで原始ノ大密林を駆け抜ける。

……大量発生したロンギスクアマを討伐する依頼を受けたギルド『グランギニョル』は朝から原始ノ大密林で戦いに明け暮れていたのだ。


「ふっ!」

「てやっ!」

「!?」

仲間の死骸を踏みながら逃げるロンギスクアマに横の茂みから弾丸と剣を巻きつけた杖が勢いよく突き立てられる!

だがロンギスクアマは突然の攻撃に素早く反応すると身をひねって勢いを維持したまま宙へ飛び跳ねた!


「!!」

「はぁ!」

死の一撃を間一髪で回避したロンギスクアマ、だが直後に反対側の茂みから剣を持った冒険者がまっすぐ向かってくる!

短足四足歩行のロンギスクアマに空に浮いた身体を守る術など無く、無防備になった白い腹に蹴りがめり込むと悲鳴をあげながら吹っ飛んでいった!


吹っ飛んだロンギスクアマは大きく跳ねながら木や低木にぶつかり、偶然茂みの奥にいたメガネのメディック──アズキの顔面にクリーンヒットした!

「ぷげっ!!」


青色と赤色に滲む視界でアズキが最後に目にしたのは、よく見えないけど蹴りの跡がついたロンギスクアマのお腹だった。


「これで最後みたいですね!皆さまお疲れさまでした」

「うおっ!?と、トコ!流石にその、血まみれで来るのは衛生的に生理的に受け入れ難いっていうか」

「申し訳ございませんわ、まだまだ解体には慣れてなくて……精進いたします!目指せクジュラ様ですわ!」

「そう言うのじゃねぇんだけどなぁ……あとクジュラって誰だよ」


……最後のロンギスクアマも撃破し、積み上げられた死骸から素材を剥ぎ終わったファーマーのトコが皮はや尾が入った袋を掲げてアイスブルーの瞳を嬉しそうに細める。

そのままトコが青っぽいヌルヌルした体液まみれのまま寄って来るものだから、インペリアルのクラヒトは大柄強面な外見からは想像できない情けない悲鳴を上げて顔を引き攣らせていた。


「無計画に増えちゃってバカねぇ」

「……用は済んだし帰るぞ」

一方でまだ戦い足りないドクトルマグスのミコトはロンギスクアマだった肉を巫剣の先で突いたり並べたりしながら、緑色の瞳を子供みたいにキラキラと輝かせていた。

相変わらず悪趣味な仲間にため息をついたタケツグはその玲瓏な顔を呆れに染めて肩をすくめた。

……タケツグの言う通り依頼を達成した以上、最早この樹海にいる意味はない。


各々武具を軽く整えたり荷物を詰めなおしていると、ふとクラヒトはずっとしゃがみこんで動かないアズキに気がついた。

……そういえば、ロンギスクアマを殲滅してもあの場所からずっと動いていない気がする。


「アズキ?どうしたんだ、足でも挫いたか?」

不意に頭上から降ってきた低い声にアズキは丸い肩をぴくりと跳ねさせて少し固まるが、やがて困った唸り声をあげながら顔を覆っていた手を下ろした。


「あのね、メ、メガネを失くしちゃって……」

……そこにはトレードマークである赤いメガネが忽然と消えたアズキの顔があった。


「メガネぇ!?」

「うん。さっきロンギスクアマが飛んできて顔に当たって……その時に失くなっちゃったんだと思う」

「吹っ飛んだ……っておいタケツグ!どこに蹴り飛ばしてるんだよ!」

眉を動かしてオーバーに驚くクラヒトに対し少し恥ずかしそうにメガネのことを話すアズキ、彼女の童顔気味の丸い顔は吹っ飛んできた魔物が直撃しロンギスクアマ型に赤くなっており声も少し鼻声になっている。

……ロンギスクアマを蹴り飛ばした当の本人はそっぽを向いてアズキの方を見ようともせず、クラヒトの呼びかけにも応じることなく一人樹海の奥へと行ってしまう始末。


「メガネくらいならまた買えばいいじゃない、それでいくらなの?」

「ちょっとそれは申し訳ないっていうか……うわっ!」

さすがに仲間内でそんなに高価なものを奢られるのは、とやんわり断り立ち上がろうとするアズキだが、踏み出そうとした足を木の根に引っ掛けて思いっきり転倒した。


……目を丸くしながら手を差し伸べてくるミコトにアズキは自分が筋金入りのド近眼であること、メガネがないとマトモに歩く事もできないと告げた。


「というワケでボクってメガネがないと何も見えなくて……」

「まぁなんて可哀想!アズキ様、今日から私が貴方様の目になって差し上げますわ!」

「ちょっとトコちゃん苦しいってそんなに心配いらないって」

目の話を聞いたトコは驚愕に目を見開きすぐさまアズキに駆け寄ると、彼女の紫髪を撫で回しながらハグをかます。


「何も見えない?コレもか?」

「……流石に指くらいは数えられるけど、この距離でも既にみんなの顔は見えないかな」

ヘッドロック気味な抱擁にアズキが声にならない悲鳴を上げていると、興味津々といった様子のクラヒトが浅黒い指を二本立てて『いつもみたいに』見せてくる。

……メガネじゃない人って教える度にこれやらないと気がすまないのかな。

アズキはトコのヘッドロック寄りのハグとクラヒトのマンネリな質問からなんとか逃れて話を戻す。


「メガネは多分この近くに落ちてるはずだし、もし皆がよかったら探すのを手伝ってほしいんだ──いたぁっ!」

「あら、その状態で探すつもりなの」

自分もメガネを探すと言いながら木に激突したアズキにミコトたちは苦笑いを浮かべる。

……メガネを外すと身体能力が物凄く下がるのは何故なのか、アズキは後頭部を押さえながら悶えた。


「赤色のメガネですね、すぐに探してきますわ」

「でも今のアズキって何も見えないんだろ?付き添いに誰かいたほうがいいんじゃねぇのか?」

メガネを探しに行こうとするトコの肩をクラヒトは掴んで止める。

今のアズキは何も見えない、この状態で魔物に狙われようものなら何の抵抗も出来ないだろう。


「あ、大丈夫だよ!何かあったら呼ぶから、手間かけさせちゃってごめんね」

……メガネを探させた上に付き添いまで頼むのは申し訳なくて、アズキはクラヒトの申し出を断って大丈夫だよと笑みを浮かべてみせた。

クラヒトも断られるとは思ってなかったのかしばらく考え込んでいたが、やがてすぐに見つけてくるからなと言い残しトコたちと共に茂みへと足を踏み入れていった。



(さて、どうしよう)

つい、いつもの悪癖が出てしまったが改めて一人になると暗い静寂の中に取り残されたみたいでアズキは愛用する杖をぎゅっと握りしめる。


メガネのないアズキに出来ることはせいぜい残された荷物袋の番くらいで、アズキは無意識の人恋しさを埋めるように預けられた荷物の近くに腰掛けた。

膝と背中を丸めて小さくなった姿は原始ノ大密林で見かける紫色のウーズにも見えるし、もう誰にも見つけてもらえないと諦めてしまった迷子の子供のようにも見える。


(本当に何も見えないや……)

目を思いっきり細めたり思いっきり見開いたりしても、今のアズキの世界では光と影しか見えない。

原始ノ大密林の深い緑と土と樹冠から漏れる白い光、それが全てだった。

一歩でも歩けば転ぶかどこかにぶつかるだろうし、十歩も歩けばもう仲間たちと再会するのも難しくなるだろう。


だが目が見えない分元々感度の高い耳がたくさんの音を拾うので、アズキはあえて瞼を閉じて周囲に集中することにした。

……そうすれば胸の中に渦巻く不安感や見えない何かに対する疑問を払拭できるような気がして。


鬱蒼とした密林を飛びまわる鳥の声、ホイッスルのような音から心地よいフルートのような音を出す鳥もいれば壊れかけのクラリネットみたいな低音を出す鳥も。

一方で落ちた葉が積もって形成された地上からは虫の合唱が聞こえる。遠くで、あるいは近くからまるで楽器のような音が密林の暗闇に響く。

……彼らは一体どんな名前で、どんな姿かたちをしているのだろうか。

茂みから聞こえる葉擦れの音は仲間たちかそれとも魔物か、今のアズキに確かめる術はない。


ただ、垂れた蔦や高い葉がそよ風に揺れる小さく遠い音がまるで寄せては返す大きな波のように聞こえて、アズキは瞼の裏に見える密林の姿をした海の側でぼんやりと座り込んでいた。

耳から見える幻想の海は雨の降る前の地面と澄んだ密林の空気が混ざった生臭い香りを纏い、水辺とはまた違うじっとりとした生ぬるい温度は汗や気化熱となってアズキの細い首やもちもちとした頬を伝っていた。


「ん」

「わっ!!?」

突然両耳の上に冷たい棒状の物体が通過し、幻想から引き戻されたアズキは素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び上がった。

アズキが反射的に目をこすろうと手を伸ばすと指先に冷たく硬いレンズが触れる。


そのままゆっくり二三度瞬いて瞳のピントを合わせると、世界は正しい形を取り戻しており、目の前にはシダや枯れ葉にまみれたタケツグが折角の整った顔を無愛想なかたちして突っ立っていた。


「メガネを探してきてくれたの?」

「……うん」

目元の赤いメガネを指さすと、タケツグは居心地の悪い子供のように口をつぐんだまま首を縦に振った。

……どうやら先ほど何も言わずにいなくなったのはメガネを探しに行くためだったからのようだ。


レンズ越しに見える青年の姿は葉まみれで白く細い指先は黒っぽい土で汚れており、よく見れば魔物に襲われたのか頬のあたりに切り傷があったが彼が拾って来てくれたメガネには傷ひとつ無い。

……自分は怪我をしているのに。


「ごめ……ありがとう、タケツグくん」

申し訳ないような情けないような、でもやっぱり嬉しくて反射的に飛び出しそうな謝罪の言葉を飲み込んで、アズキは一つずつゆっくりと口にする。

多分彼は眉も動かさないし、何も言わないだろうけどそれが一番だと思ったから。

……いつも通りタケツグはうんともうすんとも言わなかったが、伏し目がちな白い睫毛が少しだけ上に動いたのをアズキは見逃さなかった。


「……その、悪かった」

玲瓏な声でぶっきらぼうに言い放つとタケツグはまたそっぽを向いてしまう。

アズキはそんな不器用な青年に少しだけ親近感を覚えながら、メガネが見つかったと茂みの仲間たちに向かって呼びかけた。

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更新履歴

・2024/10/02:CSSを更新 ・2024/08/02:第1版