6.嵐の前触れ

アルゴノーツ:第二迷宮(前編)

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 その日、マギニアに戻るアルゴノーツの足取りは重かった。  段々と暗くなっていく空の下、冒険者たちは無言で列をなしてマギニアへと帰投し、拠点としている冒険者向けの宿『湖の貴婦人亭』へ帰るまで誰も言葉を発しなかった。 「あ、おかえりー」 「……ただいま」  明かりの漏れる扉を開けると珍しく起きていた店番の少女ヴィヴィアンが気だるげに出迎えてくれたが、普段と様子が違うアルゴノーツの姿に首を傾げた。 「アルゴノーツ、なんかあったの?」 「色々。夕飯を頼んでもいいかしら」  アリシアが赤く汚れた顔を拭いながら手短に夕食の準備を頼むと、ヴィヴィアンは興味をなくしたのか「ふぅん」と間の抜けた声で頷く。  ……今の彼らには樹海で一体何があったのかを答える気力はなかった。  熱々のシャワーで今日の汚れを流し、用意された温かい夕食を囲んで、いつものように談話する仲間たちを前にしてもオルヴェは心ここにあらずといった様子だった。 「……」 「ちょっと、オルヴェくん」 「……ん、あぁ」 「さっきからぼんやりしてますけど大丈夫ですか?」  机に肘をついて夕方の事を考えているとエドが咳払いをして肩を叩いてくる……考えごとに集中しすぎたらしく、冷めたハンバーグには無数のフォークの穴が空いていた。  我に返ったオルヴェは喉に詰まりそうな勢いで料理をかきこみ始め、ガチャガチャと食器の触れ合う音が静かな食卓に響く。  ……既に半分以上食べ終わった仲間たちのペースに追いつこうとしているのか、いつものように大好物を前に大喜びで頬を膨らませて食事するオルヴェの姿はそこになかった。  食べ物を飲み込みながらオードブルのポテトサラダに手を伸ばしたオルヴェだが突然皿が浮き上がり、見上げた先にはヴィーザルの不機嫌そうな瞳があった。 「あ、おい!」 「夕方のこと、気にしてるのか」 「……まぁ、少し」  どこか心配するような表情のヴィーザルの指摘にオルヴェは覇気のない声で答えると皿に伸ばした手を引っ込める。  なんて事ない会話のはずなのに今日だけは全然会話が続かない。  そのままテーブルの下で組んだ手を見つめているとヴィーザルはため息をついて、皿に盛ったポテトサラダを差し出してきた。 「てめぇみたいなのに言うのも少しアレだが、ああいうのは〝慣れる〟しかない。これから先キツイぞ」 「分かってるよ……こういうのは今日だけだって」  そう言ってオルヴェは笑ってみせると、親友から差し出された皿の料理を口に運ぶ。  賞金稼ぎのヴィーザルからしてみれば、今の自分が抱くこの気持ちはとっくの昔に通り過ぎたものなのだろう。  ……よく考えてみればアルゴノーツの中で一番自分が〝こういう事〟に慣れていない。  それがすごく情けなく思えてきて、オルヴェは折角の夕食の味や隣に座る親友がどんな顔をしていたのかはっきり分からなかった。  ……窓から見える光が少なくなっていくにつれ食堂にいる冒険者たちも姿を消し、アルゴノーツの面々も食べ終わった者から自然と自分の部屋に戻っていった。  もう席にはオルヴェとデザートのプリンを食べるイリスしか残っておらず、たまにお裾分けされるデザートを頬張りつつオルヴェも夕食を食べきった。 「……それじゃあオルヴェくん、また明日~」 「寝る前に歯磨きちゃんとしろよ……ん?」 「あ、オルヴェ。少しいい?」  オルヴェがイリスを女子部屋に送り届けて帰ろうとしたその時、部屋で本を読んでいたアリシアが顔をひょっこり覗かせる。  くせっ毛の橙髪を一つにまとめて、所々にフリルがあるゆったりとしたワンピース風の寝間着を着た少女は単細胞で朴念仁なオルヴェの目から見てもなかなか愛らしい。  イリスを部屋に帰したアリシアはオルヴェの前でしばらくモジモジしていたが、やがて少し裏返った可愛らしい声で話しかけてきた。 「今日の探索なんだけどその……む、無理しないでよね」 「……それだけ?」 「こ、これ以上何を言えばいいのよ! 無事でよかったわねとかっ⁉」  ぽかんとしたアホ面のオルヴェの答えが気に食わなかったのか、アリシアはさっきまでの淑やかな様子を一変させた。  顔をゆでダコみたいに真っ赤にしてさっき言った事を否定したり、ああでもないこうでもないと早口で喚き立てたり一人で盛り上がっている。  ……まるで騒がしい子犬みたいな、普段の冷静な彼女からは絶対想像できない姿にオルヴェはぽかんとしていたがやがてあまりの豹変ぶりに思わず腹を抱えて笑い出した。 「何がおかしいのよ!」 「いやだって、アリシアの顔見たら安心してさ!」 「もう……!」  笑ったのは悪かったが安心したのは本当だと言ってやるとアリシアは腕を組んで唇を尖らせる。  ……そっぽを向いた彼女の顔が子供っぽく拗ねているようにも俯いた金色の睫毛が泣いているようにも見えて、オルヴェはアリシアの隣にそっと寄り添った。 「アリシアはあの怪我した衛兵、怖くなかったのか」 「まぁまぁ堪えたわ」 「……オレもだ」  大きく間を取って、オルヴェも頷く。  アリシアは何を返すわけでもなく、続きを促すように青年の背中を撫でた。 「目の前にいるのに、助けられない人がいるって……こんなにも辛いんだな」  今にも消えそうな声がアリシアに、そして何よりオルヴェ自身に言い聞かせるようにこぼれ落ちる。 「ね、オルヴェ。きっとあなたが思ってるより私たちは強くないの」 「え?」 「あの衛兵の姿を見た時、最初に私の頭に浮かんだのはオルヴェの、東土ノ霊堂のことよ」  これまで一緒に過ごしてきた幼なじみの弱々しい姿にアリシアは背中を撫でていた手をオルヴェの手に重ねた。  ……温もりはそこにあるのに脈拍の無い大きな手、アリシアはそんな少年の傷の多い手を軽く握る。 「一歩間違えたら、ベータを拾っていなかったらオルヴェもあんな風になってたって考えるだけで怖くて堪らなかった」 「アリシア……」 「私たちもオルヴェがまた死んじゃうかもって思って怖かった。ヴィーザルやイリスも、絶対そう」 「エドも?」 「勿論よ」  オルヴェには隠しているみたいだけど毎日教会でお祈りしているもの、とアリシアは自分の口の前で指を立てた。  ……夕暮れの樹海でイリスが漏らしてしまった言葉、夕食の時にヴィーザルから貰った『慣れろ』というアドバイスのどれもオルヴェの死に様を思い出してしまったが故の行動だったのかもしれない。 「……オレ、一人じゃないんだな……ありがと、ちょっと忘れかけてたよ」 「なっ⁉」  感謝を込めてオルヴェが白く細い手を握り返すと、まさか手を握り返されるとは思っていなかったのかアリシアは耳まで真っ赤になってロケットジャンプのような勢いで立ち上がる。 「あっ! 明日も早いしもう戻るわね! おやすみ!」 「お、おう⁉ おやすみアリシア」  そのまま逃げるように部屋に飛び込むアリシア、耳まで赤くなった少女をオルヴェはひっくり返った姿勢のままで見送った。 「……情緒不安定な方ですね」 「うるさいベータ……オレたちも戻るか」 「ええ。しっかりと睡眠を取って明日の探索に疲労を残さないようにしましょう、マスター」  しばらくしてオルヴェも起き上がり自分たちの部屋に戻り、相部屋のヴィーザルたちの寝息と月明かりだけの静かな相部屋のベッドにオルヴェは身をねじ込んで目を瞑った。  ……オルヴェが目指していたのは誰でも助けるしどんな目に遭っても傷つかない、そんな英雄。  それを目指して冒険者になったのに今日突きつけられた現実に対し、十六年間胸の中で思い描いていた理想は全く役に立たなかった。  今だってどれだけ手当しても壊れた蛇口みたいに血が止まらない焦燥感や、触れた傍から体温と世界の境界がなくなっていく身体の温度が忘れられない。  ……オレはまた死ぬのか、と一瞬でも怯えてしまった事も。 (……)  暗い気持ちを振り払って、頭までシーツを被って丸くなる。  この不安は明日ベースキャンプに行って確かめればいい。  一眠りすれば、きっと受け答えができなかった衛兵もきっと元気になっているはずだから。

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更新履歴

・2026/02/01:第1版