1
「……以上が東土ノ霊堂の調査結果になります」
「ご苦労だった。汝らの働き、感に堪えぬ」
夜中に叩き起こされたペルセフォネは机上に並んだ報告書や地図、そしてミッションを成し遂げた忍び装束の冒険者を労うように笑みを浮かべながら報告に耳を傾けていた。
その身なりは昼間見た時からほとんど乱れておらず、鎧を脱ぎ髪を梳《くしけず》って眠る暇もなさそうな姫君に忍び装束の男──サヴァ・カーンは内心同情する。
……待つ間に盗み聞きした衛兵の話によれば、先程ペルセフォネはやっと仕事が一段落し仮眠を取っていたそうだ。
我ら下々から国の元首まで働きっぱなしのマギニアはまるでアリの群れのようにも見える。
「ところで汝の仲間は今どこに?」
「今回は疲れているようでしたので先に宿へ戻らせました」
「そうか。では私の代わりに『碧照ノ樹海』の立ち入り許可を伝えておいてくれ」
サヴァ・カーンは探索許可と新たな指令に軽く会釈すると、真剣な顔で提出した書類を捲るペルセフォネの邪魔にならぬよう静かに半歩引いた。
「遺跡の損壊がここまで激しいとは……ほう、最奥には守護獣がいたのか……」
ペルセフォネは地図の写しと報告書に鼻がつきそうなほど顔を近づけて寝起きの脳に情報を叩き込む。
そのまま衛兵に資料として配布できそうな程に完璧な報告書、そこにミズガルズ実働隊が発見した最大のイレギュラーが記されていない事を彼女はまだ知らない。
……今後それを教えるつもりもない。
「それから、汝らが発見した『樹海磁軸』だが……これが別の島へと繋がっていたというのは真か?」
「はい。我々が実際に確認した所、東土ノ霊堂から『幽寂ノ孤島』の磁軸と行き来が可能でした」
「……そこまで調査済みだとは」
視界の隅で地蔵のように佇むサヴァ・カーンは、その質問を予想済みだと言わんばかりに小さく会釈して紙の山から一枚の調査記録を引き出す。
……真新しい報告書にはペルセフォネの知りたかった、或いは後で調査隊を派遣して調べさせるつもりだったであろう事柄は既に記録済みだ。
そのままペルセフォネは差し出された紙を素直に受け取り口をポカンと開いて呆けていたが、やがて腹を抱えて|くつくつ《﹅﹅﹅﹅》と笑い出した。
……無名の冒険者ギルドとは思えない気が利きすぎともいえる段取りは感嘆や驚きを通り越し、最早一流のエンターテイメントのようで腹の底から愉快な気分になる。
一息ついて年相応の少女になっていた表情を元に戻し木製の許可札に判を押し、それを投げ渡してやると青年は再度腰が直角になるような深い会釈で応えた。
「良いだろう、汝らギルドを調査団の一員として認める。疲れが取れ次第幽寂ノ孤島の調査に参加するのだ」
「ありがたき御言葉、粉骨砕身の覚悟で任に当たります」
まるで祭り前の少女のように蒼い瞳を輝かせるペルセフォネとは対照的に、サヴァ・カーンはこの程度何でもないと言わんばかりに恭しく頭を下げるだけだった。
(さて、後はアレの始末をつけるだけだな)
……そのオレンジ色の三白眼は窓の外、街灯のロウソクのように小さい光だけが点々と遠くに続いている夜の街を見つめていた。
2
同時刻、湖の貴婦人亭に帰ってきた新入りたちは猫しかいない静まり返ったカウンターを通り過ぎサヴァ・カーンの部屋に集合していた。
……霊堂での怪我の鈍痛と疲労で新入りとしては今すぐ自室に帰りたいのだが、生憎報告書はまだ白紙だ。
「さぁて、サバちゃんが帰ってくるまでにこの女の子の事を話し合わないと☆」
各々が武具を置いたり荷物を解いたりする中、バッディは背負っていた人ひとり入りそうな麻袋を床に下ろす。
袋の紐を解き、柔らかなカーペットの上に飛び出したのは相変わらず無表情でこちらを見上げる金髪の幼女ニァだった。
「護衛は新入りでいいな。懐いてるし」
「オレちゃんも賛成〜☆ 新入りちゃんヨロシクね!」
「ちょ、勝手に決めるな!」
「しんいり、おなかすいた」
「お前さっき食べたばっかりだろ……夜中だってのに」
「ごはん」
「フフ、まるで本物の親子のようではないか……」
「おやこ?」
「うっさい! っていうか私が言いたいのはこんなことじゃなくて……‼」
雛鳥のように一直線に寄ってきたニァを片手で押さえつつ新入りは舌打ちしながら三人を睨みつける。
……彼らは今の状況を分かっているのか?
「本当にニァのことを司令部に報告しないでいいのか⁉ こんな子供なら誰かが探してるかもしれないってのに……」
「はぁ……お前は馬鹿か?」
「なっ‼」
常識だろ、とでも言いたげにため息を吐く銃士の少年に新入りは声を荒げて食ってかかる。
今にも殴りかかってきそうな少女に一切視線を向けずに銃の手入れをしていたキッドは、尚も食い下がる新入りにもう一度盛大なため息をつくと瞳を冷たく光らせる。
「いいか? レムリア島は無人島だ」
「だから何だよ? それとニァに何の関係が?」
「いいか、無人島だぞ? 〝前人未踏〟の島に未知の遺跡があったってだけでもこの騒ぎだ」
「その遺跡に人間が、それも自分で戦う力を持たないガキが一人でいたんだぞ」
「あ……」
「……この状況の異常さがやっと分かったか」
そこまで言うとキッドは空気の抜けた風船のように固まっている新入りに背を向けて再び銃の手入れを始める。
……銃の手入れをする少年から視線を下ろす。
話題の渦中だというのに、ニァは相変わらず新入りの服の裾を引っ張って不思議そうに小首を傾げていた。
真っ白な肌に細い指、傷一つない身体に貴族のようなドレス。
恐らくバーバ・ヤーガにだって片手で捻れるような幼女が何故樹海に、それも遺跡のヌシの前にいながらどうして無傷だったのか。
この子は自分たちも知らない何かを秘めている、もしかするとそれはミズガルズも知らないような脅威かもしれない。
キッドの言い分は分からなくもないが新入りの頭に浮かんでいたのは疑惑や脅威よりもむしろ……。
「言葉はきついがキッドの言う通り、ニァは俺たちで保護する方がいいだろうな」
「っ!」
「あ! サバちゃんおかえりー」
不意に頭上から響いた低音に新入りが勢いよく顔を上げると、知らぬ間に司令部から戻っていたサヴァ・カーンが片手を振ってきた。
「明日から新しい樹海を探索だから明日は早めに起きて会議な〜ほれパス!」
「ふんふん、碧照ノ樹海かぁ〜☆」
「その、サヴァ・カーン。ニァのことは……」
「ん? もちろん未報告だ、別にいいよな?」
「べ、別に! だがわざわざ私たちがこんな知らないガキの面倒見るなんて……」
サヴァ・カーンも悪びれなく普通の事のようにオレンジの瞳を瞬かせる……まぁ、そんな気はしていた。
モヤモヤした気持ちを吹き飛ばすようにわざとらしい大声で文句をこぼす新入りの手のひらに、ふと柔らかなぬくもりが巻き付いてくる。
咄嗟に視線を下ろすと金の睫毛と血のように紅い双眸がじっと、まるで子供のような眼差しで新入りを映していた。
「しんいり」
「ニァ……」
「ニァ、ひとり、いやだよ」
そこまで言うとニァは新入りに頭を埋めたまま石のように動かなくなる。
突然、それも実働隊の連中の目の前で抱きつかれた新入りの顔面は一気にヨウガンジュウのように赤く染まるがニァは腰にしがみついたまま一向に離れようとしない。
とにかくニァを引き剥がそうとした新入りだったがやけに古びた言葉遣いの声に手を止めた。
「……まぁ、我から一つ言えるのは其奴には知り合いも家族も心当たりがない。貴様と同じく身寄りが無いのは確実だろうな」
「身寄り……」
……身寄りのない子供。
ミズガルズにいた頃、数えるのをやめるくらい周囲から向けられた言葉だ。
じわりと汗が滲んできた手をぐっと引かれ視線をぎこちなく下ろすとニァが抱きついたままこれまでよりも少し細い声で新入りを呼んだ。
「しんいり、どこか、いっちゃう?」
「いや、その……はぁ……」
染み付いた否定語が咄嗟に口から飛び出て、そんな自分への呆れと失望に息を吐き……新入りは改めてニァを視界の真ん中で捉えた。
地味な自分とは正反対の人形のような見た目、自分とは住む世界が違う少女。
このマギニアには新入りよりもずっと子供の扱いが上手い人間がいる、裕福な人間だって優秀な人間だって。
……それでも、もしかするとニァには新入りしかいないのかもしれない。
自分がずっと傍にいる保証なんてない。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み干して傷だらけの手はニァの肩ではなく頭を優しく、そっと撫ぜた。
柔らかな金糸が新入りの指先を流れる中、事態を静観していた実働隊から面白がるような歓声が上がった。
「いや〜あんなにツンケンしてた新入りちゃんがこんな聖母様みたいになるなんて……オレちゃん感動でマジ泣きそう!」
「はぁ⁉」
「ま! ニァも新入りと一緒に居たいってんなら両得だ! 新入り、ニァのことよろしく頼んだぞ〜」
「ちょ、私はまだコイツを……」
「こーんなに懐いているのに引き剥がすなんて、我らにそのような悪鬼になれと言うのか?」
我に返った新入りがバッディたちを追おうとするも腰に纏わりついたニァがそれを許さない。
でろんと腕以外の全身を脱力させた幼女の体重に新入りはすぐにその場で動けなくなってしまう。
「しんいりー」
「……ぁあクソッ! 面倒見ればいいんだろ⁉」
「よし! じゃあニァのことは俺たちだけの秘密、明日から樹海探索頑張ろうぜ!」
「おうよ!」
猫のようにふてぶてしい無表情の幼女を新入りが抱えると同時に宿の一室に拍手と歓声が溢れかえり、ハイタッチを繰り返す隊員たちを新入りは冷めた目で眺めていた。
「……まさか寝るのも一緒か」
「小さいからベッドに入るだろ」
「はぁ……!」
……寝る前のそんな暢気な会話を思い出しながら新入りは白いシーツとマットレス、そして小さな隣人の隙間に身体を差し込んだ。
ただでさえ自分は寝付きが悪い方なのに寝る場所が狭くなっては余計に眠れない。
だからといって新入りの部屋のベッド以外に寝冷えせずに眠れる場所は無い。
なんでこんな事に、腹の中で煮えくり返る恨みや怒りに歯ぎしりしながら新入りは瞼を閉じた。