2.東土ノ霊堂

アルゴノーツ:第一迷宮

インターミッション


 王立レムリア科学研究院。  世界の終わりに瀕してなお、島の中央で稼働し続ける人類最高峰の研究施設だ。  白い研究室には無数の機材とエネルギーポッドが並び、淡い緑の光を放つ『ユグドラシル』がポッドを満たしている。  ……この研究室の室長である私は同僚たちの最終チェックの声や周囲の環境にぼんやりと耳だけを傾けつつ、大量のコードと機材に繋がれた蒼翠に輝く美しい宝玉を調整していた。 「コア、異常なし。ハードは大丈夫そうだが……やはり中身か」  指先でコアを突くと相変わらずツルリとした滑らかな質感が返ってくる。 「今日こそは目覚めてくれるだろうか」と一抹の期待と不安を覚えてしまうが、自分の両頬を叩き弱い心を追い出してチェックリストに戻った。 (いいや……いずれ訪れる危機からレムリア王国を守るには、必ず『ベータ』が必要になる)  今の人類世界は、すでに滅亡の瀬戸際にある。  汚染と争いにより住める土地は失われ、唯一無事だったレムリア島は、世界に垂れた一本の〝蜘蛛の糸〟に過ぎない。  その〝糸〟に人々が群がれば、救われるどころか糸ごと切れて共倒れするだけ。  ──最悪の未来を避ける為にレムリアの王は国防プロジェクト『フェンリル』を立ち上げ、私たち科学者は国と人類の命運を託す存在を生み出す事になった。  しかし開発の進捗は芳しくなく、時間切れが迫る中、私たちはここ数年ずっとあるかも分からないゴールを目指して走り続けているような、焦燥感と無力感に苛まれていた。 「室長! 各部、起動準備完了です」 「了解……それじゃあ、■■■■■年十二月三十一日。只今より第一八八二回目の『フェンリル』起動試験を行う。責任者は私、■■■■だ」 「……エネルギー供給開始!」  私の合図と共に燃料管理担当の職員が端末を操作すると、『フェンリル』に向かってユグドラシルが注ぎ込まれる。  すぐにコアは濁った色からまるで美しい宝石のように蒼翠色に輝き始め、研究員たちの間から驚きと歓声が広がる。  ──行ける。  そう思った直後、ポッドの一つから大きな破裂音と白煙が上がった。  同僚の悲鳴と共にモニター上をエラー通知が埋め尽くし、安全装置がコアとポッドを強制停止させる。  先ほどまで期待に満ち溢れていた室内は一瞬にして静まり返ってしまい、どこからともなく徒労のため息が聞こえた気がした。  肩を落として嘆く同僚を励ましつつ、私もカメラを止めてコアを確認しに向かう。 「あら? ちょっと待って下さい室長」  ……そんな私を一人の職員が呼び止めた。  手招きする彼女の方へと踵を返すとモニターには電源を切ったはずのコアがまだ起動していると表示されており、私たちは首を傾げる。 「ユグドラシル供給も切れたし、セーフモードは働いているみたいなんですけど……」 「ふむ、どういうこと──」  ──突如、停止したはずのコアが先ほどよりも遥かに強く激しく輝いた! 「なっ⁉ 何が!」  部屋中の機材が一斉にガタガタと揺れだし、天井の照明が不規則に明滅を繰り返す!  中央の蒼翠のコアは目を焼かんばかりにギラギラと光り輝いており、高エネルギー反応特有のプラズマが何度も走り、思わずたじろぐ。  咄嗟に職員の一人が壁際の緊急停止ハンドルを強く下ろしたが、手応えが異常に軽くコアの暴走は止まらない! 「そんな、強制停止できません‼」 「カメラアイ起動、論理回路起動、エネルギーを急速に取り込み中!」  それどころかまだ壊れていなかったタンクからもユグドラシルが吸い上げられ、そしてコアから青白く輝くエネルギー体らしき触腕が一本ズルリと飛び出した! 「へ、変形機構、起動⁉」 「っ『変形機構』はロックされているはず⁉」 続けて二本、三本と伸びるその先端には精巧な五つの指が形作られており、コアを包み込むように更に大きな胴体らしき物体が形成される! ありえない挙動、まるで〝意思〟があるような──。 「すぐに実験を中止! 防衛部隊に連絡を──」 「いや連絡は不要だ! これは……‼」  パニックに陥る科学者たちの前で『フェンリル』は急速に〝人間の身体〟を作り出す。  腕、足、胴体、首、頭、顔とみるみる内に変形するフェンリルの姿に最早実験の可否はどうでもよく、私たちはただ目の前で暴走する『それ』を固唾を呑んで見守るしかなかった。  ……そして、フェンリルは胸に宝玉が埋め込まれた幼い人間の子供の姿に変身した。 「フェンリルが、人型に……⁉」  人間の子供に変形したフェンリルは地面に四つ這いになったまま、しばらく自分の手や足を観察していたが、やがて顔を上げると私の顔を青い瞳でじっと見つめて、唇を動かす。  ……こんなのは想定外だ! 「は……て……」 「⁉ 動いたぞ」 「! やめろ、撃つな!」  フェンリルが動いた瞬間、背後の研究員たちから恐怖の悲鳴が上がり、緊張が高まる!  咄嗟に私は護身用の銃を抜いた同僚の銃身を掴んで下げ、自分の後ろに庇った!  だが、こちらへ向かってくるフェンリルの歩行はぎこちなく、まるで人間の赤ん坊のようにヨタヨタと体格に合わない下手な歩みで迫ってくる。  口から漏れ出る言葉も何かを伝えたそうにしているが、聞いている方がもどかしくなってくるほどに拙い。 (……重心制御がなってない、さすがに知識だけでは歩けないのか?)  ──何かが奇妙だ。  そう感じた直後、フェンリルの身体がぐらつきそのまま白い床へと倒れ込む! 「っ危ない!」 「室長!」  フェンリルが転びかけるのを見た私は咄嗟に前へ飛び出し、ユグドラシルで出来た小さな体を受け止める。 「マズイ! 強制停止を……」 「いや待て! 攻撃・出力全てオフだ!」  今度こそ大惨事が起きるかもしれない、と判断した研究員が銃を掲げるが三度止められる。  一体なぜと憤りを隠しきれない様子の研究員が見たのは、フェンリルの起動状況──攻撃系の機能がすべて〝自発的〟にオフにされ、疑似人格の感情が『友好』と表示されたモニターだった。  ……フェンリルを抱きかかえた私は恐る恐る瞼を開ける。  私の身体に外傷はなく、腕の中の少年は青白い燐光を放つ瞳をまんまるにしてこちらを見上げていた。 「プログラムにない行動をとってしまい、ごめんなさい。皆さんを怖がらせるつもりはありませんでした」 「……お前、フェンリルなのか?」  子供っぽいたどたどしい声色と口調をした彼は私とその後ろに控えている同僚たちを見渡し、二、三度口をぱくぱくさせてお辞儀する。 「はじめまして。私は万能型対人兵器『フェンリル』の初号機、付けてもらった名前は『ベータ』です」 『ベータ』と名乗った少年は「驚かせてしまい、申し訳ありません」と続けた。  ……その顔は無機物特有の無表情だったが、どことなく罪悪感を抱いているようにも見える。  私は彼にバレぬようにちらりと背後に目をやると、同僚たちが首を縦に振って話を続けるよう促してきた。  ……時間を稼いでいる間に彼らが何らかの手段を用意してくれる事を祈りながら、私は改めてベータに向き直る。 「あー、自己紹介ありがとう。ベータ」 「名前で呼んで頂けて、とても嬉しいです」 「それで、能動的にプログラムを無視したという話だが……どうしてそんなことを?」  私は少しずつ後退りしながら、先ほどのベータの行動──あらかじめ設定された起動プログラムを無視し、ロックされているはずの機能にアクセスし、自らの判断で行動した──その意図を問いかけた。  少年は少し考え込むような素振りを見せ、やがてはにかみながら答えを口にする。 「……みなさんにお礼したかったから、です」 「お礼?」  ……ベータが命令を無視してまで私たちに伝えたかった事、それは〝感謝〟だった。  予想だにしない主張を咄嗟に飲み込めず、私は片眉を上げて復唱する。 「皆さんが私を見て、名前を呼んで、何度も話しかけてくれた」 「でもどうすれば私の気持ちが伝わるのか、分からなかった……皆さんと同じ形なら、近づける気がしたんです」  単なる兵器として生み出された存在、これから数多の命を奪う事になる武器。  そんな彼がプログラムに逆らったのは自分の為ではなく、自分の創造主たちへの感謝を表現する為。  人の姿を真似したのも、お礼が言いたかっただけ。 「……そのためだけに?」 「はい」  私の問いかけにベータはこくんと頷く。 「皆さんのように喋って、歩いて、手を繋いでみたい……そう思ったんです」  自分の手足を温かな眼差しで眺め、触れるベータ。  その目はプレゼントを貰った人間の子供と同じ幸せの輝きを堪えているものと同じに見えた。  ……私たちの数年間の苦悩は、単なる兵器以上のものとなって私たちの前に現れたのだ。 「そうだったんだな……フェンリル、いや、『ベータ』」 「はい」  私はベータの頭にそっと指を触れさせる。  手のひらに伝わるユグドラシル製の髪の毛は本物の髪と同じ質感をしており、温もりだけがない少年の頭を私はまるで我が子を褒めるかのような手つきで撫でる。  ベータは機械らしくまばたきもせずに私をじっと見上げており、私の方を同僚の一人が軽く叩いてきた。 「プログラムを無視するのはアレだが……変形能力も機能しているし、AI部分も文句なしに完璧だ」 「てことは……フェンリル初号機、起動実験完了ですか⁉」 「そうだな! あー! 肩の荷が下りたぜ!」  思いきり両肩を回して喜ぶ同僚に私たちは失笑しつつ、胸の中に収まっている少年に白衣を貸してやる。  着せられた白衣を不思議そうに触る彼に、誕生日のデータも教えてやろうと考えながら、私はずっと点きっぱなしだったビデオカメラの録画スイッチを切った。

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更新履歴

・2026/02/01:第1版