1
「……ねぇヴィヴィアン、オルヴェは?」
「寝てるよ〜」
「またぁ⁉」
その日、麗しい少女の怒号が冒険者たちも大半出かけ、静かな午前が過ぎる湖の貴婦人亭を震わせた。
まだ若い占星術師の少女──アリシアは怒り半分呆れ半分に声を荒げたが、大声に驚き逃走を図ろうとする愛猫を捕獲したヴィヴィアンの姿にハッと我に返る。
「ウャウャ……」
「ちょっとー、猫は耳が良いんだから大声はやめろよなー」
「あっマーリンさんごめんね……それで、オルヴェのことだけど流石にずっと寝てるわけじゃないでしょ?」
「うん。夜中とか早朝とか起きてるみたいだけど~なんかすぐどこか行っちゃうんだよねぇ」
「どこか……ってオルヴェ外出してるの⁉」
「多分」
ヴィヴィアンの真面目にやっているのか分からない受け答えにアリシアはうんざりした様子で片眉を吊り上げながら頭を振る。
一応、彼女の話によればオルヴェが夜中に起きているのをたまに目撃するが、話しかける暇もないまま宿から飛び出して帰ってくるのはアリシアたちが留守のときや眠っている時ばかり。
……朝ならオルヴェが起きているかもしれないと踏んで、早めに探索を切り上げて戻って来たのだがどうやら失敗だったようだ。
「あいつに会えないからってガキと猫に当たるなよ」
「うるさいヴィーザル、人数足りなくて困ってるのは事実なんだから仕方ないでしょ」
「いてっ」
仲間たちの待つテーブルに戻ったアリシアは余計な事を言ってくるヴィーザルの頭を拳で小突くが、整った顔には深い眉間のシワと隠しきれない焦燥が刻まれていた。
目立ちたがり屋で仲間思いなオルヴェらしくない人目を避けるような行動に安穩なエドもため息をつき、パーティの妹分であるイリスは不安そうに橙色の瞳を俯かせていた。
「やっぱりおかしいよね、もう一週間だよ」
「一日二日くらいなら分からなくもないけど流石に、ね」
「この忙しい時にグースカ眠りやがって……」
「ちょっとヴィーザルくん!」
「唯一見てるっぽい目撃者のヴィヴィアンも詳細不明、ベータには聞けない、さぁどうする参謀殿?」
わざとらしいくらいのため息を吐きながら悪態をつくヴィーザルの気持ちも、彼を窘めるエドの考えも分からなくはない。
……碧照ノ樹海で獣王ベルゼルケルを撃破したあの日から一週間。
空席になった支配者の座を巡る争いかそれとも住処を侵略する冒険者たちへの復讐心か、今現在の碧照ノ樹海は凶暴化した熊の魔物が跋扈しており、これまで以上に死傷者が出ているのだ。
欠員の出たアルゴノーツは、協力してくれる冒険者のお陰で何とかやっているのだが、最近では森の破壊者よりも更に強力な熊の目撃情報やマギニアの街外れに野生の狼が現れる始末だ。
獣王ベルゼルケルを撃破したギルドとして他の冒険者や司令部の期待に応える為にもまずは全員揃う必要がある、アリシアはそう考えているのだが頭痛の種が増えるばかり。
両指を組んで難しい顔をしていたアリシアはやがてソファから勢いをつけて立ち上がる。
……少女の双眸が指し示すのは宿の二階への階段だった。
「仕方ないわね、オルヴェの部屋に行くわ」
「えっ」
迷いのない足取りで階段へと歩み寄るアリシアをエドとヴィーザルは両サイドから腕を掴んで引き留めた!
「なっ! なによ⁉」
「出かける前見た時は完全に寝てたぞオルヴェの奴」
「今も寝てると思いますよ⁉」
……緊急事態とはいえ歳の近い異性に許可なく部屋を見られるのは流石にオルヴェがいたたまれない。
二人は顔を引きつらせながら止めようとしたが残念ながらアリシアにその熱意や同情なんて甘っちょろい考えは通じないらしい。
即座にヴィーザルのみぞおちに鋭い肘がねじ込み拘束が緩んだ隙に彼女はするりとコートを翻しながら抜け出した。
「ちょっと調べるだけなら五分以内で済む。ベッドの下覗こうとかタンス漁ろうって訳じゃないんだから」
「待ってよアリシアちゃん! おいてかないで~!」
無慈悲な宣言を口にしながら階段を上るアリシアを慌てて追いかけるイリス。
……もはやエドたちがオルヴェにしてやれる事は彼女たちよりも早く何かしらの証拠を見つけるしか残されていなかった。
「ちょっと良心が痛みますね」
「……オルヴェ、骨は拾ってやるからな」
湖の貴婦人亭は全三階建ての冒険者向けの宿泊施設だ。
一階はヴィヴィアンたち管理人家族の家や食堂が、二階からは冒険者用の部屋が並んでいる。
ずんずんと勇ましい足取りで廊下を進んでいたアリシアはある一部屋の前で立ち止まると丸いドアノブを静かに、静かに捻る。
相変わらず物が散乱している部屋は淡い空色のカーテン越しの日光で水底のようにも見えた。
床に直置きされた鞄、椅子の背もたれにかけられた羽織、机の半分を占領する小石や木の枝――アリシアの自室と比べあまりの散らかりっぷりに頭が痛くなってくる。
……そして一番奥のベッドの上にあるシーツの塊からは規則的な寝息が聞こえてきた。
「ほらな、寝てるって言っただろ」
「なら好都合ね、起こすのも可哀想だしさっさと調べるわよ」
「えっ、入るんですか」
「当たり前でしょ? このくらいじゃ調べた内に入らないわ」
もういいだろ、と言いたげな男子二名の静止も虚しくアリシアは躊躇する事なく部屋に足を踏み入れる。
そのまままっすぐベッドへ向かい一定のリズムで膨らんでは縮むシーツを白い指で捲ると、アリシアの前に少し日に焼けた幼い寝顔が晒された。
「……」
(……寝てる)
アリシアたちが知るオルヴェは動き回っていないと死んでしまうのかと思うほど騒がしい、シーツも枕も蹴り飛ばすものだといわんばかりに寝相も悪い。
そんな少年が今は身体の半分ほどある剣を抱きしめ、まるで胎児のように無防備に背を丸めベッドに身を預けていたのだ。
アリシアが頬を突いてやると薄く開いた口から嫌がるように喃語をこぼしながら眉間にシワを寄せる……この表情は少し癖になりそうだ。
「……なんていうか、オルヴェにしては寝相が大人しいわね」
「ふーん、やっぱ専門家から見たら違うのか」
「はぁ⁉」
「あ、二人とも静かに……!」
ニヤニヤと半笑いで茶化すヴィーザルに即座に噛みついたアリシアを宥めつつ、エドたち四人は改めて少年の部屋を物色し始めた。
サイドテーブルの上にはアンクレットやイヤリングが無造作に転がされ、丈夫な衣類やきらりと輝く青の防具もハンガーや椅子やらいつもと変わらない位置にかけてある。
子供の頃から変わらず物が多いが、怪しげな品やオルヴェらしくない物品があるとか違和感は何一つとして見当たらない。
「もうオルヴェくんが大人しく寝ているくらいしか変なところがないですね」
「よね……あら、イリス?」
そろそろ部屋を出ようかとイリスに声をかけると彼女は壁にかけられた赤色のマントをまるで魅入られたようにじっと眺めていた。
「何かあったのか」
「いやぁ、これって……」
そう言いながらイリスは壁にかけられた赤いマントに付いていた『それ』に上半身ごと手を伸ばすと、三人の目の前に差し出した。
──『それ』は緑色をした細長く平たい葉っぱだった。
「……葉っぱ、ね」
「で、この葉っぱがどうかしたのかよ」
「街に生えているものと変わらないような気もしますけど……なにか分かったんですか?」
まだ枝から落ちて日が浅いのか表面は滑らかで鮮やかな緑色が目を引くが、だからどうしたという風にヴィーザルは鼻を鳴らしながら肩をすくめる。
訳が分からないと言いたげなヴィーザルたちにイリスはうぅんと頭を捻りながら言葉を発した。
「えっと、オルヴェくんはマギニアに戻ってから一回も樹海に行ってないよね?」
「ええ、そうだけど?」
「エドくんとヴィーザルくんも宿に入る時は服を払ってからだよね?」
「うん、だけどそれが──」
イリスの言葉に首を傾げていたエドだったが直後、灰色の垂れ目を大きく見開いて「あっ」と声を上げた。
「じゃあオルヴェくんは〝一人で勝手に樹海に出かけてる〟ってことですか⁉」
「なっ⁉ でも流石に何も言わずになんて──!」
「……ぅぅん」
「‼」
直後シーツの中から不快そうなうめき声が響き渡り、アリシアたちは驚いた猫のように団子になりながら階段を駆け下りたのだった。
2
「オルヴェくん起きるかと思ったぁ……」
「と、とにかく状況を整理しないとね」
テーブルに戻り、未だ跳ねる胸を押さえながらアリシアは額を拭う。
……調べに行く前は半分やけくそ気味の提案だったのだが、まさか本当に部屋の中に証拠があるなんて。
アリシアがカールした金髪を人差し指に纏わせながらチラリと目線をやると、葉っぱを見つけた張本人であるイリスは逡巡しつつも首を縦に振った。
「イリスはオルヴェが黙って外出してるって、そう思うのね?」
「だってひとりでに葉っぱが服につくなんて思えないもん」
「それには私も同感だけど……」
「マーリンさんが勝手に部屋に入って持ってきたって可能性はねぇのか?」
「うーん、否定できなくもないのよね」
両端のアリシアとヴィーザルから矢継早に飛んでくる質問にイリスは自信なさげにだんだん顔を俯かせ、最終的にはソファの上で小さく縮こまってしまった。
「でもマーリンさんの仕業だったら他の場所に痕跡が残ってるはずですから、それはないんじゃないですか」
「じゃあ違うか」
「オルヴェくん……一体何してるんだろう」
エドは自分の隣で自信なさげに丸くなってしまったイリスの背を擦りつつ、改めて謎の葉っぱを日光に透かしてみた。
……全体的に波打って柔らかそうな見た目をしているが、丈夫な葉っぱは四人で回してもまだしっかりと形を保っている。
匂いも質感も作り物とはとても思えない。
「どこかで見たような気がするんですが……うーん」
「クヌギやクスノキじゃないよね、宿の周りの街路樹はイチョウだし」
「こんな葉っぱ一枚を調べるよりも本人を叩き起こせば早いと思うが」
「流石にそれは可哀想でしょ……はぁ、図書館から植物図鑑でも借りてこようかしら」
「──それってシアの木の葉っぱじゃない?」
どこかで見たような、ないような、眉間にシワを寄せて四人で葉っぱを凝視していると、不意に頭上から若い女性の声が降ってきた。
ヴィヴィアンの声でも女将の声でもない、聞き慣れた明るく若い女性の声にアリシアたちはビビったネズミのような動きで顔を上げる!
……声をかけてきたのはなんと司令部で出会った女冒険者ウィラフだった。
「う、ウィラフさん⁉ どうしてここに⁉」
「あなたたちのリーダーがまだ復帰してないって聞いてね、宿の場所を聞いて来たのよ。ほらお見舞い」
「お、おう……」
「もしかしてみんなで伐採の勉強中だった?」
慌てるアリシアたちとは対照的に溌溂とした笑みのウィラフは手に持っていた果物入りの籠をテーブルの上に置くと茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
彼女は件の葉っぱをつまみ上げると懐かしそうに目を細める。
「シアの木ってタルシスにも生えてたんだけど、この島だとあんまりなくてね。『小さな果樹林』にしか生えてないんだ」
「小さな果樹林?」
「ベースキャンプと碧照ノ樹海の間あたりにある初心者向けの『小迷宮』よ」
もうあなたたちも行ってきたのかしら、クスリと笑って小首を傾げるウィラフにヴィーザルたちは曖昧な笑みを浮かべつつゆっくりと目を逸らし素早くテーブルの端に集合する。
「……『小さな果樹林』なんて知らねぇぞ」
「でもこの葉っぱってその、小迷宮にしか生えてないんですよね?」
「ああ……マジで意味が分からん」
声を潜め、難しい顔で食い気味に話しかけてくるエドを窘めつつもヴィーザルはシアの葉を睨みつけながら舌打ちする。
……小さな果樹林どころか『小迷宮』すら今の今まで自分たちは知らなかった。
そんな未知の場所にたった一人で、しかも何も伝えずにオルヴェが赴いているのだとしたら心配どころの話ではない。
能天気とはいえ危険な事は自分一人で解決しようとしがちなのがオルヴェだ、否が応でも最悪のパターンが浮かんでくる。
「ま、まさか……危ないことに巻き込まれてるんじゃ⁉」
「何も言わずに私たちも知らない迷宮に行くなんて何を考えてるのよ! 病み上がりなのに!」
「あら、もしかして何かあったの?」
後輩冒険者たちのただならぬ様子に次第にウィラフも表情を強張らせ、やがてソファに腰掛けると落ち着いた声で尋ねてきた。
「えっと、そのなんていうか……」
「……実はオルヴェのことなんだが、」
心配そうに見下ろしてくるウィラフにどう伝えるべきかとイリスは言葉を詰まらせるが、ヴィーザルはため息をつくと心配する彼女にこれまでの経緯を語る。
人目を避けたオルヴェの謎の行動、アリシアたちが行った事のない『小さな果樹林』の植物が付いたマント。
話しながら俯いていくヴィーザルたちに釣られウィラフの表情も厳しいものになっていたが、話が終わると彼女は腕を組んだまま頭を縦に振った。
「……確かに奇妙ね。話を聞く限りだとオルヴェくんって勝手にどこかに行くタイプでも、みんなとケンカしてたわけでもないのね」
「小さな果樹林のことも知らないだろうし、だから気になるんだよ」
長い白髮を掻きながらため息をつくヴィーザルの言葉に嘘や偽りはない。
……彼らは本気でいなくなったリーダーの少年を心配しているのだ。
「分かったわ。小さな果樹林の場所はこの辺りだから地図を──」
「ウィラフさん。相談があるんですけど」
「?」
不意にヴィーザルの隣で丸くなって座っていたイリスが声を発する。
何かを強く決心したオレンジの目は瞬きもせずにじっとウィラフを見据えており、他の三人も少女と同じように先輩冒険者である彼女に向かって懇願するような表情を浮かべていた。
「わたしたちと一緒に『小さな果樹林』へ行ってくれませんか⁉」
「えっ⁉」
「一緒に『小さな果樹林』でオルヴェくんを待ち伏せしてほしいの!」
オルヴェの代わりに探索を手伝ってくれている上でこんな事を頼むのは厚かましいけれど、とイリスがウィラフの手に縋りついたのを皮切りにエドたちも身を乗り出して彼女に頭を下げる。
「お願いしますっ!」
「でもオルヴェくんがいつ現れるのかは分からないのでしょう? それに今は碧照ノ樹海の件もあるし……」
流石に親しいとはいえ他のギルドの問題に首を突っ込むのは少し躊躇してしまうらしくウィラフは唇を尖らせるが畳みかけるようにアリシアはすかさずテーブルに自身の財布を叩きつける!
「報酬ならいくらでも払います! だからお願いしますウィラフさんっ!」
「俺からも頼む!」
アリシアが動いたのと同時に、ヴィーザルたちも各々個人の小遣いであろうコインの入った袋を取り出しウィラフに懇願する。
……まだ新米のアルゴノーツは決して裕福ではないギルドなのは既知だ。
そんな彼らの口から飛び出した「いくらでも払う」という言葉にウィラフは既に困惑や拒否よりも興味が勝っていた。
「でも……どうして私に? もしかして、衛兵隊に頼んだりできないわけがあるの」
「オルヴェの野郎、ヴィヴィアンたちとも交流を絶ってるってことは〝外出を知られたくない〟理由があるとしか思えねぇ」
「だから直接聞いても教えてくれないと思うんです……オルヴェくん、そういう頑固なところがあるんで」
「ははぁ……なるほどね」
……言われてみればオルヴェは怪我人を見捨てられず仲間を逃がすために一人で獣王ベルゼルケルに立ち向かった。
面倒事を一人で抱え込む性質だというのも頷けるし、憧れの先輩冒険者がいるとなればオルヴェも黙って逃げるわけにはいかないだろう。
相手の弱点を熟知した上で考え抜いての頼みというのなら悪くない、これも冒険者に必要なスキルだ。
ウィラフは勢いよく立ち上がると真剣そのものな眼差しで見上げてくる後輩冒険者たちに向かって力こぶを作って見せる。
「そこまで頼まれたら断るわけにもいかないし、ついて行ってあげるわ」
「ほ、本当に⁉」
「勿論よ!」
「ありがとうございますっ‼」
それに今は私もアルゴノーツの冒険者なんだし、とウィラフは冒険者たちに財布を投げ返していたずらっぽくピースすると鞄の中から一枚の紙片を取り出す。
「代わりに私からも依頼させてもらっていいかしら」
「えっ! わたしたち⁉」
「俺らド新米に手伝えることなんかあるのか?」
驚愕のあまり裏返った声でテーブルに身を乗り出したイリスをヴィーザルは小突いて席に戻しすが、彼の冷淡な声も強張って緊張がにじみ出る。
……熟練冒険者、それも自分たちの子供の頃から第一線で活躍する冒険者の力になれる事などあるのだろうか。
置かれた羊皮紙をのぞき込むとそこには占星術ギルドの紋章と天球儀らしき挿絵、一番上には『貸し出し許可証』という文字がある。
……挿絵の天球儀は〝冒険者〟に求められる火力よりも研究者や学者が求めるエーテルの集積や観測に特化した、専門店でも軽く五十万エンは余裕で越える高級品。
記された情報に何となく違和感を覚えたアリシアが頭を上げると、ウィラフは問いかけるような少女の赤い瞳に対しいつになく真剣な表情で頷いた。
「これって『占星術ギルド』のレンタル証ですよね?」
「そうよ。頼みごとっていうのはさ──獣王ベルゼルケルの居場所を占星術で占ってもらいたいの」
3
夜風の音すら大きく聞こえる真夜中、新緑の果樹林の間を猛スピードで駆る獣が一匹いた。
『狂乱の角鹿』と呼ばれるその魔物は靭やかな肢体を力強く振るい、若草の上を暴走馬車のように走り抜ける。
小迷宮の中を縦横無尽に逃げ回る獣の背を追うのは緑髪の少年、そして彼そっくりな姿をした蒼く輝く影法師たちだった。
「あとちょっと……!」
……奴を追跡し始めてもう十分は経っている。
なんとか振り切られないようには追いかけているもののそろそろ限界が近い。
でも、それは相手も同じはず。
今まで掛からなかった罠にさっき足を取られかけていたのだから。
鹿を追うオルヴェは酸素不足でガチガチと震えだした歯を音が鳴るほど噛みしめ、鼻と口で同時に空気を吸い込んでラストスパートをかける!
この数日、ディオスクロイが課した試練を達成するためにオルヴェは夜な夜な小迷宮『小さな果樹林』を訪れ、ターゲットである『狂乱の角鹿』を観察していた。
ベータやディオスクロイのアドバイスを受けながら観察を続けた結果、ある一つの情報が分かった。
今追いかけている狂乱の角鹿……まっすぐとした一本道なら何者も追いつけないスピードが出せるようだが、カーブに差し掛かったその時〝二歩程度のわずかな一瞬だけ〟ぐっと減速する。
──暗闇の先をも見通さんばかりに、目蓋をかっぴらく。
駆ける蹄が引き絞られた弓のように弧を描いた小道に差し掛かった瞬間、オルヴェは足に全ての血液を全集中させ地面を蹴り飛ばした!
「──マスター、今です!」
「そこだぁぁ──っ‼」
逃げる狂乱の角鹿の速度が落ちた直後、受け身を考えずに跳んだオルヴェは右肩ごと剣を高く大きく掲げ、残影の刃を相手めがけて振り下ろす!
蒼く輝くオルヴェの残影は振り抜かれた勢いのまま光線のように放たれる!
渾身の一撃が全力で逃げ出そうとする狂乱の角鹿の無防備な背に叩きつけられ、狂乱の角鹿は馬にも似た嘶きを響かせながらその場にドウと倒れ込んだ。
「っあ……はぁ……っは……」
地面に倒れ伏した身体に力を入れ、立ち上がる。
……若草とはいえ全力で打ち付けた胸と腹が割れそうなくらい痛い。
軽鎧とはいえ鎧を装備しているから当然か。
ここまで走り続け、残影を出し続けて愚直に相手を追っていたオルヴェはベータを杖代わりにしながら地面に横たわる野獣に近づく。
──本当に、倒したのか?
ピクリとも動かない狂乱の角鹿の背中には大きな切り傷があり、そこからドクドクと溢れ出す命の源が美しい紫の毛皮を赤黒く染め上げていた。
生ぬるい鉄の臭い。目の前の獣かそれとも自分の頭の奥からか、死の香りがカラカラに乾燥した鼻腔を刺す。
──紛れもなく、オルヴェの勝利だった。
「や、やった……やったぞーーっ! 遂に『狂乱の角鹿』を倒したぁっ‼」
討伐した狂乱の角鹿を前にして、先程まで全身で息をしていたオルヴェは疲労も忘れその場で飛び跳ねまくる!
……腹の底から湧き上がってくる歓喜の衝動のまま、少年は夜の樹海に雄叫びを響かせた。
「やりましたね、マスター」
「だろ⁉ オレはやればできるんだって!」
皮肉屋なベータも自分と同じように嬉しいのか、いつもの皮肉っぽくない褒め言葉にオルヴェはますます胸の中が温かくなっていった。
……そりゃあそうだ。ただ倒したわけじゃない。
一人と一振りだけであの恐ろしい魔物を倒したのだ!
「……まさか本当に一人で倒してしまうとはな」
「師匠見てくれよ! オレとベータで狂乱の角鹿を倒したんだぜ!」
「ああ、勿論見ていたとも」
ベータの褒め言葉に続き、林から拍手をしながら現れたディオスクロイにオルヴェは飛びつかんばかりの勢いで走り寄る。
無邪気に自身の成果を指差す少年にディオスクロイの仮面越しの表情も自然と緩み、緑の瞳を細めて何度も頷いてやった。
「どうだ? レムリアの宝剣と残影を用いた戦いにはそろそろ慣れてきたか」
「ん、おう!」
オルヴェが地面の丸太に腰掛けると──数日前から修行中に差し入れてくれるようになった──ディオスクロイから夜食のサンドイッチと温かい飲み物を渡される。
いつものように修行の成果を報告しつつ差し入れをこぼす勢いで頬張っていると小さく笑われ、オルヴェも男と同じように笑いながら頭を掻く。
……まだ残影を盾にしたり囮にして強烈な一撃を食らわせる、ディオスクロイのようなテクニカルな動きはできないが、それでも勝利は勝利だ。
「まぁ、まだ出してそれっきりなんだけど……本当に強くなれるのかな」
「諦めるのならそこまでだが……お前の努力次第では私の技を授けてやらんこともない、さぁどうする?」
「ええっ本当に⁉ じゃあオレもっとやるよ‼」
「フン、よろしい」
(単純ですね、マスター)
技を教えてやるという言葉で先ほどまで猫背になっていたオルヴェは即座に背筋を伸ばして目を輝かせ、そんな少年の態度の変わりようにディオスクロイはいたずらっぽい微笑みを見せる。
オルヴェはサンドイッチの残りを急いで食べきるとベータ片手に別の魔物を探して果樹林の中へ飛び込んでいった。
「ところで師匠! オレが修行を頑張ったらどんな技教えてくれるんだ?」
……応えはない。
普段ならどんなに遠くても静かだけど面倒くさそうな声が返ってくるのだが、今は鈴のような虫の鳴き声すら聞こえない。
「……師匠?」
不思議に思ってゆっくりと首だけ後ろに回してみると食べかけのサンドイッチと水筒を残したまま、丸太に腰掛けていたはずの赤髪の剣士は跡形もなく消えていた。
「あれ? どこに行ったんだ? ししょ──」
突然いなくなったディオスクロイにオルヴェは首を傾げつつ来た道を早足で引き返すと右手の深い茂みが音を立てて揺れる。
もしかしてこの先にいるのかもしれない、とオルヴェが茂みに近づいてみると飛び出てきたのは赤い髪の男でも魔物でもなく頭に葉っぱをつけた癖っ毛の金髪の少女──アリシアだった。
4
「オルヴェ‼ 夜中にコソコソ何をやってるのよ⁉」
「えっ! あ、アリシアぁ⁉」
どうしてここに、なんて疑問を呈する隙もなくアリシアの後ろから続々とアルゴノーツのギルドメンバーたち、そして女冒険者のウィラフまでもが姿を現し、オルヴェは大パニックに陥った!
「お前ら⁉ それにウィラフさんまで⁉」
「あなたがいない間、ちょっとアリシアちゃんたちの手伝いをしていたのよ」
壊れたネジ巻き人形のように頭をあちこちに向けていたオルヴェだったが、仲間たちがウィラフと共に探索を進めていた話を聞くなり即座に正気を取り戻して不平を言いだす。
「ウィラフさんと一緒に冒険⁉ いいな〜お前ら! オレも一緒にって──いてててて!」
「なに寝ぼけたこと言ってるの! 羨ましがってる場合じゃないでしょ!」
この期に及んで暢気に自分も憧れの冒険者と一緒に冒険したかった、などと不機嫌丸出しで宣う少年の頬をアリシアの細い指がつまんで引っ張った!
「夜に一人で出歩くなんて、それも僕たちに何も言わずに出るなんて危ないですよオルヴェくん⁉」
「あー、エド、実はこれには訳があってぇ……」
「ほ〜う、それじゃあどんな理由か聞かせてくれや」
「うげぇ……こういう時だけ元気になりやがって……」
珍しく厳しい口調で叱りつけてくるエドにしどろもどろになりながら後退するオルヴェだったが、するりと背後に回り込んだヴィーザルに拘束され、悪態をつく。
ウィラフの方へ必死に視線を送るが苦笑いしながら両指で小さなバツを作られ、そのままオルヴェはアリシアたちの手により少し離れた場所へと引きずられていった。
(早く話した方が良いんじゃないですか、マスター? 嘘は苦手でしょう?)
(無理だって! だって師匠に「私との修行は誰にも口外するな」って言われてるんだぞ⁉)
(……おや、あんな怪しい人物の言葉を信じるんですね)
ベータから冷たい言葉を浴びせられても、オルヴェには『それ』をどうしても口にできない理由があった。
……ディオスクロイの試練を受ける際に最初に交わしたのは『ベータ以外の誰にも話してはならない』という約束、もし破ってしまえば勇者の資格を失う。
せっかく修行の成果を実感できたのにこれで終わりなんてあんまりじゃないか!
だが涙でうるんだ目で嘆願した程度で許してくれるような幼なじみたちではないのはオルヴェが一番よく知っている。
「……ハッキリ言わないと容赦しないから」
「そ、それは」
「さぁ、ここで何をしてたか白状しなさい! 今なら徹夜の説教で済ませてあげてもいいわよ⁉」
何を言っても目を逸らしてばかりで中々答えようとしない少年に痺れを切らしたアリシアは不満げに歪んだ顔をぐっと近づけると甲高い声を張り上げる!
……無言の睨み合いが続く中、青い顔を俯かせていたオルヴェはやがて観念したように唇を震わせた。
「し……修行してた、『一人』で! ベータにいろいろ教わってたんだよ!」
大声で圧倒するように叫びながらオルヴェは神妙な表情で固まったアリシアと仲間たちの反論を許さぬ勢いで矢継早に渾身の弁明を繰り出した!
「修行ぅ~~?」
「ほら! オレ復帰遅くなりそうだから早くみんなに追いつけるようにって思ってさぁ!」
「でも夜に修行しなくても……朝起きられていないじゃないですか」
「アレだよ! 修行のシーンなんて恥ずかしくて白昼堂々見せられないからだ!」
「白昼堂々、見せられない修行ってなにしてるんだよ」
「色々だ! 男には色々あるんだよ! な! ヴィーザルとエドなら分かってくれるだろ⁉」
「知らん」
「僕たちが話を聞きたいのは、そのぉ……」
オルヴェは畳みかけるように近くにいたエドとヴィーザルの肩に両腕を組ませる!
だがヴィーザルはすぐに膝蹴りをお見舞いして脱出し、エドもオルヴェの振り払わなかったものの伝えたい事があるのかもごもごしたまま俯いてしまう。
黙ってしまったエドの言葉を代弁するように、イリスはオルヴェたちの間に割って入ると普段の気弱な妹分らしくない真剣な口調と表情で少年を睨みつける。
「わたしたちが知りたいのは本当にオルヴェくんは一人だったのかってことなの」
「? おいイリス、どういう──」
反論を遮るようにイリスが差し出した物体に、オルヴェは青い目を大きく見開き息を呑む!
……それは間違いなく、ディオスクロイが置いていった水筒と食べかけのサンドイッチだった。
オルヴェが食べない魚と野菜たっぷりのサンドイッチをさまざまな角度から眺めながらイリスは再度刑事のように鋭く冷たい視線を向ける。
「これ、オルヴェくんのじゃないよね」
「きっと昼間に別の冒険者が忘れたんだよ! さーて早く帰って寝ようぜ⁉」
「今日ってそこそこ暑かったのにこのサンドイッチはまだ腐ってない、水筒からも湯気が出てるよ」
「た、多分ゾディアックが持ち主だったんだろ!」
あれこれ言い訳する少年では埒が開かないと踏んだのかイリスが首を振るうとアリシアはオルヴェから彼の腰にある剣……ベータに声をかけた。
「ねぇベータ、オルヴェと一緒にいたのはあなただし知ってることがあるなら教えてもらえるかしら?」
「私ですか」
「!」
ベータに話を振られた瞬間、オルヴェの心臓が喉から飛び出しそうなほど跳ね上がる!
……ディオスクロイをあまり良く思っていないベータの事だ、もしかするとイリスたちに『秘密の修行』を白状してしまうのではないか?
彼としても、早くオルヴェに探索に復帰して世界樹の麓を目指してもらいたいのが本心だろう。
「……ベータ」
「……」
額を流れる小粒の汗、喉に詰まった呼吸、オルヴェの高まる体温と湿る手のひらに気づいているのかいないのかベータは少し考え込むように沈黙したが、やがて淀みなく言葉を紡いだ。
「ええ。マスターは毎晩『一人で』秘密の特訓をしていましたよ」
「本当に?」
「勿論。私の名に誓いますよ」
どきん、と跳ねる心臓につられて視線が握りしめたベータの方を向きそうになるが何とか抑えてオルヴェもまっすぐ仲間たちの瞳を瞬きもせずに見つめ続けた。
ベータの答えに難しい顔をしていたアリシアたちだったが、やがてイリスが強張っていた表情を緩めると「疑ってごめんね」とオルヴェに小さく頭を下げてきた。
「ベータさんが言うなら本当に一人で特訓してたんだね」
「あったりまえだろ! 最初からそう言ってたじゃん!」
「えへへ……ごめんね、なんか最近読んだ小説の探偵に影響されちゃってぇ……」
「あの理屈屋のオッサンが探偵の奴か」
オルヴェに近づいて犬のように白い髪をわしわし撫で回される少女を皮切りに、アリシアたちも憑き物が落ちた表情と軽い足取りで二人の方へ駆け寄って来る。
「まぁ、どうせ冒険者ギルドか酒場で知り合った冒険者か衛兵あたりに稽古でもつけて貰ってたんでしょ?」
「だからー! 本当に一人だったんだって!」
「ふふふ、ベータさんにも言われたしこれ以上は探りません。でも失礼のないようにね?」
「信じてないなお前ら……あとなんでベータの言葉はすぐ信じたんだよ⁉」
「人間だと嘘つくからな。ま、テメェの嘘はすぐに分かるから嘘未満だけどな」
「変なことしてないならいいのよ、無駄に心配しちゃったじゃない」
「心配いらないって!」
「私が一緒にいながらも迷子になりかけるマスターなのに?」
「もう! オレの信用ゼロかよぉ!」
頬を膨らませたまま地団駄を踏むオルヴェ、そんな子犬よりも感情が分かりやすい少年にアリシアたちも腹を抱えて笑い合う。
少年のお目付け役として板についてきたベータの言葉は短いながらも仲間たちの疑惑を晴らすのに成功したというよりも、マスターに対する真摯な態度を汲んだようだった。
「……黙っててくれてありがとなベータ」
「いいえ。沈黙の方がマスターとの良好な関係を築けると予測しただけですので」
いつもみたいに軽口を飛ばし合う仲間たちにオルヴェもほっと胸を撫で下ろし、手の中の寡黙な相棒へ小声で感謝の言葉を囁く。
……本当に自分の行動を心配していただけの仲間たちを見ていると少しだけ申し訳なく感じてしまうがいつか時が来て、その時に真実を打ち明ければきっと大丈夫だろう。
5
「ふふっ、仲直り完了ね! 冒険者はチームワークが命なんだからこれからは一人で突っ走らないようにするのよ?」
「はーい……ってウィラフさん、その鞄は?」
アルゴノーツの和解が済んですぐ、少し離れた位置から見守っていたウィラフが軽い足取りで歩み寄る。
褐色の手にはいつの間にか頑丈そうな革張りの鞄があり、オルヴェは頭を傾げながら様子を伺った。
……革の表面にはどこかで見た円と星を組み合わせた紋章が施されており、一目見た瞬間頭の中にピースがはまったような感覚が走る。
「確かこの星マークってマルコの服にあったのと同じ、だよな?」
「ご明察! これは占星術ギルドからのレンタル品、というわけでアリシアちゃん後はよろしくね!」
「アリシア?」
占星術ギルドからのレンタル品、それが仲間と何の関連があるのかと考えている間もなく、アリシアは頑丈そうな鞄を受け取ると中から銀色の器具を取り出した。
見慣れない天球儀を手早く組み立てる少女にオルヴェはますます首を傾げる。
「それなんだ?」
「ちょっとお高い天球儀よ。そもそも私たちがここに来た目的はあなたのため〝だけ〟じゃないの」
「別の目的があるのですか」
「ついでってヤツだ。そもそもこんなことのために熟練冒険者《ウィラフさん》を呼ぶわけねーだろーが」
「それもそうだな……っておい!」
「ほらほらあっち行って、集中できないでしょ?」
「へいへい、いこーぜオルヴェ」
すぐに二人の世界に入って騒ぎ出したオルヴェとヴィーザルをシッシッと追い払い、アリシアは肩の星術機を起動させ天球儀を上へ掲げる。
グローブ越しの細い指先をかざすと天球儀が淡い光を纏い、風も吹いていないのに中の多重円が回りだす。
……なんだか街の広場にあった風で動く金属の彫刻みたいだ、とぼんやり思い浮かぶ。
(アリシアは一体なにを……ん?)
目を閉じて眉間にシワを寄せたまま手を動かしている少女を眺めていると、不意にオルヴェの視界の端に蛍火のような燐光がちらつく。
ベータから出る蒼白い光とはまた違う、流れ星のように燃える光の欠片はまるで蛍のようにゆらゆらとオルヴェたちの周囲を舞っている。
「虫、いやこれは……」
(……成程、これが彼女の言っていた『エーテル』ですか)
脳内に響くベータの囁き声、そして眼前に広がりだした光景にオルヴェは口を開けたまま同意するしかなかった。
次々出現した光たちは無軌道に飛んでいるようにも見えたが、よく見れば瞼を閉じて詠唱を続けるアリシアに向かって渦潮のように流れ込んでいるのだ。
……これがアリシアの普段見ている世界。
まるで御伽噺から出てきたような神秘的な少女の姿に見とれていると、天球儀やアリシアの指の動きに連動しエーテルの欠片は波のようなうねりと粒からだんだんと丸や四角へ変化してゆく。
やがて集まった星の粒子はかつて『東土ノ霊堂』でベータがアルゴノーツに見せたものとよく似た小さな森の形──『碧照ノ樹海』のミニチュア風景になる。
……その直後、ある一点が強く煌めくと同時にアリシアは金糸の睫毛を勢いよく開眼させた!
「碧照ノ樹海三階の南東最深部! そこに獣王ベルゼルケルがいるわ!」
「じゅ──⁉」
──幻想的な景色に見とれていたオルヴェの脳味噌の温度が一気に上昇した!
「獣王ベルゼルケルぅ⁉ なんで⁉」
「わ、ちょっと! 急に近寄らないでよバカ!」
「アリシア、我々に事情を説明して頂けませんか?」
「急に言われても……!」
「あー! それだけどねっ」
頬を赤らめて言葉にならない声で騒ぐアリシアに代わり、イリスはオルヴェとベータにも見えるように地図の描かれた羊皮紙と、エーテル状の碧照ノ樹海を指差す。
……よく見れば、ウィラフもイリスと同じように地図に何かを写している。
「わたしたちの本当の目的、それは『獣王ベルゼルケル』の居場所を特定することなの」
「居場所を……?」
「皆さんに調べられるのなら、既にマギニアが実施しているのではないのですか?」
「レンジャーだろうがゾディアックだろうが、ドクトルマグスだろうがどこも多忙なんだとよ」
「おほん……この大きい丸が獣王ベルゼルケル、小さいのは森の破壊者とかだと思う」
アリシアが指差し数えるのは空中に浮かぶ碧照ノ樹海には巨人の心臓のように脈打つ赤い印、周囲に集った小さめの赤い点が浮かび上がっており、『なにか』が潜んでいるのは明白だった。
……まさかとは思うが、この小さな点全てが魔物なのか⁉
「こんなにいるのかぁ⁉ 熊ぁ!」
「オルヴェくん近いですって」
「わ、わりぃ……」
エーテル製の立体マップに突っ込みそうになるオルヴェだったが首に巻いたマフラーの首根っこをエドに掴まれる。
……自分の頭に浮かんで口から思わずまろび出た想像、あまりにも信じ難い事実にたじろいでいるのは仲間やウィラフも同じらしく、アリシアは肩をすくめながら髪を指先に絡ませ、唇を「へ」の字にしたヴィーザルも面倒くささを隠しきれない様子で髪をかきあげた。
「だがなんでこんなに集まってるんだよ? それも冒険者が来られないような奥地にだぜ?」
「私が知ってるわけないでしょ! 熊じゃないんだから!」
「うーん……流石にタルシスでもこんなに熊が集まっただなんて話は聞いたことないわね。相当気が立っているのか、それとも他になにか別の要因があるのかも」
「別の、要因」
思い出すように唇に手を当てて考え込んでいたウィラフだったが、やがて軽く伸びをすると改めてアリシアたちに感謝の言葉を述べた。
「無理言っちゃったけど今日は本当にありがとう! お陰で助かったわ!」
「にひひ! 今後ともアルゴノーツをご贔屓に!」
「ちょっと! 頑張ったのは私なんだけど⁉ まぁ、お役に立てたなら幸いですけど……」
「役に立つも何も大助かりだよ! ここまで分かれば後は私一人でも確かめに行けるし……あなたたちはどうする?」
アリシアとオルヴェの口喧嘩に笑っていたウィラフだったが不意に目を伏せて唇を真一文字に引き締めた。
「僕たちですか?」
「ええ。見るだけとはいえ敵の根城に行くわけだし、何があっても不思議じゃない」
淡々と告げるウィラフの声は極めて冷静だったが、それは何人もの冒険者を飲み込んだ樹海の最深部に挑むという事。
例えるなら、底があるのかも分からない深い穴に身一つで飛び込むようなもの。
顔見知りの新米冒険者、それも同郷の後輩たちにむやみに命を散らしてほしくないというのが彼女の言葉や表情を介してひしひしと伝わってくる。
──だが、本気なのはオルヴェたちアルゴノーツも同じなのだ。
「でもさ、せっかくここまで来たのに後は任せるなんて『冒険者』にはできないぜ!」
「それに俺たちが熊の根城を見つけたってことを司令部にもちゃあんと知らしめてやりたいからな」
「あなたたち……」
オルヴェたちの選択にウィラフはしばらく両目を瞬かせていたが、やがてその言葉を半分待っていたという風に息を吐いて首を縦に振った。
「やっぱり冒険者はこうでなくっちゃね……分かったわ、アルゴノーツのみんなも一緒に行きましょ!」
「よっしゃあ‼」
「ありがとうございます!」
「ただし自分の身は自分で守るのよ? みんなできる?」
「が、頑張るっ! 頑張ります!」
「もう! イリスったら緊張しすぎよ?」
胸の中に渦巻く未知への不安と好奇心はとめどなく肥大化し続け、危険を天秤にかけてもなお前人未到の樹海を歩くという名誉に心は熱く沸き立つ。
……それは仲間たちもきっと同じだろう。
役目を終えエーテルの粒子が夜空の藍へと溶けていく景色を眺めながらオルヴェは無意識の内に剣の柄を強く握りしめた。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第十一話だよ!今回はアリシアたちとの再会〜獣王ベルゼルケルとの戦い前夜まで。
第二迷宮『碧照ノ樹海』編は最近書いたのもあって、旧バージョンと比べ大きな展開の変更はありませんが、誤字脱字や表記ゆれ・ミスの修正、オルヴェの設定変更に伴うシーンの書き直しを重点的に行いました。
今回の話は旧バージョンだと話の分け方が非常に読みにくい形になっていたので思い切って二つの話に分けました。
これまでもですがタイトルも旧バージョンから多数変更されています。
今回はアリシアちゃんが活躍するお話なので彼女をモチーフにしたタイトルに変更しました。
さて、原作世界樹の迷宮Xでは碧照ノ樹海3Fからウィラフさんが同行してくれるのですが、『ラグナロクの覇者』ではまた別の形で協力してもらいました。
タルシス出身のオルヴェたちにとって彼女は有名人ですし、新米冒険者ギルドのアルゴノーツと違って色んな場所と繋がりがある熟練冒険者の強みもしっかり書けたと思います。
実際、Ⅳのストーリー後はウィラフさんって色んな場所でドラゴンと戦ってそうな気がするんで。
遂に獣王ベルゼルケルの居場所を見つけたオルヴェたち。
今度こそ冒険者と衛兵たちのかたきを討ち、碧照ノ樹海を踏破できるのか?
次回もよろしくお願いします。