1
その日、マギニアに戻るアルゴノーツの足取りは重かった。
段々と暗くなっていく空の下、冒険者たちは無言で列をなしてマギニアへと帰投し、拠点としている冒険者向けの宿『湖の貴婦人亭』へ帰るまで誰も言葉を発しなかった。
「あ、おかえりー」
「……ただいま」
明かりの漏れる扉を開けると珍しく起きていた店番の少女ヴィヴィアンが気だるげに出迎えてくれたが、普段と様子が違うアルゴノーツの姿に首を傾げた。
「アルゴノーツ、なんかあったの?」
「色々。夕飯を頼んでもいいかしら」
アリシアが赤く汚れた顔を拭いながら手短に夕食の準備を頼むと、ヴィヴィアンは興味をなくしたのか「ふぅん」と間の抜けた声で頷く。
……今の彼らには樹海で一体何があったのかを答える気力はなかった。
熱々のシャワーで今日の汚れを流し、用意された温かい夕食を囲んで、いつものように談話する仲間たちを前にしてもオルヴェは心ここにあらずといった様子だった。
「……」
「ちょっと、オルヴェくん」
「……ん、あぁ」
「さっきからぼんやりしてますけど大丈夫ですか?」
机に肘をついて夕方の事を考えているとエドが咳払いをして肩を叩いてくる……考えごとに集中しすぎたらしく、冷めたハンバーグには無数のフォークの穴が空いていた。
我に返ったオルヴェは喉に詰まりそうな勢いで料理をかきこみ始め、ガチャガチャと食器の触れ合う音が静かな食卓に響く。
……既に半分以上食べ終わった仲間たちのペースに追いつこうとしているのか、いつものように大好物を前に大喜びで頬を膨らませて食事するオルヴェの姿はそこになかった。
食べ物を飲み込みながらオードブルのポテトサラダに手を伸ばしたオルヴェだが突然皿が浮き上がり、見上げた先にはヴィーザルの不機嫌そうな瞳があった。
「あ、おい!」
「夕方のこと、気にしてるのか」
「……まぁ、少し」
どこか心配するような表情のヴィーザルの指摘にオルヴェは覇気のない声で答えると皿に伸ばした手を引っ込める。
なんて事ない会話のはずなのに今日だけは全然会話が続かない。
そのままテーブルの下で組んだ手を見つめているとヴィーザルはため息をついて、皿に盛ったポテトサラダを差し出してきた。
「てめぇみたいなのに言うのも少しアレだが、ああいうのは〝慣れる〟しかない。これから先キツイぞ」
「分かってるよ……こういうのは今日だけだって」
そう言ってオルヴェは笑ってみせると、親友から差し出された皿の料理を口に運ぶ。
賞金稼ぎのヴィーザルからしてみれば、今の自分が抱くこの気持ちはとっくの昔に通り過ぎたものなのだろう。
……よく考えてみればアルゴノーツの中で一番自分が〝こういう事〟に慣れていない。
それがすごく情けなく思えてきて、オルヴェは折角の夕食の味や隣に座る親友がどんな顔をしていたのかはっきり分からなかった。
……窓から見える光が少なくなっていくにつれ食堂にいる冒険者たちも姿を消し、アルゴノーツの面々も食べ終わった者から自然と自分の部屋に戻っていった。
もう席にはオルヴェとデザートのプリンを食べるイリスしか残っておらず、たまにお裾分けされるデザートを頬張りつつオルヴェも夕食を食べきった。
「……それじゃあオルヴェくん、また明日~」
「寝る前に歯磨きちゃんとしろよ……ん?」
「あ、オルヴェ。少しいい?」
オルヴェがイリスを女子部屋に送り届けて帰ろうとしたその時、部屋で本を読んでいたアリシアが顔をひょっこり覗かせる。
くせっ毛の橙髪を一つにまとめて、所々にフリルがあるゆったりとしたワンピース風の寝間着を着た少女は単細胞で朴念仁なオルヴェの目から見てもなかなか愛らしい。
イリスを部屋に帰したアリシアはオルヴェの前でしばらくモジモジしていたが、やがて少し裏返った可愛らしい声で話しかけてきた。
「今日の探索なんだけどその……む、無理しないでよね」
「……それだけ?」
「こ、これ以上何を言えばいいのよ! 無事でよかったわねとかっ⁉」
ぽかんとしたアホ面のオルヴェの答えが気に食わなかったのか、アリシアはさっきまでの淑やかな様子を一変させた。
顔をゆでダコみたいに真っ赤にしてさっき言った事を否定したり、ああでもないこうでもないと早口で喚き立てたり一人で盛り上がっている。
……まるで騒がしい子犬みたいな、普段の冷静な彼女からは絶対想像できない姿にオルヴェはぽかんとしていたがやがてあまりの豹変ぶりに思わず腹を抱えて笑い出した。
「何がおかしいのよ!」
「いやだって、アリシアの顔見たら安心してさ!」
「もう……!」
笑ったのは悪かったが安心したのは本当だと言ってやるとアリシアは腕を組んで唇を尖らせる。
……そっぽを向いた彼女の顔が子供っぽく拗ねているようにも俯いた金色の睫毛が泣いているようにも見えて、オルヴェはアリシアの隣にそっと寄り添った。
「アリシアはあの怪我した衛兵、怖くなかったのか」
「まぁまぁ堪えたわ」
「……オレもだ」
大きく間を取って、オルヴェも頷く。
アリシアは何を返すわけでもなく、続きを促すように青年の背中を撫でた。
「目の前にいるのに、助けられない人がいるって……こんなにも辛いんだな」
今にも消えそうな声がアリシアに、そして何よりオルヴェ自身に言い聞かせるようにこぼれ落ちる。
「ね、オルヴェ。きっとあなたが思ってるより私たちは強くないの」
「え?」
「あの衛兵の姿を見た時、最初に私の頭に浮かんだのはオルヴェの、東土ノ霊堂のことよ」
これまで一緒に過ごしてきた幼なじみの弱々しい姿にアリシアは背中を撫でていた手をオルヴェの手に重ねた。
……温もりはそこにあるのに脈拍の無い大きな手、アリシアはそんな少年の傷の多い手を軽く握る。
「一歩間違えたら、ベータを拾っていなかったらオルヴェもあんな風になってたって考えるだけで怖くて堪らなかった」
「アリシア……」
「私たちもオルヴェがまた死んじゃうかもって思って怖かった。ヴィーザルやイリスも、絶対そう」
「エドも?」
「勿論よ」
オルヴェには隠しているみたいだけど毎日教会でお祈りしているもの、とアリシアは自分の口の前で指を立てた。
……夕暮れの樹海でイリスが漏らしてしまった言葉、夕食の時にヴィーザルから貰った『慣れろ』というアドバイスのどれもオルヴェの死に様を思い出してしまったが故の行動だったのかもしれない。
「……オレ、一人じゃないんだな……ありがと、ちょっと忘れかけてたよ」
「なっ⁉」
感謝を込めてオルヴェが白く細い手を握り返すと、まさか手を握り返されるとは思っていなかったのかアリシアは耳まで真っ赤になってロケットジャンプのような勢いで立ち上がる。
「あっ! 明日も早いしもう戻るわね! おやすみ!」
「お、おう⁉ おやすみアリシア」
そのまま逃げるように部屋に飛び込むアリシア、耳まで赤くなった少女をオルヴェはひっくり返った姿勢のままで見送った。
「……情緒不安定な方ですね」
「うるさいベータ……オレたちも戻るか」
「ええ。しっかりと睡眠を取って明日の探索に疲労を残さないようにしましょう、マスター」
しばらくしてオルヴェも起き上がり自分たちの部屋に戻り、相部屋のヴィーザルたちの寝息と月明かりだけの静かな相部屋のベッドにオルヴェは身をねじ込んで目を瞑った。
……オルヴェが目指していたのは誰でも助けるしどんな目に遭っても傷つかない、そんな英雄。
それを目指して冒険者になったのに今日突きつけられた現実に対し、十六年間胸の中で思い描いていた理想は全く役に立たなかった。
今だってどれだけ手当しても壊れた蛇口みたいに血が止まらない焦燥感や、触れた傍から体温と世界の境界がなくなっていく身体の温度が忘れられない。
……オレはまた死ぬのか、と一瞬でも怯えてしまった事も。
(……)
暗い気持ちを振り払って、頭までシーツを被って丸くなる。
この不安は明日ベースキャンプに行って確かめればいい。
一眠りすれば、きっと受け答えができなかった衛兵もきっと元気になっているはずだから。
2
「オルヴェくん! 起きて!」
「んが……」
目覚まし時計のようなエドの声に意識を呼び戻され、オルヴェは眩しそうに目を擦る。
上下逆さまのエドは茶色の瞳を細めて笑うと「朝食ができてますよ」と、くるりと白と赤のエプロンを翻し下の階へと降りていった。
「おはようございますマスター。本日の睡眠スコアは65点。寝相の悪さは睡眠の質に影響しますよ」
「ゔー……」
腰に巻いたポーチの中から柄だけに軽量化したベータが口うるさく話しかけてくるのを無視してオルヴェは伸びをする。
……今日の朝食はハム付き目玉焼きとパンだろう。
エドの残り香にオルヴェは鼻をひくつかせるが、やはり昨日から機嫌の悪い腹の虫は鳴こうとしなかった。
「みんなおはよー……」
「腹出して寝てんのによく風邪引かねぇよな」
「んー」
腹丸出しでベッドから落ちていたのが悪かったのか、はたまたベータに指摘された通り寝つきが悪かったのか、まだ寝ぼけながらオルヴェが下の階に降りると既に探索準備の整った仲間たちがそれぞれのんびりしながら食卓を囲んでいた。
「今日の探索だけど……あら?」
「どうかしましたか」
もそもそと朝食を食べ始めたオルヴェの隣に座るアリシアは一晩寝て吹っ切れたのか、いつも通り昨日の晩に考えておいたであろう探索計画を喋っていたのだが不意に言葉を止める。
どうしたのだ、と固まったアリシアの視線の先を身を乗り出して覗くと窓の向こうの宿屋通りを冒険者や衛兵の団体たちが埋め尽くしている異様な光景が広がっていた。
名高いギルドからオルヴェたちと同じような新米ギルドまでぎゅうぎゅうに集まってどこかを目指す姿は一般市民でも大事だと分かる様相であり、その行軍はまるで最初にレムリア島に着いた際の演説の聴衆を思い起こさせる。
「なぁちょっと! そこのおねーさん!」
「……ん?」
一体何があったのか、とにかく事情を把握したくてオルヴェは近くに座っていた冒険者に話しかける。
……その冒険者は宿屋というのに、探索には不向きな分厚い鋼の鎧を着て、背負っていた三角盾《カイトシールド》や腰に下げた剣は鋭く輝き、まるで怪物か何かを退治しに行くような格好をしていた。
「……何かあったのか?」
「あら知らないの? 司令部から碧照ノ樹海に出た危険な魔物を退治しろってミッションが出たのよ」
最近は被害が多かったからね、とどこか他人事のようにぼやきながら冒険者はコーヒーを飲み干すと足早にオルヴェたちの前から立ち去る。
店を出た彼女は待っていた仲間の元へ駆け寄ってすぐに冒険者たちの列に入ってしまい、その姿はどこにも見えなくなってしまった。
──『碧照ノ樹海』。
女性が残した言葉はオルヴェたちの幼い顔を青ざめさせ、脳裏には昨日の夕暮れの光景が呼んでもないのに浮かび上がってくる。
「もしかして、昨日の……」
「……とにかく行ってみよう」
オルヴェは怯えて身を縮ませるイリスの肩を叩いて励ますと、胃袋にエド特製の朝食を突っ込み湖の貴婦人亭を飛び出して冒険者たちの大行進に飛び込んだ。
……首を上げて見据えた司令部の尖塔は太陽を背に黒い輝きを放っていた。
長い行列に並び、ジリジリと太陽に焼かれ、司令部に辿り着いた頃には他の冒険者たちは既にミッションを受けたのか、衛兵も冒険者の姿もまばらでいつもは人混みの中を忙しそうにあちこち歩き回って指示を飛ばしているペルセフォネ姫もすぐに発見できた。
「誰かと話しているみたいですね」
「あれって……」
「──では、よろしく頼む」
「任せて下さい、タルシスの樹海のことなら力になれるはずですし……」
どうやら先客がいたらしく、ペルセフォネ姫はウェーブのかかった暗い赤髪の女剣士と話し込んでおり、凛々しい横顔や凛とした声は普段にも増して厳めしく重苦しい。
「……樹海、助言、どうやらミッションの話らしいぞ」
「もっと近くで聞いてみましょ、なにか知ってるのかも」
聞き耳を立てたヴィーザルの情報を基《もと》に、オルヴェたちは柱の陰にくっついて隠れて謎の女剣士を観察する。
……踊り子風の軽装に反してその褐色の肉体は鍛えられており、難しそうな顔で言葉を紡ぐペルセフォネ姫を前にしても堂々とした佇まいや身体中の古傷の跡は彼女が歴戦の冒険者であると示していた。
「ほぁ……あのお姉さん腹筋バキバキだよ!」
「確かに凄いけど……イリスそこなの?」
「ちょっと待てよ、あの人どこかで──」
腰に下げた珍しい形の長剣と二の腕には赤い竜の入れ墨、それらに見覚えがあったオルヴェはあっと声を上げた。
「も、もしかして……ドラゴンキラーの『ウィラフ』さん⁉」
「え⁉ ……君、もしかして私を知ってるの?」
突然、背後から名前を呼ばれた女性──ウィラフは堂々とした佇まいからは想像できないような素っ頓狂な声を上げて振り向く!
そして首を傾げながら自分の名前を呼んだ冒険者たちを見渡した。
「誰ですか、データベースにありません」
「知らねぇの⁉ オレが子供の頃にタルシスで活躍してた冒険者で、有名ギルドの人と一緒に竜を退治したんだよ!」
「今は世界各地を旅しながら竜退治してるって話は本当だったのね……」
「そうですか、対象IDを新規登録します」
子供の頃に聞いた有名人を目の前に柱の陰からぞろぞろ出てきて興奮するオルヴェたち、対照的に腰に下げられたベータは冷ややかな声でウィラフを訝しむ。
「あら、君たちってタルシス出身だったりする?」
「そうです! オレたち冒険者ギルドのアルゴノーツっていって……!」
「ちょっと! 今ウィラフさんはペルセフォネ姫と話してたでしょ!」
「あ、そうだった! ごめんなさい……」
まだ新しい装備を纏った同郷出身の新米冒険者たちの姿にウィラフはニコリと笑みを浮かべ、気にしていないと首を振ってやる。
はしゃぐアルゴノーツの姿にペルセフォネも表情を和らげながら、集団から一歩下がって佇むヴィーザルに視線を送る。
……こちらに気がつき目だけ向けてきた白髪の青年にベータ──『レムリアの宝剣』の情報はまだ見つかっていない、と剣に選ばれた青年を見ながら首を振る。
会得した、と肩を竦めたヴィーザルがオルヴェに耳打ちするのを見届けペルセフォネは空気を改めるように咳払いした。
「アルゴノーツよ、汝らも此度のミッションを受けに来たのだろう。ウィラフ殿、よければ彼らにもあの樹海のことを教えてやってくれ」
ペルセフォネに命じられたウィラフは任せてほしいと胸を張る。
すると彼女は先ほどの後輩たちを見守るような人懐っこい笑みから真剣な表情を浮かべアルゴノーツに向き直った。
「さて、アルゴノーツのみんな。君たちもタルシス出身なんだよね? ……君たちはお父さんやお母さん、知り合いの人から『獣王ベルゼルケル』って話は聞いたことある?」
「獣王?」
聞き慣れない単語にオルヴェは唇を噛んで思考を巡らせる。
昔から冒険者の酒場にこっそり忍び込んでは冒険の話を聞いて回っていたから、多分そこで聞いた中にも『獣王ベルゼルケル』という話もあったはずである……覚えていないだけで。
「獣王、ってことは動物か? オルヴェ?」
「いや獣の王っていろんな本で見たことあるし……獅子に巨大熊、虎や狼もいるし」
「んー牛とか?」
「流石に牛はないでしょイリス……」
思い出そうと四苦八苦しているオルヴェや互いに顔を見合わせて話し合う仲間たちの中で一人、エドだけはじっと何かを考えこんでいた。
「……もしかしてエドくん知ってる?」
「子供のいる冒険者が、その『獣王ベルゼルケル』に襲われて命を落とした事故がたくさんあったって聞いたことがあります。僕の周りにもそういう子がいっぱいいたんです」
やってしまった、とウィラフは口を小さく開いたまま硬直し周囲の空気が一気に凍りつく。
「! まさか……君のご両親も?」
「いえ! 僕のは違いますよ。ただ、僕と同じように親のない子供たちの中にはそういう子も結構いたんです」
申し訳なさそうに縮こまるウィラフや表情が固まったペルセフォネにエドは「気にしないで」と頭を振って話の続きを促す。
「……ではその獣王ベルゼルケルに関してだが、奴は冒険者や衛兵を見境なく襲い──既に何人もの衛兵が犠牲に──」
「……」
ペルセフォネとウィラフの話を聞く中で、オルヴェは|止まった胸《﹅﹅﹅﹅﹅》の動悸がだんだんと強まってゆくのを感じていた。
凛と聞き取りやすいペルセフォネの声は何枚もの布越しに聞いているかのようにくぐもって、オルヴェの背中や手のひらにはじっとりとした汗がまとわりつく。
高熱の時みたいな寒気がする。鼻の奥、呼吸器の奥から異様な匂いがする。
鎧の下で無意識に強張った身体はまるで死──。
「オルヴェ?」
「!」
不意に響いた呼び声に、オルヴェは背筋を伸ばしバッと頭を上げる。
そこには話を中断したウィラフと突然動きを止めてしまったオルヴェを心配するアリシアの姿があった。
なんでもない、と頭を振って思い出した光景を振り払うもウィラフはオルヴェが何を考えているのか見抜いたのか、眉間にシワを寄せて言葉を続ける。
「長々話したけど大事なのは一つ……絶対に無理はしない方がいいってこと、もし自信がないのならこのミッションはパスするべきよ」
「! それは……」
──それは困る!
だって自分はベータを世界樹の麓に連れて行かなければならないし、何より世界一の英雄になるにはこんなところで止まっているわけには行かないのだ。
そう言い返そうとしてもいつものように言葉がスラスラと思いつかなくて、喉の奥に詰まったような感覚に呆れ苛立ちながら頭を掻くと、対話を静観していたペルセフォネがオルヴェの名前を呼んだ。
「オルヴェ、そしてアルゴノーツよ。事を急いでは元も子もなくす……此度のミッションは大きな危険が伴う、一度汝らで相談し合うべきだろう」
「でも、ペルセフォネ姫!」
「良いな?」
ペルセフォネ姫までどうして、と言おうとしたがオルヴェはその口を閉ざす。
こちらを見つめているペルセフォネの碧眼は心を射貫くように鋭く澄み切って、心配とも忠告ともつかない色の瞳に映っている自分の表情があまりにも必死そのものだったから。
「……っ」
「分かりました……オルヴェくん、いこ?」
力なく項垂れたオルヴェの肩をイリスがそっと寄り添って引っ張る。
少年は肩を落とし、そのまま仲間に連れられてトボトボと司令部から出て行った。
3
司令部から出たのは良いものの、どこに行く宛もなくかといってミッションの事を話し出す気にもなれなくて、アルゴノーツは司令部前の高台でぼんやり街と青空を見つめていた。
「マスター、貴方は『死』が怖いのですか?」
「え」
──オルヴェは腰に下げたベータを二度見した。
普段ならむやみやたらに話すのを厭い、普通の剣のフリに専念しているベータが話しかけてきたのだ。
しかも人通りの多い街中で。
「最近のバイタルや脳波から算出した結果、貴方は『死』という単語またはその意味を含むものに強く反応しています」
「……‼ オルヴェをそういう状態にしたのはてめぇだろ‼」
「お、落ち着いてヴィーザルくん!」
あまりにも無遠慮すぎる質問にヴィーザルは青筋を立ててベータに詰め寄る。
怒髪天を衝く勢いの相棒の様子に、オルヴェも荒ぶりかけた声と語気を喉奥にぐっと引っ込めて捨てゼリフを吐く。
「別に、ミッションとは関係ないじゃん!」
「そうですか」
……怒りとも恐怖ともつかない感情をこらえるようにギュッと唇を結んだオルヴェに見つめられ、何かを考えるようにしばらく黙ってから無機質な声で問いかけてきたのだ。
「質問ですマスター。貴方は〝もう一度〟自らの死を目前にしても、私を手に取り戦えますか?」
「‼」
「ベータさん……⁉」
オルヴェの胸の奥が一瞬爆縮したかのようにどくんと脈打つ。
……あの時ベータを手に取ったのは自分だ、自分は彼に世界を救う役目を託された、元々御伽噺の勇者のような展開に憧れていた。
──ただ一言「戦える」と言えばいいのに。どういうわけかオルヴェにはその一言が答えられなかった。
石像のように呆然と固まった少年を一瞥し、ため息のような空気音を出してベータは更に淡々と続ける。
「私には世界樹の麓へ向かい世界を救うという使命があります。マスターたちの冒険や探索を円滑に進める様々な手段もあります、痛みや感情だって最適化できます。ですが、マスターがいなければただの剣も同然」
「……故に、私はマスターに問いたい。本当に貴方には世界を救う覚悟があるのですか?」
……ベータの無機質で無慈悲な冷たい声。
オルヴェだってその言葉に怒りを覚えないわけではない。
ただその声がこれまでのベータと違って、まるで目の前に垂らされたたった一本の細い糸に必死に縋っているように聞こえた。
「あんたねぇ、いい加減に……!」
「待ってアリシア!」
ベータのあんまりな言葉の数々に我慢の限界を迎えたアリシアが顔を真っ赤にして歪めるが、オルヴェは手を伸ばして彼女とベータの間に割って入る。
改めて向き直った剣の宝玉の表面には、〝死人のような〟土気色の肌と目を背けたくなるほどひどい顔をした少年が映っている……これが今の自分だ。
「……マスター」
「オレは……正直死ぬのは怖い。急にオレが途切れて、身体が思うように動かなくなって、何も考えられなくなるんだ」
仲間たちから向けられる視線やベータの放つ燐光、そして自分の口から出てきた情けない一息にどうしようもない気持ちでいっぱいになってしまう。
……それでも、オルヴェは肺いっぱいに息を吸って勢いよく心の内を吐き出した。
「でも、それよりもみんなを守れないまま倒れる方がもっと怖い。だからオレは獣王ベルゼルケルを倒す、みんなをもう二度と悲しませないために‼」
「……それがマスターの答えですか」
突然群衆の中で大声を上げたオルヴェに通行人たちの視線が集中するが、今のオルヴェは気にも止めない。
澄んだ青空のような瞳を真っ直ぐこちらに向け、聞いているこちらが恥ずかしいような宣言にベータは少し考え込むように黙り込んだ。
そんな答えを待つオルヴェの左肩甲骨をヴィーザルの手のひらが直撃した。
「痛ぁ⁉」
「バーカ、俺たちがそう簡単に死ぬと思ってるのか」
痛みと驚きに顔を上げるとヴィーザルがいつもの皮肉げな笑みを浮かべてオルヴェの首に腕を回してくる。
黙って聞いていれば、と続けてアリシアがオルヴェの空いている右肩に寄り添った。
「私たちだって十年はあなたの無茶に付き合ってきたんだからそんなにヤワでも薄情でもないわよ」
「お前ら……!」
いつの間にか仲間たちはオルヴェの傍に集まっており、みんなどこか真剣な表情で更に言葉を続ける。
「確かに今回のミッションは危ないけど……みんなで戦えばきっとなんとかなるよ!」
「そう言う割には表情硬いぞイリス」
「うぅ! うーちゃんいじわるしないでよぉ!」
「そこ! 勝手に盛り上がらない!」
口の悪いヴィーザルに涙目になるイリス、混乱してきた現場を仕切るアリシア。
目の前で繰り広げられる幼い頃から変わらない光景を眺めていたオルヴェの隣にエドがそっと寄り添って笑いかける。
「東土ノ霊堂でオルヴェくんは自分の命を賭して僕たちを守ってくれた。だから今度は僕たちがお手伝いする番です」
「そうよ!」
だから手伝わせて、と何の迷いもなく伸ばされた小さな手や鎧を纏った手。
オルヴェは自分の手を宙に浮かせたままじっと見つめ、やがて伸ばされた温かい手を絶対に離さないように握り返して、もう一度ありったけの想いを込めて感謝の言葉を告げた。
「みんな……本当にありがとう」
「マスター」
「……ベータ、もう大丈夫だ」
……大事な友達を守れないのが怖い、だったら必ず守ってみせる。
光を取り戻した青い瞳は腰に下げられた剣と、リーダーの指令《オーダー》を待っていた仲間たちに向けられた。
「ミッションを受けよう、昨日の衛兵みたいな人を一人でも助けたいんだ‼」
「へっ、てめぇならそう言うと思ったよ」
「うん! 早く司令部に戻ろう!」
「ああ、ペルセフォネ姫! オレたちもミッションを──!」
司令部に戻ってきたオルヴェたちを待っていたと言わんばかりにペルセフォネは目を輝かせ肩を撫で下ろす。
だが決定的な言葉が青年の口から飛び出す前に司令部の大扉が音を立てて乱暴に開かれた。
「え、衛兵さん⁉」
「何事だ」
「ほ、報告です!碧照ノ樹海にて衛兵長の部隊が襲撃を受けました!そして獣王を追い〝二人組の冒険者〟が樹海の奥に……!」
二人組の冒険者、その単語によってアルゴノーツ内の空気は一変しオルヴェは足をもつれさせながら歩く衛兵に詰め寄った。
「それってオリバーとマルコか⁉」
「そ、そうだが!」
衛兵の言葉を聞いた瞬間、オルヴェの心臓が一瞬止まったかのように震えて全身から嫌な汗が噴き出した。
……脳裏に電撃のように浮かんだのは最悪の光景。
「っ!」
「……! 待てアルゴノーツ! オルヴェ!」
呼び止めるペルセフォネを振り切ってオルヴェを筆頭にアルゴノーツは一目散に碧照ノ樹海に向かって駆け出した!
冷静になって考えれば実力も経験もあるオリバーとマルコの元に行っても力になれる可能性は低い。
でも、オルヴェの全身の張り詰めた神経が、エドの第六感が、アリシアの知識が、イリスの傭兵としての本能が、ヴィーザルの鋭い嗅覚が──猛烈に嫌な予感を訴えてくるのだ。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第六話だよ!今回は第二迷宮『碧照ノ樹海』から帰還〜ミッション『猛獣を討伐せよ!』まで。
第二迷宮『碧照ノ樹海』編は最近書いたのもあって、旧バージョンと比べ大きな展開の変更はありませんが、誤字脱字や表記ゆれ・ミスの修正、オルヴェの設定変更に伴うシーンの書き直しを重点的に行いました。
今回の話も旧バージョンでは一話に収めていた所を分割して再構成しています。
今回は旧バージョンでもオルヴェが冒険者の現実に思い悩む事になる話でしたが、ゾンビ設定が復活したことでオルヴェの悩みがより深く、強いものになりました。
それは彼の仲間たちも同じく、旧バージョンと比べアリシアがオルヴェを心配する理由をもっと強く補強してくれますし、ミッション受領の場面が前よりも滑らかにつながってくれたのが自分としても嬉しい限りです。
意外と元気なコが曇ってるのが好きなのかもしれない……ゆるせオルヴェ!
その曇った子がゆっくりでもいいから立ち直るの、もっと好きだからね!