1
「見て! これ獣王のだよ!」
言葉を口にするよりも早くイリスは茂みに落ちていた真紅の毛束を指差してみせる。
まだ持ち主から抜けて間もないそれをオルヴェは拾い上げ、点々と森の奥へ続く黒く濁ったシミに鼻の穴を膨らませた。
「99・9%『獣王ベルゼルケル』の成分と一致、比例して生命反応も近づいています。マスター』
「じゃあやっぱり近くにいるのか、アリシアの占い通りだぜ!」
「うん! 行こっ!」
「ちょっと! 勝手に走るんじゃないわよもう!」
深層に進むにつれて増える赤い獣王の毛束や鋭い爪に引き裂かれた樹木の幹。
痕跡を見つける度にオルヴェとイリスの走る速度が上がり、後ろからアリシアたちが少し早足で追いかけていた。
「若いって良いわね、ふぁぁ……」
「まぁ、オルヴェくんはせっかちなだけですから」
呟くエドにウィラフは首をうんうんと緩く振りながら未開の森を歩く赤いマントを見上げる。
……オルヴェが一週間ぶりに仲間たちと『再会』したのも数時間前、日が昇ってすぐアルゴノーツは占星術によって導き出された獣王ベルゼルケルの所在を確かめるべく朝露残る碧照ノ樹海へ足を踏み入れた。
様子を見て帰るだけの簡単な調査、されど前人未踏の区域。
早朝の樹海は平和な浅層と何ら変わりないが、奥から漂う纏わりつくような殺気にオルヴェは無意識の内に流れる汗を拭った。
「お前ら遅いぞ! 早くしないと逃げちゃうかもしれないだろ──うげっ!」
「バカ! そう簡単にボスが逃げるかぁ‼」
「オルヴェくーん⁉」
誘導棒か、はたまた木の枝か、右手に掲げたベータをぶんぶん振り回していたオルヴェの顔面めがけて分厚い占星術の本が回転しながらめり込む!
「いてぇ……!」
「全く……ほらここ! さっきの分かれ道ちゃんと描いてないじゃない! 地図が間違ってたら意味ないでしょ!」
「まぁ、そうだけどいくらなんでも本は投げるなよ! 怪我しただろ!」
「スキャンの結果、マスターの身体に負傷は見受けられません。無駄に頑丈ですね」
「無駄ってなんだよベータ⁉ 冒険者は身体が資本なのに!」
「真面目に聞け‼」
ベータに話を振って面倒な説教を回避しよう、なんて浅い考えは全てお見通しだといわんばかりにアリシアの怒号が響き、オルヴェが顔を上げれば呆れたヴィーザルや先に進んでいたイリスも続々と側に歩み寄って来た。
「俺らはチンタラ歩いてるんじゃなくて周りをチェックしながら歩いてるんだよ」
「うぐ……」
「まあまあ……目的地までもうすぐですし、焦らずのんびり行きましょう?」
「最も、俺たちはどこかのアホみたいにむやみやたらに茂みへ飛び込むバカな真似はしないんでな」
「ヴィーザルお前なぁ……!」
「二人ともエドくんを困らせちゃダメだよ〜!」
「こらっ」と叱りつけるエドやニコニコ笑うイリスもお構い無しのヴィーザルをじろりと睨み返しつつ、オルヴェは膝についた草を払った。
……そういうなら、今度は嫌になるくらいゆっくり歩いてやろうじゃないか。
オルヴェがむくれ顔のまま立ち上がったその時、森の奥からいきなり地鳴りと間違うほどの絶叫が響き渡る!
「うわっ⁉」
「きゃっ! 何⁉」
姿は見えないのに身がすくむほどの迫力、木々の中から無数の鳥が礫のように飛び立つほどの獣の咆哮にアルゴノーツはおろか、熟練冒険者のウィラフですらたたらを踏む!
「みんな大丈夫⁉」
「この声、まさか獣王ベルゼルケル──‼」
エドはすぐさま盾を構えて仲間たちの方を振り返り、腰に下げた赤の長剣を抜き臨戦態勢になるウィラフだったがその後も二、三度に渡り耳が破裂するような爆音が響く。
……獣王ベルゼルケルがこちらに気づいたのか。
言葉にせずとも最悪の想像が頭の中をよぎり、全員が武器を構え殺気を纏う。
そんな危機的状況の中でふとオルヴェの険しい眉間が緩み、青い目をゆっくりと見開く。
「……さっきの咆哮、なんていうかおかしくなかったか?」
「マスター〝おかしい〟とは?」
人間を遥かに凌駕する強烈な叫び声、音波攻撃にも等しい獣王ベルゼルケルの絶叫。
だが、その叫びには聞き流す事のできないほど強烈な違和感があった。
「前聞いた時は〝こんなビビった声〟じゃなかった……!」
以前にも獣王ベルゼルケルの咆哮を聞いたが、今のを例えるなら天に助けを求める必死の叫び、あるいは断末魔のような悲鳴。
──オルヴェたち五人がかりでも苦戦した魔獣は、一体『何』に怯えている?
「気のせいじゃないのか──ちょ、オルヴェ⁉」
「オルヴェ! 待って!」
そのままオルヴェはアリシアとヴィーザルの制止の声を振り切り一直線に駆け出した!
オリバーやマルコ、数々の冒険者を食い物にしてきた相手に慈悲や哀れみの気持ちはない。
だが、あの悲痛な叫びを聞いてしまったらもう、オルヴェは着火した花火のように走り出すしかなかった。
「マスター! この生命反応は〝獣王ベルゼルケルのものではありません!〟」
「なっ⁉」
突然目の前に表示されたベータのスクリーンに一瞬転びかけるが、オルヴェは即座に踏み込み速度を緩めて立ち止まる。
「以前のデータと比較した結果、現在探知した生命反応とあまりにも差が大きすぎます!」
「あの時のは手負いだったし、今見たのが本来のパワーじゃないのか⁉ 森の破壊者が一か所に集まっているとか!」
「私のレーダーはこの時代のものよりも遥かに高性能です。同種別個と仮定してもあまりにも極端です」
「それってどういう──」
ベータの意見に思考を巡らせる間もなく、また聞こえてきた大地を揺らす断末魔が響いた次の瞬間、オルヴェたちの前にあった最奥の扉が轟音を立てて破壊される!
「急に走り出して一体何の……うっ!」
直後に背後から息を切らしながらアリシアたちが駆け寄ってくるがすぐに顔を青ざめさせ口を覆った。
「アリシア! ベータ!」
「被害はゼロ、ですが……」
壊れた扉の向こうから土煙と鼻が曲がりそうな、獣と鮮度の悪い血を煮詰めたような悪臭が溢れ出しオルヴェも思わず吐き気を催す。
扉の先に広がっていたのは大きな広間のあちこちに倒れ込んだ無数の森の破壊者の死体、そして血濡れの状態で膝をついた獣王ベルゼルケルであった。
「獣王……ベルゼルケル!」
「……‼」
オルヴェの声が聞こえたのか獣王は身体をふらつかせながら広間に侵入した少年を睨みつけ、忌々し気に低く大きく唸る。
……だがその身体は新米冒険者たちが一目見て分かるほど壊れていた。
既に再起不能を迎えているであろう獣王は二本の足で血濡れた大地を踏みしめ、星型の傷のある額に血管を浮かび上がらせる。
しかして、その気迫は間違いなく碧照ノ樹海を統べる王の風格であり、家臣の死体の山を前にしてもなお冒険者たちを身震いさせる覇気を放っていた。
──もう、長くない。
それを一番理解している相手が自分たちのような『侵略者』をみすみす逃がすわけがない。
「……どうやら逃がしてくれる気はハナからないみたいだな」
「注意して、獣は手負いが一番危険よ」
「レーダーに映る生命力も依然として強いままです」
ウィラフとベータの鋭い指摘にすぐさまヴィーザルが二本の鈍い銀色の歪な剣を抜き、アリシアも赤い星術器にまばゆく煌めくエーテルを集積し始める。
他の仲間たちも次々に臨戦態勢を取り、オルヴェも同じようにベータの蒼光りする刃を正面に向け眼前の王を視界の中央に捉える。
「獣王ベルゼルケル──この前の決着をつけるぞ!」
「──‼」
自身の額に傷を付けた剣に見覚えがあるのか獣王ベルゼルケルも潰れた眼にギラリと光を宿す!
そして新緑の樹海で赤き獣の王と若き冒険者たちがぶつかり合うはず──だった。
肌を冷たく撫ぜる『それ』を誰よりも早く感じ取れたのは数々の死線を潜り抜けてきた経験からか、はたまた幼少期から竜殺しとして鍛錬を積んでいたからなのか。
「みんな危ないっ‼」
──自分の行動を顧みるよりも疾《はや》く、ウィラフはオルヴェたちを横へ突き飛ばした。
2
「⁉ ウィラフさ──」
突然ウィラフに突き飛ばされたオルヴェたちはバランスを崩して草地へと倒れ込む!
なんで、とオルヴェが振り向いた時には既にウィラフは冒険者たちの目の前から一瞬で消えており、代わりに見えたのは胸と腹に巨大な穴を開けて吹き飛んできた獣王ベルゼルケルだった。
「じゅ、獣王──⁉」
「マスター! 皆さん! 伏せて下さい‼」
「な──ぐはっ⁉」
獣王ベルゼルケルはウィラフだけでなく大木や大地を巻き込みながら転がり続け、やがて数十メートル離れた広間の壁に激突した!
咄嗟にエドが地面に盾を突き刺し仲間たちを庇うも猛烈な風圧がエドの体力と気力を一気に削り取る!
「エドッ‼」
「みんな、僕の後ろへ……!」
「ウィラフさん! ウィラ、ごほっ!」
「オルヴェくん⁉ 顔出したら危ないよ!」
透明な風の壁に押され段々と後退するエドを後ろから必死に支え、オルヴェも剣を杖代わりに立ち上がる。
エドが盾の後ろに下がるように呼びかけるが、オルヴェは木くずと砂煙に咳き込みながらもウィラフの名を何度も叫び続ける。
……普段の自信と勇気に満ち溢れているオルヴェの顔は取り返しのつかない事をしてしまった悲嘆と焦燥で歪み、幼なじみのエドですら一瞬なんと声をかけたらいいか戸惑うものだった。
「マスター、落ち着いて下さい!」
「落ち着いてられるか! ウィラフさんはオレたちを庇って……‼」
「ウィラフの生命反応はまだあります! それよりも──‼」
──その時、大地が弾けるような音を立てながらぐらりと傾いた。
「わっ⁉」
同時に降り注いでいた陽の光が遮られ、オルヴェたちの背後から巨大な獣特有の、生温かい鼻息が吹いてくる。
生臭く仄かに鉄の香りがする『それ』はまるで見えない無数の殺気の矢のようで、オルヴェたちの全身を射抜かれたような悪寒が走る。
震える下唇を噛みしめ、武器を構え振り返った先に『それ』は鎮座していた。
ライオンのような青いタテガミにヤギのように曲がった巨大な角、そして拳闘士のように筋肉が膨れ上がった身体を持つ獣面の巨人。
「……どうやら私が探知した異常な生命反応、どうやらこの魔物のものだったようです」
──密林の王、ケルヌンノス。
碧照ノ樹海にいるはずのない、オルヴェたちも図鑑の中でしか見た事のない強大な魔物がそこにいた。
「……まさか、コイツが熊たちをやったのか⁉」
「っあれだけの魔物をたった一匹で⁉」
ヴィーザルが漏らした推理に思わず叫びかけ、エドは咄嗟に自分の口を押さえた。
しかし、ケルヌンノスは冒険者たちの反応を気にも止めず、血で濡れて赤くなった拳を乱雑に振るう。
その度に赤と黒の毛が混じった生臭い液が降り注ぎ、冒険者たちは喉から込み上げるものを必死に奥へと押しやる──よく見れば周囲の森の破壊者の死体にはどれも拳の大きさと同じくらいの穴が開いていた。
「……逃げるわよ」
「アリシア?」
……最初に星術器の電源を落としたのはアリシアだった。
ウィラフを見捨てるという判断に驚いたオルヴェが勢いよく振り向くが、アリシアはその何倍も早く彼に詰め寄り、声を荒らげてまくし立てる!
「どうするも何も、ウィラフさんもやられちゃったし私たちじゃ、かないっこないわよ⁉」
「っでも……!」
少女の言葉に反論しようとしたオルヴェだったが、喉奥にぐっと意見を飲み込んだ。
……アリシアは震えていた。
冷や汗を流し顔を青ざめさせヒステリックに呼吸を乱しながら睨みつけている。
だが赤い瞳は今も理知の光で輝いており、彼女の視線はオルヴェたちでもなければ背後のケルヌンノスでもないもっと遠く……〝戦いの先〟を見据えている。
「──バイタル低下を確認、ウィラフへの治療を開始しなければ十分以内に心肺停止に陥ります」
「今回は衛兵隊を呼んでいる暇はないってことですか……」
「だが熊を皆殺しにしたケルヌンノスがみすみす俺らを逃がすか?」
「……〝だから〟どうしようもないのよ」
ヴィーザルの指摘にアリシアは唇を強く噛んで沈黙するが、ヴィーザル自身も苦々しい表情を浮かべて俯いている。
ケルヌンノスはアリシアが踏んだ木の枝の乾いた音に呼応するように赤い双眸を向け、崩れた林と獣王ベルゼルケルの下では今もウィラフが生死の淵を彷徨っている。
口にしなくても全員分かっている──逃げても逃げなくても、進む道は茨の道だ。
(畜生、こんな状況なのに、リーダーなのになんにも思いつかないなんて‼)
オルヴェはアリシアほど賢くはないし、ヴィーザルのように冷静ではない。イリスやエドみたいな爆発力や協調性があるわけでもない。
──だけどこの状況で黙っているなんてアルゴノーツのリーダーとして、何よりレムリアの宝剣に選ばれた勇者がこんな弱腰じゃあ格好悪すぎる!
「……なぁベータ、今のオレなら『アレ』使いこなせると思うか?」
「アレ、ですか」
──オルヴェの青い瞳の中で蒼い剣が星のように煌めいた。
「ああ……『第一の鎖』だ」
「ンだと⁉」
ヴィーザルが蜂蜜色の目を見開き、アリシアが「ダメよオルヴェ! 」と顔を真っ青にして縋りついてくる。
「マスターの現在の力量から推測すると出力はおよそ50%程度でしょう。勝率はもっと低い」
「っ……」
「ですが──それは〝以前のマスター一人〟での場合です」
「‼」
「誰かがウィラフの治療にあたり、残りのメンバーを含めてケルヌンノスと交戦した場合なら……可能性があります」
淡々と冷酷にも聞こえる正論を告げながら、ベータの蒼翠の宝玉が目のようにアリシアたちの方へと向けられる。
「……それに、マスターは毎晩『彼』の元で修行していますよね。なら──不安はないでしょう?」
自分たちを蒼く照らす光はまるで、英雄譚に出てくる勇者を見るような期待で満ちている。
……そんな〝目〟で見られたら、恐怖も不安も吹き飛んでしまうじゃないか!
恐怖と不安でくすぶっていた闘志に火がついてからのアルゴノーツは早かった。
「っよし! じゃあ誰かがウィラフさんの治療に当たらないと!」
「オレが! ベータならすぐに治せるし……」
「ダメ! ベータを使えるあなたがいないとまともに戦えないわ‼」
「ウィラフさんのことは僕に任せて、すぐに向かいますから!」
「頼んだ!」
ウィラフの救護を担当するエドは荷袋を破りエプロンのあちこちに薬品や包帯を詰めて、それ以外の物資をオルヴェたちは素早く己の懐へねじ込み武器を抜く。
……少年少女たちの身体に血の気が戻るのを見届け、ベータはもう一度オルヴェを見上げる。
あれだけ悩んでいた少年の顔は既にヒーローの顔になっていた。
「マスター、私の力を使う上で一番肝心なのは心の持ちようです……ご武運を!」
「ああ──やろう!」
……オルヴェの全身に漲りだした力は以前と違い、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいた。
3
エドがウィラフの方へと駆け出すと同時に、ケルヌンノスは咆哮を上げ屈強な下半身の筋肉を異様に膨張させる!
「させるかっ!」
「いけっ! 〝オレ〟‼」
即座にアリシアの肩にある星術器の『あぎと』の様な収束機が大口を開き、獣の脚部へ何本もの氷柱が一斉に掃射される!
氷に切り裂かれた鮮血が赤い線のように散り、続いてオルヴェの剣から飛び出した蒼光の残影がケルヌンノスの前へ立ち塞がる。
ケルヌンノスがまるで路肩の小石を蹴飛ばすかのように脚や腕を一振りすると、それだけで氷柱と残影はバラバラと霧散した。
……だが、ケルヌンノスはレムリアの宝剣が持ち主の闘志で無限を超える事も、空気中に無数のエーテルが存在する事も知らない。
「マスター上です!」
「分かってるって、よっと!」
ベータの声に合わせオルヴェは振り下ろされるフックの連撃を紙一重で回避しながら広間を脱兎のごとく走る。
『第一の鎖』の解放で強化された身体能力は以前よりも格段に強く、持続時間も長くなっているが短時間で決着をつけるに越した事はない。
ヒットアンドアウェイを繰り返す少年を踏み潰そうとする巨大な足に横から飛んできたエーテルの雷光に撃ち抜かれケルヌンノスは激痛に身悶える。
「───‼」
「どうやら雷が苦手なようね……さて、私の術とあなたの体力、どっちが先に尽きるかしら?」
オルヴェが残影と本体で仲間たちへの攻撃を逸らし、星術器をギラギラ輝かせながらアリシアは眼前の怪物を見据えた。
その攻防の合間を縫ってヴィーザルが毒を塗った投刃を投げつけて支援し、イリスの鋭い槍がケルヌンノスの身体に何度も突き刺さる。
……そんな彼らを背にエドは腰ポーチから治療に不必要な物品を投げ捨てつつ獣王ベルゼルケルの死体の方へ走る。
「ウィラフさん! っくそ……!」
どこから腐臭を嗅ぎつけたのか死体の周囲では親指大のハエが飛び回っており、それらを剣で追い払いながらエドは茶色の目を凝らす。
獣王ベルゼルケルの身体の下、赤黒い海の中に力なく横たわる金の輪をはめた腕は既に土気色になり始めており、まだ息があると知っていても目の前の光景に心臓が止まりそうになる。
「っ大丈夫、すぐ助けますから!」
エドは外に出ているウィラフの腕を縛ると盾と盾用ジャッキを地面と死体の間に突っ込んでジャッキを起動させる。
──押し潰されている相手を急に引き抜くと後でショック死する可能性がある。
エドは冒険者ギルドの講習で聞いた曖昧な知識を辿りながら慎重にジャッキを上げ、その間にも後ろから響く剣戟と衝撃音は止まず強まる動悸をぐっと喉の奥へと押しやり手元に集中した。
瀕死の怪我人に失われた退路、そして冒険者になって一ヶ月も経っていない者たちが相手にするにはあまりにも強大すぎる魔物。
……だとしてもアルゴノーツは引き下がるわけにはいかなかった。
「──‼」
「とおぉ──りゃぁぁっ‼」
度重なる残影と星術の妨害に歩みを止めたケルヌンノスめがけて、槍と共にイリスが裂帛の雄叫びを上げながら飛び降り頭蓋に両刃の槍を突き立てる!
「っ硬ぁ……!」
しかし、鋭い切っ先はケルヌンノスの脳漿を抉る前に背中と首を覆う青いタテガミによって受け止められていた。
例えるなら巨大な石柱に向かって全力で『突き』を入れたような衝撃、痛みを伴う痺れに指先も両顎も震えが止まらない。
(なにこの頑丈さ……穂先が割れそう)
「イリスッ!」
「うん、大丈夫! でも早く取らないと……!」
木の上から呼びかけてきたヴィーザルにイリスは軽く頷きつつ、すぐさまポシェットからナイフを取り出すと槍に絡みつく毛を切断し始める。
青い剛毛はまるで木の根のように槍に絡みついており引いても押してもビクともしない、更に下から聞こえてくる剣戟がイリスを次第に焦らせ冷えた汗が額を流れ肌に触れる空気もまるで火傷しそうなくらい熱く感じる程──〝熱い〟?
「な、ベータ……なんかおかしくないか?」
「おかしい、ですか?」
「妙に暑いというか、熱い──」
異様な熱気を感じ取ったのは地上でケルヌンノスを陽動するオルヴェとアリシア、そして投刃を構え潜伏していたヴィーザルも同じく、突然攻撃をやめその場でうずくまった魔物の方を振り向き──冒険者たちは息を呑んだ。
「──ケルヌンノスの角が燃えてる⁉」
ケルヌンノスの頭にある象牙色の巨大な螺旋の双角、それが火の粉を纏い、まるで焼けた鉄のように赤熱していたのだ。
「拳一辺倒じゃねぇのかよ……!」
「150……300……現在温度急上昇中。マスター、このままだと我々も発火します」
「おいおい冗談だろベータ⁉」
「っや、やだやだ! わたし死んじゃうの⁉」
このままだと焼け死ぬ、その事実はイリスをパニックに陥らせるには十分で顔を引き攣らせた少女は槍をなんとか引き抜こうと必死になって力を入れている。
「早く抜けてよっ! 頼むからぁ‼」
「おいイリス! 槍はいいから早く降りてこい!」
「頭の上から早く降りろーっ‼」
我に返ったヴィーザルが樹上から腕を伸ばすも、地上からオルヴェが大声で呼びかけても、もはやイリスには返事をする余裕はない。
その間にもケルヌンノスの角はどんどん熱を帯び、オルヴェは滝のように流れてくる汗を拭うとベータを握る両手に力を込めた。
(落ち着け、今一番ヤバいのはイリスだ……! こうなったら──)
……オルヴェ唯一の遠距離攻撃──剣に残影を纏わせて遠くに飛ばす剣技『ミラージュソード』なら少女をケルヌンノスから降ろせるかもしれない。
それでも危機的状況とはいえ仲間に、妹同然の相手に刃を向けるなんて──!
「イリス! 目つぶって!」
「アリシア!」
オルヴェの迷いよりも速く背後から飛び出してきたアリシアは迷う事なくエーテルの冷気を纏った手のひらをケルヌンノスの頭に向けた!
「氷の──」
詠唱が始まると同時にすぐに占星術師の少女の周りにある大気がチリチリと音を立て凍り付いていく。
だが何度も電撃を浴びたケルヌンノスは星術器が稼働する音を聞き、忌々しげに唸ると地上の冒険者たちの方を睥睨する。
ルビーのような赤い双眸が一瞬ぎらりと光って──直後、アリシアの動きが止まった。
「ひゅ──⁉」
「っアリシア⁉」
喉を押さえ膝をつく少女の肩をオルヴェが咄嗟に抱え、同時に詠唱が強制的に中断され行き場のなくなったエーテルが暴走し星術器から「ぼん」と大きな黒煙が上がる。
面食らった顔のままアリシアが舌と口を動かしてもひゅうひゅうと空気が漏れるだけ。
……まるで、白く細い喉を透明な手で絞められているよう。
「スキャン完了。先ほどの光による軽度のショック状態と診断」
「もしかして喋れないのか⁉」
「……!」
「……チッ! ああもう面倒くせぇ!」
「ヴィーザル⁉」
聞き慣れた舌打ちの直後、オルヴェの目の前の地面に歪な形をした双剣が突き刺さる!
ばっと見上げれば黒い外套を纏ったヴィーザルがケルヌンノスの頭めがけ飛び移っていた。
……次の瞬間、焼け鉄のように白熱していたケルヌンノスの双角が一際大きく輝いて──何も聞こえなくなった世界の空を真紅の炎が包み込んだ。
咄嗟にアリシアに覆いかぶさったオルヴェの上を灼熱の空気の濁流が吹きすさぶ。
「──ヴィーザル! イリス!」
「……‼」
ケルヌンノスの頭上にいたイリスと助けに行ったヴィーザルはどうなった?とオルヴェが面を上げ──燃え盛る黒い外套が地面に落ちる。
火に包まれた人間大の塊にオルヴェの全身から血の気が一気に引いて、アリシアは無音のまま絶叫した。
(オルヴェくんたちは無事だろうか……)
……ケルヌンノスの角が燃え上がるのを目撃した瞬間、エドも盾を持ってオルヴェたちの元へ駆けつけようとした。
だが、ぬるりとした血液の感触にすぐさま自身の成すべき事が頭の中をよぎって、歯を食いしばったままその場に留まる。
「ウィラフさん、もうすぐ、もうすぐだから……!」
ジャッキによってゆっくりと獣王の身体と地面に隙間が開き、遂に奥の方で血まみれのままぐったりと横たわっているウィラフの顔が見えてくる。
太陽の光が差し込んでも死んだように動かない……それでも、彼女の呼吸はまだ続いていた。
エドはすぐに剣で土を掘って隙間を作るとウィラフの顔を手で支えて慎重にメディカを傾ける。
大半はこぼれてしまっているが、少しずつウィラフは舌や喉を僅かに上下させながらメディカを飲み干す。
「これで一安心、次は──え?」
……エドが一息ついた直後、近くの茂みから鎧のような甲羅を纏った丸い獣〝たち〟が転がり出た。
「──ぐふっ!」
「っ‼」
涙も出ないままふら、とオルヴェも意識が遠のきかけたと同時に上から木の枝をベキベキとへし折りながらコートのなくなったヴィーザルとイリスが降ってきた。
「⁉ おまっ、ヴィーザル、イリスッ!」
「お、オルヴェく、オルヴェくぅん! アリシアちゃん!」
「クソ……おいイリス早くどけっての!」
泣き腫らした目のままイリスは煤まみれのヴィーザルの腹から退けるとアリシアの胸に飛び込んでそのまま強く抱き合う。
オルヴェが倒れたヴィーザルの手を引くと褐色の顔が苦痛に歪む。
……よく見れば黒いブーツ越しにも分かるほど彼の左足首が大きく膨れ上がっていた。
「! ヴィーザル、足が」
「いい、動ける……だがもうハイドクロークは無理だぜ」
ヴィーザルに促されオルヴェが目をやると焼けた外套は既に灰となりつつあった。
……イリスは槍を失い、ハイドクロークはもう使えない、エドもいない以上けが人のヴィーザルを前線に出すのは危険極まりない。
更にぷつ、とオルヴェの鼻の奥から生温かい粘液が垂れてくる。
「マスター、第一の鎖の稼働時間が五分を超過しています」
「分かってる……持ちこたえてやるよ」
そう言ってオルヴェは剣の柄を強く握り直し誰よりも前へ躍り出る……限界が近いのは分かるが、戦う力はまだ残っている!
「っ来る!」
「────‼‼」
ヴィーザルの合図と同時にケルヌンノスは森を震わせるほどの雄叫びを上げる。
次は拳かそれとも蹴りか、耳が割れそうな咆哮から即座に距離を取るオルヴェたちだったが──ケルヌンノスは何もしなかった。
(……仕掛けてこない?)
首を傾げたのも束の間、茂みから一匹の獣が飛び出してきた。
角状の突起に、ピンクの皮膚とつぶらな二つの瞳、太く短い小さな手足。
そして何より特徴的だったのが全身を覆う甲冑のような甲羅だった。
「……なんだコイツ」
「ちょっと可愛いかも……?」
犬猫と比べれば少し大きいものの、短い手足と身体を丸めてコロコロと転がってくる〝ボールのような獣〟に思わずイリスの頬が緩む。
「あ、もう一匹出てきたよ!」
「敵……にしては妙に丸っこいな」
転がってきた個体をヴィーザルが蹴り飛ばすと魔物は「ぴきゅい! 」と悲鳴を上げて茂みへ吹っ飛ばされる。
「あっ⁉ ひどいようーちゃん!」
「なにが『ひどい』だよイリス、ん?」
ヴィーザルは頬を膨らませて文句を垂れるイリスにべっ、と舌を出して挑発していたが不意に聞こえた葉擦れに即座に振り向く。
先ほどの丸っこい魔物を蹴り飛ばした茂みから同じ姿の魔物が〝二匹〟現れた。
「……ベータ、なんかおかしくないか?」
「生命反応を多数検知しました、全てこちらへ向かってきています」
ベータの報告の直後、広間の四方八方の茂みから一斉にヒーラーボールたちが転がり出てくる!
五、十、いやそれ以上は確実にいるであろう魔物たちはわらわらとオルヴェたちの背後やケルヌンノスに加勢するように集まりだした!
「⁉ ぅぅっ!」
「わ⁉ あ、アリシアちゃん一体なにが──」
ヒーラーボールたちからゆっくり距離を取ろうとすると突然アリシアがイリスの腕を強く引いて唸る。
少女の指差した先にあったのは、ウィラフを助けに行ったはずのエドが襲い来る丸い甲羅のある獣を必死に追い払おうとしている姿だった。
「エドまで……! クソ、あの距離じゃ投刃が届かねぇ」
「わたしが助けに……!」
「いや、イリスはアリシアを頼む! ヴィーザルは援護!」
「オルヴェ⁉ ックソ!」
腰の替えの槍刃を大剣にしようとするイリスにアリシアを任せ、オルヴェはもう一度全力疾走する。
……師匠《ディオスクロイ》から教えてもらった素早く全体を斬りつける技『ブレイブワイド』、これなら自分が届かなくても残影ならエドを助けられるはず!
「……行くぞベータ、『ブレイブ──!』」
「マスター! 左‼」
「⁉ な──あぐぉっ‼」
ベータの警告よりも早く、オルヴェが回避動作を取るよりも速く、ケルヌンノスの大岩ほどある拳が少年の横っ腹に直撃した!
まるで馬車が弾き飛ばした石礫のように吹っ飛ぶオルヴェにヴィーザルたちの息が止まる!
「っオルヴェ!」
「……げほっ! はぁっ、この!」
「アリシアちゃん⁉」
「よくもエドとオルヴェを……っ‼」
大剣片手に肩を貸してくるイリスを払い、アリシアは咳き込みながら立ち上がると煙を吐き出している星術器に拳を一発ねじ込んで再起動させる!
星術器が弾けんばかりに唸りを上げ、わなわなと怒りに身を震わせ顔を真っ赤にしたアリシアはケルヌンノスとヒーラーボールめがけてエーテルの紫電を走らせる!
「なっ……嘘でしょ⁉」
──エーテルの落雷はケルヌンノスの腕を確実に貫いた、だというのにケルヌンノスの拳には傷一つ付いていなかった。
(手ごたえが軽すぎる……まだ奥の手が?)
「アリシアちゃん危ないっ!」
「きゃっ‼」
そのままケルヌンノスは立ち止まったアリシアめがけ拳を振り下ろし、それよりも速くイリスが身体を潜り込ませアリシアを抱えたまま横へ跳躍する!
「っ行かせるか‼」
回避に必死で受け身を取れなかった二人を追わせまいとケルヌンノスめがけヴィーザルが投刃を放つが、獣の王を護れといわんばかりに転がってきたヒーラーボールたちに突き刺さってしまう!
……邪魔と足首の燃えるような痛みに舌打ちと脂汗が勝手に出てくる。
「うーちゃん‼」
「クソ! 哺乳類のくせに鎧なんか纏いやがって……!」
獣たちは目潰しと睡眠毒に立ち往生しているようだが硬い甲羅のせいで大したダメージにはなっていない。
アリシアも近づこうとしてくるヒーラーボールたちに稲妻走らせるが星術器からは長くは持たないといわんばかりに焦げた異臭が漂っていた。
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「がっ! あぐぅ‼」
ケルヌンノスの横薙ぎを受けたオルヴェは糸の切れた人形のように宙を舞いそのまま二、三度跳ねてから地面に叩きつけられて止まった。
「マスター!」
「‼ ……ぉ、ゔぇぇ……! げぇっ!」
大丈夫だと言いたくても脇腹の鎧はぺろりと剥げており、酸っぱい赤混じりの胃の中身が止めどなく溢れ出てくる。
「……打撲多数、骨折数か所に加えて『第一の鎖』解放が間もなく限界に達します」
「そ、そんな……‼」
──最悪な事に切り札の『第一の鎖』の解放も間もなく終わってしまう。
だが、今のオルヴェには流れてくる涙や鼻血を拭うために腕を動かす事すらもできない。
……エドやヴィーザルだけではなく自分までも負傷した絶体絶命の状況、果たして自分にケルヌンノスを倒しウィラフを救える道があるのだろうか?
「……マスター、少し提案があるのですが」
口だけで動かない体、鈍い心拍、打ちのめされた顔つき──ここらが潮時だ。
彼は頑張ったが、それでも自分《ベータ》の期待を満たすには足りなかった。
「……マスター、身体の主導権を明け渡してもらえますか」
「しゅど……?」
「ええ、貴方はここで倒れてもいいかもしれませんが私には大切な使命がある。……私に身体《ボディ》を渡してくれればこの状況も、仲間の命も、貴方の夢も、必ずなんとかすると誓いましょう」
──文句のつけようがない取引だろう。
オルヴェと一緒にいてしばらく経った。
彼が仲間を大切にしている事、責任感が強い事、英雄に憧れている事、彼の考えている事は全て手に取るように分かる。
……人類全体の傾向として、命の危機が迫り、自分が助かるためならばどんなに細い蜘蛛の糸にだって縋りつくものだ。
それにオルヴェは以前『死』を身を以て経験した人間だ。
あの恐怖を乗り越える精神の持ち主はそうそういない。
だからベータは待った。
少年が首を縦に振る瞬間を。
「……いい……まだ、戦える」
「何故? 内臓にもダメージを受け、今にも倒れそうなのに何故まだ戦おうとするんですか?」
私なら貴方《オルヴェ》をもっと上手に使える、と言いかけてベータは口を噤んだ。
全身傷だらけ、どんな熟練の戦士でもこんな状況に陥れば笑っていられるはずもないのに。
「だって、まだ負けてないだろ……オレは‼」
涙に濡れた少年の目は遠くで暴れるケルヌンノスをまっすぐに捉えている──そう、未だに闘志を燃やしていたのだ。
「今もアリシアやエドたちが戦ってるのに、オレだけ死んで! お前に任せて楽するなんてリーダーの風上にも置けない! 頼むベータ、力を貸してくれ‼」
痛みに呻きながらオルヴェは剣を杖代わりに立ち上がる。
メラメラと輝く青い瞳に映った翠の宝玉はわずかに明滅し、やがてため息のような音を鳴らした。
「一つだけ方法がありますが、この技を使用すると私はしばらくの間スリープモードへ移行します」
「! ……協力してくれるのか⁉」
「よく聞いて下さいマスター、私がスリープモードに移行すると貴方は『残影』を出せなくなります。私が再度目覚めるまで持ちこたえる、あるいは相手を倒せる自信と覚悟があるのなら──手を貸しましょう」
最後は小声で言葉を紡ぐとベータは選択を待つように黙り込み、オルヴェは迷う事なく剣の柄を強く握りしめた。
「……ありがとな、ベータ……絶対勝つぞ!」
直後ベータの宝玉が瞳孔のように収縮すると三角盾のような部品が形作られ、蒼い剣が差し込まれると剣は二つに裂け、一つの巨大な大剣へと形を変えた。
立つのもやっとだったオルヴェの身体に『第一の鎖』と同じ力が漲り、空色の光の帯と粒が全身から立ち昇ってくる。
……今なら、行ける‼
「──貴方の前に立ち塞がるものを思い浮かべ、私を振り抜いて下さい、全力で‼」
「はあぁぁぁぁ────ッ‼‼」
オルヴェは甲冑に包まれた右足を大きく踏み出し、肩に担いだ大剣を両腕だけではなく全身で、残った力全てをこの一撃に結集させて一気に振り抜いた!
瞬間、蒼い刃と盾が弾けるように無数の輝きとなって一斉に広間へと放たれた!
……星術で焼いても大剣で叩き伏せても投刃で動きを止めても、倒しても倒してもケルヌンノスに呼ばれて湧いてくるヒーラーボールの群れ。
ヒーラーボールの使う神秘の術がケルヌンノスの弱点である雷を防ぎ、せっかく与えたダメージをみるみるうちに癒す。
その一方で戦場に残された冒険者たちは機動力を削がれたヴィーザル、槍というリーチのアドバンテージを失ったイリス、壊れかけの星術器のアリシアという最悪の状況であった。
「無駄に頭数増やしやがってクソが……!」
「どうしようアリシアちゃん⁉」
「ぁあもう! キリが──!」
アリシアが忌々しげに唸ったその直後、右から夜明けのような碧い光が溢れ出す!
一体なんだ、と振り向けば頬のすぐ横をガラスの欠片のような閃光が尾を引きながら飛んでいった。
「───‼」
「わっ!」
「っ何だ⁉」
──光で形作られた投げナイフのようにも、流星のようにも見える斬撃は何重にも反射しながらアリシアたちの目の前のヒーラーボールを斬り伏せ、ケルヌンノスの身体を貫く!
きぃん、と甲高い澄んだ音を立てながら反射する光の刃は四方八方を飛び交いながら、そのまま広間の端でヒーラーボールと戦うエドの元にも届く!
襲いかかるヒーラーボールが突然真っ二つに断ち切られ、エドはしばらく硬直していたが攻撃がいつまで経っても来ないのに恐る恐るガントレットを下ろし、静まり返った周囲を唖然とした表情のまま見渡した。
「……た、助かった?」
突然現れた乱反射する光の刃が〝自分を避けて〟周囲にいた魔物たちを蹴散らしてしまった。
今度こそオルヴェたちの身に何があったのかと頭をよぎったが、突然獣王ベルゼルケルの下から弱弱しいうめき声が聞こえる。
(⁉ ……まさか!)
すぐにジャッキと死体の間に茶色い頭を突っ込むと先ほどまで声も出せないほどの重傷だったウィラフが呻いていたのだ。
強い圧迫と衝撃による赤と紫の傷だらけだった褐色の肌はまるで〝押し潰されてなどなかった〟かのように健康的な膨らみと艶を取り戻している。
……エドが自分の額に手を這わせてみると、ヒーラーボールがぶつかって腫れていた目元もきれいさっぱり治っていた。
5
「……すげぇ」
目の前の光景にオルヴェは大剣を下ろしてただ立ち尽くしていた。
先ほどまで大量にいたヒーラーボールたちを一掃し、これまでのどんな敵よりも強かったケルヌンノスが、膝をつく……他の誰でもない、自分たちオルヴェとベータがやったのだ。
「あれなんだベータ⁉ ミラージュソードみたいなのが部屋中飛んでって、あ! 怪我も治ってるぅ⁉」
「『第一の鎖』の力を一気に放出し、私に溜め込まれた生命エネルギーで回復させました」
「スゲェなベータ! コレ『ミラクルエッジ』って名前にしようぜ!」
だが、ベータの返事を聞く前に全身に漲っていたはずの力が少しずつ抜けていくのを感じる。
「これよりスリープモードへ移行します……」
「! そうだった」
部屋中にあった光の刃が霧散していくにつれ、ベータの宝玉はだんだんと暗く鈍い色へと変わり声も段々と小さくなっていった。
「私にできるのはここまで、です。後はマスターの力量次第……」
どうかご武運を、と言い終わる前にベータは完全に沈黙してしまう。
「……分かった、必ず勝つよ」
オルヴェは静かに眠りだした剣にもう一度頷いて、剣の刃を鋭く翻す。
抉れたフロアの先にいるケルヌンノスも立ち上がった自分を見つけ、唸りながら手足を揺らす。
部下を失い追い詰められたケルヌンノスが雄叫びを上げ、まずはお前からだとショルダータックルを繰り出してくると同時にオルヴェも地面を蹴り上げた!
「────‼」
「ふっ! はっ‼」
先ほどよりも早く鋭い拳と蹄の連撃が足元をネズミのようにチョロチョロ動き回る『敵』を叩き潰さんと猛スピードで攻防が繰り広げられるが、オルヴェは風切り音が聞こえると同時にしゃがみ、紙一重で躱し逆に蒼い切っ先がケルヌンノスの胴に赤い線を付けていく。
「オルヴェッ‼」
「!」
「こっちだ!一旦来い! ……これがラストだ筋肉野郎‼」
ヴィーザルの呼び声と共に背後のケルヌンノスめがけ投刃が大量に投射され、オルヴェは飛んでくる銀の刃の群れと入れ違いになるように仲間たちの元へ滑り込む!
それごと潰してやろうとケルヌンノスの腕が冒険者を追うが、不意に足がもつれてぐらりと膝をつく。
……ある程度弾いたとはいえケルヌンノスの身体のあちこちには鱗のように銀のナイフが──『睡眠の投刃』が突き刺さっていた。
「……いくら頑丈でも一気に投与されたら流石に効くだろ」
「ヴィーザル! 助かった、ってうわ⁉」
「オルヴェぐん生ぎでるよぉ~~! よかったぁ~~‼ あのね、わたしの槍ね、焦げちゃってぇ……!」
「全くもう! 本当に心配したんだから‼」
涙目で飛びついて来たイリスを撫でて宥めているとヴィーザルと鼻と目元を赤くしたアリシアも早足で駆け寄ってきた。
……死の恐怖を〝再び〟味わったのはオルヴェだけではない、心配と安堵の入り混じった表情の仲間たちの姿に胸の中で闘志と勇気が更に燃え上がる。
「心配かけたな……ところでお前ら怪我は? エドは⁉」
「エドも俺たちも、さっきのよく分からん技で助かったぞ……ベータは?」
「! それなんだけど……あの技『ミラクルエッジ』の反動で寝ちゃって、しばらく起きないって言ってた」
残影もしばらく封印だと告げ、改めてオルヴェがベータを掲げて見せてやると宝玉は先ほどと変わらず暗い青緑のままで、アリシアは剣なのに眠るのかとぼやきつつも仕方がないと肩の星術器を撫でた。
「怪我はどうにかなったけど私の星術は後数回ってところね」
「投刃も薬も在庫切れだ」
「マジか……」
「! エドくんを呼んでくるのは? 確か麻痺の香持っていってたよね⁉」
「! それなら何とかなるかも」
「ま、イリスはもう戦力外だしバトンタッチも良い選択肢じゃねぇのか」
ヴィーザルに軽口を叩かれ「ヒドイ! 」と頬を膨らませるイリスに思わず笑っていると眠りから目覚めた獣の不吉な荒い息が響く。
「……じゃあ頼んだ、イリス!」
「おっけぇ、任せて!」
目配せするとオレンジの瞳の少女はウインクして、すぐさま身一つでオルヴェたちとは逆の方向へ走り出す。
追おうとするケルヌンノスだったが目覚めたばかりで動きはこれまでよりも鈍く、雷の星術が足の傷めがけて落とされ地上に縫い留められる!
「あんたの相手は……私たち!」
続けて二発、三発と星術器へのダメージを顧みない飽和攻撃がケルヌンノスをどんどん後退させていたがケルヌンノスも突然身を低くかがめると再度双角に炎を灯し猛スピードでアリシアの方へ突撃する!
「──そう来ると、思ってたわよ!」
だがアリシアはケルヌンノスの真正面に立ったままその場で身構える!
目を閉じ、静かに手のひらへエーテルを収束させ、煙を吐く星術器がスパークしながらも稼働する。
「星よ、導いて頂戴──『アストロサイン』‼」
ケルヌンノスに轢かれるコンマ一秒前、三属性のエーテルが彗星のように降り注ぎ、急激な温度変化によって燃え盛る角が甲高い音を立ててひび割れ破断した!
角を破壊され絶叫するケルヌンノスをよそに、オルヴェは星術器とアストロサインの爆発で戦前から離脱したアリシアを受け止めると、すぐにヴィーザルと共に前へ躍り出る!
「こんな、クソ重い大剣振り回すの無理っ‼」
「いいぞヴィーザル! 意外と剣士の才能あるんじゃねぇの!」
「だったら! てめぇがやれよっ!」
褒めてやるとヴィーザルが更に目つきを悪くしながら舌打ちしてきたが、空間を貫くようなパンチを紙一重で躱しながら的確に傷を抉る様は自分にはできない戦い方だ。
傷を更に深くするヴィーザルを拳が狙えばオルヴェが新たに傷を増やし、ちょこまかと動き回るオルヴェを踏みつぶそうとすればヴィーザルが更に重傷を負わせる。
角という攻撃手段を失った焦りといらだち、そして長時間の多数相手の戦闘で疲労が溜まったのか、遂にケルヌンノスが草地にうずくまる!
「オルヴェ! 今だ‼」
「うおぉぉぉ‼」
ヴィーザルの掛け声に合わせ、オルヴェは急ブレーキをかけ、足へバネのようにしならせると一気にケルヌンノスへ突撃し剣を振り下ろす!
──だが、渾身の一撃は空を切る。
真正面にいたはずのケルヌンノスは瞬きの内にオルヴェの側面へ回り込んでおり、うずくまった体勢──腕を横に広げ思いきり振りかぶった攻撃姿勢は紛れもなく!
(『クロスカウンター』──!)
避けなければ、咄嗟に頭をよぎるも全力で突撃した身体では重力に逆らえず、成すすべなく前へと倒れ込むオルヴェめがけてケルヌンノスの巨大な拳が振り下ろされる!
大岩を一気に砕いたかのような轟音が広間を揺らし、耳の中で思いきりシンバルをぶつけ合わせたような痛みにオルヴェは耳を押さえて硬直していた。
しかし、それ以上の衝撃が三秒経っても来ず、恐る恐る顔を上げると──
「──オルヴェくん、遅れてごめんね」
「え……エドぉ‼」
尻もちをついたオルヴェに向かって、パラディンの奥義『完全防御』を展開し拳と自分の間に割って入っていたエドが口角を上げていた。
「ウィラフさんのことはイリスちゃんに任せて、来たよっ!」
エドはぐっと全身の筋肉を膨らませ、完全防御を展開したまま盾でケルヌンノスを殴りつける!
渾身のカウンターを『シールドスマイト』で返されたケルヌンノスは今度こそ地響きを立てながら巨体を地面へ叩きつけ、オルヴェもエドの肩に支えられて身体を起こす。
「……決めよう、オルヴェくん!」
「おう!」
最後の力を振り絞り、ケルヌンノスが雄叫びを上げる。
木々をなぎ倒し、泉を踏み抜きながら疾走する姿は傷だらけなのに一切筋肉の膨張が衰えない身体にどれだけの力が残っているのか想像するのも恐ろしい。
だが冒険者たちは怯まず獣の猛撃を躱し、防ぎながら密林の王を追い詰めてゆく。
星術の使えなくなったアリシアはメディカやアムリタで支援し、ヴィーザルとエドは身軽さと重装備で身を挺して攻撃を逸らし、ベータのいない穴を仲間たちに任せ修行の成果を示すように戦場を舞い剣を振るうオルヴェ。
……しかし力任せで直線的な少年の猛攻にケルヌンノスはわずかに目を細めるとそのまま攻撃を受け続ける。
「これで──‼」
「……!」
背後に潜むオルヴェが見えたのか、ケルヌンノスは少年がこちらへ飛び込むと同時に再度両の拳を交差させ『クロスカウンター』の構えを取る!
……その頭上を一つの黒い影と香袋が飛ぶ。
「────⁉」
「『麻痺の香』だ……カウンターなんぞさせるかよ!」
黄金色に輝く粉と煙がケルヌンノスの頭上に降り注ぎ一瞬の内に巨体の神経が鈍い痺れに侵される。
まずい、防御を、ケルヌンノスが無理矢理丸太のような腕を空にかざすよりも疾《はや》く、蒼を纏った翠光が額を貫いた。
……それから一拍遅れて、ケルヌンノスの巨体は若草の大地に崩れ落ち、二度と動き出す事はなかった。
6
……オルヴェが伸びをしながら青空を見上げると既に太陽は頭上を通り過ぎて、小鳥の唄とそよ風の吹く静かな森に戻っていた。
「みんな凄いよ! 本当にケルヌンノスを倒しちゃった!」
「まぁ、あたしたちなら当然よね」
「それはともかく早いとこウィラフさんを運ぶぞ」
オレンジの瞳をキラキラ輝かせ、二つのおさげをブンブン振り回しながらスゴイスゴイと跳ねるイリスを宥めつつアリシアも満足気に頷いてみせる。
エドとイリスの手によって獣王ベルゼルケルの下から救出されたウィラフは未だに意識が戻らないが、大事には至っておらず規則正しく呼吸を繰り返す姿に、あの時庇われてからオルヴェの胸の中にあった大きなしこりが取れた気がした。
「ところでオルヴェくん、ベータさんは……?」
「ああ、実はベータなんだけど」
事情を知らないエドに必殺技『ミラクルエッジ』を使った反動で眠ってしまった、と説明するべく鞘からベータを抜いてみせると濁っていた宝玉がわずかに明滅する。
「ん? ベータ──ってうおぁぁ⁉」
オルヴェとエドが覗き込んだ直後、蒼い剣身と翠の宝玉が煌めき、獣王ベルゼルケルとケルヌンノスの死体が光の粒子となってきらきらと空へと舞い上がり、宝玉の方へと吸い込まれる!
「オルヴェくんなんですかこれ⁉」
「ちょっとオルヴェ⁉ どういうことぉぉぉ⁉」
「うわぁぁぁぁ‼ 知らねぇぇぇぇぇ‼‼」
何があったのかと驚愕混じりに叫んでくる仲間の声を、掻き消すほどの暴風を巻き起こしながら宝玉が激しく明滅する!
……やがて、圧倒的な吸引力で獣王ベルゼルケルとケルヌンノスだった光の粒子を吸い尽くし、甲高いチャイムと共にいつもの無機質な声が聞こえてきた。
「エネルギーチャージ完了。数件の権限ロックを解除しました」
「「……はぁ?」」
冒険者たちは五秒ほど硬直し、一斉にオルヴェが握る剣へ詰め寄った。
「ベータぁ‼ さっきのアレはなんだ⁉ ってどういう目覚め方なんだよ⁉」
「どーすんだよオルヴェ⁉ まだ剥ぎ取ってもないのに魔物が光になったぞオイ‼」
「落ち着いて下さい。順を追って説明します」
まくし立ててくる冒険者たちに、ベータは可哀想なものを見るような目でため息をつくと宝玉からホログラムを空中へ投影した。
「私は有機・無機問わずあらゆるエネルギー源を吸収し、自身やマスターのエネルギーへと変換できます。先ほど皆さまが見たのもそれでしょう」
……まるで「食べたら出すものだろう? 」とでも言いたげに、ベータは無感情に言い切った。
それ、という言葉にオルヴェの脳裏に光の粒になってベータに吸い込まれていった獣王ベルゼルケルやケルヌンノスの姿がよぎる。
……一瞬だけ、〝ベータがその気になれば自分たちも|ああ《﹅﹅》なるのではないか?〟と薄ら寒いものも浮かんだが、オルヴェはすぐに頭を振って考えなかった事にした。
「私が破損状態であり、多数の権限や能力がロックされているのは以前お話しましたね? そのロックを解除する方法の一つが貯蔵エネルギーを対価に修復するものです」
「そんなことが可能なの?」
「霊堂といい守護獣といい……古代レムリアどうなってるんだよ」
「ってことは、強い魔物を倒したらベータの封印がどんどん解けるってことか⁉」
「そのように考えてもらって構いません。最も、樹海を徘徊している魔物程度では多量の生命エネルギーを回収できませんがね」
「うぉぉぉ‼ すっげぇ‼」
淡々としながらもまるで夢のような話に疲労がにじんでいた冒険者たちも少しずつ目を輝かせ、特にオルヴェに至っては説明だけで食い気味に歓喜の言葉を漏らしていた。
樹海の強い魔物を倒してその力を取り込む……まさしくロマンの塊な設計にオルヴェの脳内では既にベータ片手にまだ見ぬ迷宮のヌシたちを倒す妄想で溢れていた。
「ふふ、あなたの設計者って結構ロマンチストだったのかもね」
「ロマンですか……実現可能かどうかは分かりませんが、マギニアの発電所から電力を取り込めば効率よく多くの権限を解除できるでしょう」
「え⁉ 流石にそういうのはちょっとダメじゃないですか?」
「そうだぞベータ! 人を困らせてまで強くなるのは違うぜ!」
「……強くなるのはいいけど今回大赤字だぞ?」
盛り上がるオルヴェたちに割って入るようにヴィーザルは声を低くしてさっきなんとか回収した双剣──真ん中から完全に折れて使い物にならなくなった──を見せつけてきた。
「あー、確かに……今回の戦いは損害が多かったですねぇ」
「薬代でしょ? それにオルヴェとエド以外は武器買い替え、ってはぁぁぁ……」
「ま、まあ全部食われたわけじゃないし! ほら角とか爪は残ってるじゃん!」
「どちらも状態は粗悪ですよ、マスター」
「テメェが言うなお喋りソードが‼」
「まぁまぁヴィーザルくん落ち着いて……」
渾身のフォローを水の泡に返すベータにオルヴェも呆れつつも、胸の中では今も高揚感と達成感に満ち溢れていた。
そしてウィラフをベースキャンプへ運ぶ為に立ち上がろうとして尻もちをつき、今になってやっと足が震えだしたのに気がついて幼なじみたちと顔を見合わせると、脱力気味に笑いあった。
「……あれが『彼』の言っていた『レムリアの宝剣』の力、か」
そして自分たちの死闘を、レムリアの宝剣の隠された力を赤髪の剣士ディオスクロイが見ていた事に誰も気がつかないまま、碧照ノ樹海は静けさを取り戻した。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第十二話だよ!今回は第二迷宮『碧照ノ樹海』ボス戦その2まで。
第二迷宮『碧照ノ樹海』編は最近書いたのもあって、旧バージョンと比べ大きな展開の変更はありませんが、誤字脱字や表記ゆれ・ミスの修正、オルヴェの設定変更に伴うシーンの書き直しを重点的に行いました。
今回の話は旧バージョンだと話の分け方が非常に読みにくい形になっていたので思い切って二つの話に分けました。
改めて、第二迷宮『碧照ノ樹海』編はアルゴノーツを動かしやすく、ストーリーも序盤の山場になる迷宮だったので完成するまで結構な時間がかかってしまいました。
先輩冒険者たちとの出会い、ベルゼルケルやケルヌンノスとの死闘を乗り越えアルゴノーツも落ち着くと思うので、次の迷宮からはもう少し読みやすい文字数とテンポで進められる予定です。
そして、今回の話で旧バージョンで掲載していた『ラグナロクの覇者』を全て書き直しました。
最終的に1.5ヶ月ほどかかってしまいましたが最低限の誤字脱字チェックしかしていなかった旧バージョンと比べると非常に読みやすく、更に面白くなっているはずです。
それと……もし心優しい読者の方がいたら……どうか感想をいただけると嬉しいです。 『ラグナロクの覇者』シリーズだけまだネットの感想を貰えていないのが、ずっと心残りでして…どうか作者を成仏させると思って頼みます…!!
最後に、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!