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……碧照ノ樹海から少し離れたシアバターの木とリンゴの樹木が立ち並ぶ緑翠の果樹林。 『小さな果樹林』という名の森はマンドレイクも眠る丑三つ時だというのに二人の男が剣を構え秘密の修行に励んでいた。 「まずお前にはヒーローの基礎中の基礎『残影』について伝授してやろう」 「おう!」 胸を張って返事をするまだ初々しい少年──オルヴェは青い瞳を興味津々にまん丸にして、男の一挙手一投足にじいっと見入っていた。 その男……ディオスクロイは腰から抜いた赤い剣を軽く振ると隣に青白い光を放つ残影が即座に現れた。 蜃気楼や幻影のようでありながら質量を持った『もう一人のディオスクロイ』にほぅ、へぇ、とまとわりついていたオルヴェだったが不意に本物のディオスクロイの方に赤いマントの首根っこをぐっと掴まれて引っぺがされた。 「問題だが、残影は何で出来ていると思う?」 「うーん……気合、とか?」 「概ねそんな感じだ」 「おっしゃ当たったぁ! ──いてっ」 オルヴェが腕を高く掲げて喜んだ直後、即座に脳天めがけて藍色の甲冑で覆われた拳が直撃し少年は潰れたカエルのように呻いてうずくまる。 「調子に乗るな、これは基本中の基本だぞ。そして残影だが、発生させるには強い精神力や感情が必要になる」 「おう……」 または習熟していれば自在に消す事も可能だ、とディオスクロイが手品師のように指を鳴らすと残影はまるで煙のように消え去る。 「なんか……意識して出すのは難しそうだな」 「だが、レムリアの宝剣があれば適正に満たなくとも残影を出せるようになる……先日のお前のようにな」 そう言われ、オルヴェは右手に握っていたレムリアの宝剣──ベータを目の前で掲げ見る。 ……よくよく思い返してみればオルヴェが残影を出せたのはベータを握っている時、それも周りの音が聞こえなくなるくらい集中している時のみ。 ベータ以外の武器で残影を出そうと木刀や仲間から借りた武器を何度か振るってみたのだが、結局何も出やしなかった……まさかそういう原理だったとは。 「ディオスクロイっ! オレにも残影の出し方を教えてくれないか!」 「さんを付けろ」 「オレも残影さん出したいです! ディオスクロイ!」 「……そもそも、レムリアの宝剣に念じれば基本誰でも残影を出せるものなのだが」 「マジで⁉」 「まさかとは思うが……お前は自分の意志で残影を出したことがないのか?」 「いやぁ、ベータの機嫌が良くないと出ないのかなって!」 「……」 技を教えられて当初の警戒も既に薄れてきたのか「えへへ」とはにかみ気味に笑いながらグイグイと近寄るオルヴェ。 まるで懐っこい子犬のような少年を躱しつつ、ディオスクロイは痛む頭を押さえながら頭を抱える。 ……ここまで警戒心がないくせによく樹海で生きていけたな。 「まあいい、あの木が見えるな? アレめがけてレムリアの宝剣を振れ」 ディオスクロイが指差した先にはオルヴェよりも少し背の高い若木がすくすくと育っており、腕よりも太い幹は試し切りの人形の代用にピッタリだった。 「全身の神経を尖らせ、剣に全感覚を集中させ、斬撃がそのまま波になって飛んでいくイメージをしろ」 「はいっ‼」 「……一応、レムリアの宝剣に残影を出すよう命じておけよ」 「お、おう!」 後は実際にやってみろ、と離れていく男の姿を背にオルヴェは腹から息を絞り出すと身体の力を軽く抜いて瞼を閉じる。 ……柄を握る両手、真っすぐ伸ばした両腕、腕全体にかかる剣の重さ、少し強張った肩、肌を撫でる風、草の音、土の匂い、ごうごうという夜の森の唸り声。 視覚以外の全ての感覚で受信したものが頭の中へ無造作に突っ込まれ、それらを片っ端から無視しながらオルヴェは手のひら全体に力を入れる。 (ベータ、頼む……協力してくれ……!) 胸の中で何度も呼びかけ、柄を握る指先に力を込めていると不意に血液とは違う熱いものが腕を通してオルヴェの身体の中心へと流れ込んできた。 「──!」 刹那、瞼をこじ開けたオルヴェはベータから流れてくる力のまま渾身の一撃を目標めがけて放つ! 同時に蒼い刃の宝玉が脈動するように光を放ち、瞬きも呼吸も止めたまま放たれた斬撃は蒼光となり裂帛の雄叫びを上げるもう一人の少年へと姿を変え稲妻のような蒼い閃光が若木の胴を何度か走る。 コンマ一秒後、幹がみしりと低い音を立て、若木は木片と葉を周囲に飛び散らせながらバラバラに切り刻まれた! 「──で、出たぁぁっ!」 ……飛び散った木片と枝を浴びながらオルヴェは大口を開けて歓喜の声を上げる! 「やった! やったぁ! 見てくれよディオスクロイ! ベータ! オレだってやればできるんだぜ⁉ ほら!」 「そうだな」 歓喜に飛び上がるオルヴェの目の前には霊堂の時と同じ『蒼いオルヴェ』が陽炎のように揺れていた。 だが迷宮の時のような勝手に出現した残影とは違い、その表情はオルヴェらしい自信に満ちたもので、まるで次の得物はどこだと問いかけるように青い瞳が煌めいている。 「さぁて! 次は何を切ってやろうか、あのデカい木か? それともさっきの鹿にしてやろうか! ふはは!」 「あまり騒ぐな、払っているとはいえ魔物が来るぞ」 「いや〜でもさぁ! こんなにうまくいくなんて……!」 達成感を体いっぱいに表現して満面の笑みを浮かべたまま跳ね回るオルヴェとは対象的に、ディオスクロイは出現した濃度の高い残影を無言で眺める。 ──レムリアの宝剣があれば素人でもここまでの濃度になるのか。 「……とにかく、最終目標はレムリアの宝剣無しで自在に残影を出せるようになることだ。まずは残影を出すことに慣れ──」 ……まぁ、そういう小難しい事を考えるのは私の仕事ではない。 ディオスクロイは頭を振って思考を一旦打ち切り、目の前の少年の肩を叩こうとした──が、手は空を切る。 「……なんだ、残影か」 肩を叩こうとした相手はオルヴェの残影でありその奥にも、そのまた奥にも同じような残影が現れておりディオスクロイは眉間にしわを寄せる。 ……よく見ればそこら辺で嬉しそうに飛び跳ねているオルヴェも、剣を振り回して喜ぶ少年オルヴェも、ディオスクロイにグイグイと寄ってきてどうだ凄いだろうとはしゃぐオルヴェも全て残影だった。 「⁉ おいお前! 何をした⁉」 「え⁉ 別に何も! なんかいっぱい出せるようになったんだ!」 残影の群れをかき分けながらディオスクロイが叫ぶと嬉しそうなオルヴェの声が遠くの方から聞こえ、ディオスクロイは即座に少年を視界に捉え何をしているのかと睨みつける! 『本体』のオルヴェもディオスクロイと同じように残影の群れの中でおしくらまんじゅう状態であり、代わりに周囲のオルヴェの残影が行動する度に更に残影が生み出されていたのだった! 「ディオスクローーイ⁉ 残影《これ》ってどう止めるんだ⁉」 「おい待て! おい‼」 残影は本体《オルヴェ》の〝動きをコピーして〟発生する。 このままだと──指数関数的に増えるオルヴェの残影の群れに押しつぶされる⁉ 脳裏に浮かぶ信じがたい光景に再度声を張り上げて少年を呼ぶディオスクロイだったが同じように、いやむしろディオスクロイよりも遥かに多くの残影に囲まれているオルヴェにはその悲鳴が聞こえていないようだった。 必死に呼びかける間にも制御不能なまでに大繁殖したオルヴェの残影たちはムカつくほど無邪気に喜び続けている。 ……残影は単純に本体であるオルヴェの動きを繰り返しているだけ、だからディオスクロイの言葉や少し弱い呪言では全く制御できないのだ。 もちろん本体のオルヴェにも。 「ちょ、やめ! オレ! オレなんだから自分のいうことを聞けってぇ‼」 「──っ、クソが‼」 奥歯をギリリと噛み締め、顔を髪と同じように真っ赤にしたディオスクロイは近くにいた残影を数体殴り飛ばして隙間を作ると赤い剣を跳ねようとしていた残影めがけて剣技を叩き込む! 「ぐえっっ⁉」 ディオスクロイの素早い斬撃は残影から残影へと連鎖しそこかしこで水風船を勢いよく叩きつけたような音と花火のような青白い血飛沫が辺り一面に飛び散った! 怒りの一撃はもちろんオルヴェにも命中し、少年は鈍い悲鳴を上げて地面に叩きつけられ、リンゴの果樹まで吹き飛び頭を激しく打ちつけた! 「っ!」 少年がひっくり返ると同時にディオスクロイの全身に滾っていた熱が一気に冷める! ──やってしまった。 ディオスクロイは咄嗟に『ブレイブワイド』を放った己の右腕に舌打ちしつつすぐさま少し先の地面で転がっているオルヴェの方へと駆け寄る。 安否を確かめるべくそっと手を伸ばし──その手が地面に向かって引きずり込まれるように強く引かれる! 「うおっ⁉」 「今の技なんだ⁉ すっげぇカッコいい技じゃん!」 ディオスクロイの眼前にいたのは鼻息荒く青い目を星のように輝かせ、額から血を流しながらも大興奮気味に迫ってくるオルヴェだった。 「アンタのこと師匠って呼んでもいいか⁉ さっきのカッケー技教えてくれよっ! あ、下さい!」 (マスターが回転斬りですか? あんな隙の多い技は無理です) 「無理な訳ないだろ⁉」 (では訂正します。〝確実に〟無理でしょうね) 「うるせぇベータ! ……なぁ頼むって師匠!お願い! お願いしますっ‼」 ……先程手加減なしで攻撃されたというのに瞳は興奮と憧れに煌めいて、テンションの高さはまるで見えない尻尾を振り回しているよう。 レムリアの宝剣と会話しているようだが反応を見た限りでは程度の低いやり取りなのは聞かなくても分かる。 そして連呼される『カッコいい技』と『師匠』。 ──ディオスクロイは直感した、この少年は本物のバカなのだと。 「……いいだろう、〝もう一度〟教えてやろう」 「‼」 ディオスクロイはしばらく意識と顔を上に向けて黙っていたのだが、やがて深呼吸をすると憑き物が落ちたような澄んだ緑色の目でオルヴェを見下ろした。 「! ありがとう師匠──‼」 そして、嬉しそうに飛びついたオルヴェの緑の頭に男の全身全霊の鉄拳がめり込んだのだった。