1
「いつまでため息を吐くつもりですか、マスター」
「いってぇ‼」
夕方に目を覚まして以降、ずっと自分《ベータ》を掲げてはため息ばかり吐き続けるオルヴェに渾身の体当たりをぶちかました!
「病院内なのでお静かに」
「ぐぅぅ……っ! だったら頭めがけて落ちてくるなよ!」
「マスターの頭蓋骨は一般的な男性に比べ二、三倍ほど硬いので問題ないと判断しました」
「知るかっ!」
ベータの金属製の体がおでこに勢いよく衝突し、目に涙を浮かべたオルヴェは薄いマットレスの上を転げ回って悶絶しながら怒る。
……二匹目の獣王ベルゼルケルを何とか追い払うことに成功したアルゴノーツ。
だが勝利の代償は重く、未熟な身でベータの力の一端を解放したオルヴェは全身の筋肉から始まり、体のあらゆる内部や腱を痛めてしまい、三日の昏睡と一週間の探索禁止という代償を支払う羽目になったのである。
ただ、不幸中の幸いかオルヴェ以外のアルゴノーツのメンバーは全員軽傷で済んだ。
彼らは昏睡状態のリーダーを病院に任せ、今もオルヴェ抜きで獣王ベルゼルケルに迫る為の探索を続けている……そんな話を目覚めてすぐベータから聞かされた。
「オレは早く獣王ベルゼルケルを追いかけたいってのに……」
「今の体と実力で太刀打ちできる確率は0%に近いです、寝て下さい」
「寝てろって言ってもよぉ〜〜……」
置いていかれた寂しさや四人だけで冒険を再開してもらっていることへの申し訳なさも、これではアルゴノーツのギルドマスターの名が廃るという焦燥感やプライド、そして目の前にある未知の冒険をおあずけにされた状況の方がオルヴェには耐え難い。
ベータに愚痴ったりため息をついたところでじわじわと潰されているような痛みは癒えないし大人しく寝ていた方が結果的に早く済むのは分かっているのだが……。
「なぁベータ! オレの体もオリバーたちみたいに直してくれ!」
「はぁ」
オルヴェは両手を合わせながらどこからそんな声が出せるんだと思う大声でベータに懇願する!
……あの高慢ちきな態度と慇懃無礼な性格のコイツに話を聞いてもらうにはこれしかない!
「不可能です。先日の戦いでエネルギーを消耗しましたので直せる余裕はありません、自力で頑張って下さい」
「そんなぁ! 一週間もベッドの上とかオレ絶対ムリ! 退屈すぎて死ぬって!」
「一応明日からは宿に戻っても良いと言われているでしょう」
「だけどさ〜〜‼」
子供のように駄々をこねようが何度もしつこく迫ろうが握りしめたベータは頑なに首を縦に振ろうとはしない。
……無感情な声と変わらない返答を聞いていると、まるで巨大な鉄の壁を必死に押して動かそうとしている気分になってくる。
「それに、明日は朝十時からペルセフォネ姫と謁見の予定ですよ。早く寝て明日に備えて下さいマスター」
「はいはい分かった分かったって……」
そして翌日のペルセフォネ姫との面会というレッドカードを突きつけられたオルヴェはしぶしぶベータを枕元へ戻すと自分のベッドに潜り込んだ。
……触れた指からこっそりと下がっていく少年の体温や心拍数をスキャンし、やっと寝る気になったかとベータは〝無い〟肩の荷を下ろして一息つく。
明日からまた生意気な子供のお守りをするのかと思うと多少憂鬱だが今から最低でも八時間は静かで平穏な夜を過ごせるのだ。
「あ! オレさ、ベータに一つ聞きたいことあるんだけど!」
だが、三十秒も経たないうちにベッドから飛び出した手のひらがベータをぐわしと掴み上げる。
……舌や歯があったならベータが現在どんな気分なのか、どういう悪態をつくのかこの少年に嫌というほど分からせられるのに。
「……なんでしょうか?」
「二匹目のベルゼルケルに立ち向かった時だけど、なんでオレの手助けしてくれたんだ?」
……オルヴェの知っているベータは言うこと為すこと、あらゆることを理屈っぽい口調と論理で否定し反論するような奴である。
今も冷静に答えてくれているが内心自分をぶん殴りたいと思っているはずだ。
──二匹目のベルゼルケルにオルヴェが立ち向かうことを告白した際にベータから返ってきたのは無謀、不可能、諦めろの三句。
だが、あの時のベータはいつもと違った。
無理矢理仲間に別れを告げ自らの正義を選んだオルヴェを見捨てず、己の中に封じられた力を解放して限界ギリギリまで無謀な希望に協力してくれた。
……その結果、負傷者はいるが誰も死ななかったという熟練冒険者でもそうそうない奇跡を起こした。
「教えてくれよー! なにか理由があるんだろ? な、良いだろ? 気になってオレ全然眠れないよ〜ベータぁ」
「……」
「はぁぁ」
……無機物とのにらめっこ勝負に勝てるわけもなく、十数分の激闘の末沈黙に耐えかねたオルヴェは重くなってきた瞼を擦りながら枕に頭を埋めた。
……答えたくないなら答えなくても良い。
押せば押すだけ意固地になるのはあちらも同じだろうし。
「──逃げなかったからです」
「へ……?」
──背中から無機質で静かなベータの声がほんの少しだけ聞こえた気がして、布団で身を包んだオルヴェはすぐ起き上がった。
「碧照ノ樹海で私が力を貸したのは、マスターが瀕死の冒険者たちを見捨てて逃げなかったからです」
──合理と判断力の化身であるベータが出した答えは、樹海で倒れてからずっと体を苛んでいる筋肉痛を完全に吹き飛ばすほど衝撃的だった。
「え⁉ マジで⁉ ベータそういうの一番否定しそうなのに⁉」
「勘違いしないで下さいマスター。貴方の選択は最も愚かで無鉄砲で考えの甘い行いだということは当然の事実です。今回は仲間も救出対象も無事で済みましたがあの状況で勝てると思ったんですか? 仲間を危険に晒したくないと言っておきながら巻き込むとは愚の骨頂ですね。しかも私との契約があるのに自分の使命をお忘れになるとは健忘症ですか?」
「お前なぁ! 人が良い気持ちになってる時にそりゃないだろ⁉」
珍しく褒めたと思った直後、ベータの言葉は流れるように軽率な行動への罵倒に切り替わった。
半分驚き半分喜びだったオルヴェは上げ落としをモロに受け、眉間にシワを寄せながら蒼い剣身に向かって不満を漏らす。
だがベータはそんな威嚇を気にも止めず、更に続けた。
「……ですが個人的には貴方の選択は好ましいものでした、だから手助けした。それだけです」
「……」
無機質ながら、どこか思い出話をするような彼の本音にオルヴェもいつしかじっと聞き入っていた。
「……そっか、教えてくれてありがとな」
胸でつっかえていた疑問がまるで春の雪のように解けて、なんだかベータの冷たい声が子守唄のように心地よく聞こえる。
早口で話を終えたベータに少し笑いつつ、今度こそおやすみの挨拶をするとオルヴェはベッドに体を横たえる。
「マスター──私は、そもそも立ち向かうなんてできなかったんですから」
……月の光が差し込む病室で後悔と諦観が最後の吐息のように絞り出される。
いびきをかきながら暢気に眠る少年に聞かれなくて良かったなと自嘲しながら、ベータはいつもよりも静かな自由時間に身を委ねた。
2
「オルヴェ殿。ペルセフォネ姫の命令によりお迎えにあがりました」
「へ? なんで?」
翌朝、オルヴェが病院から出ると、どういうわけかマギニアの腕章を着けた二人の衛兵が自分を待っていた。
「〝オルヴェ殿がまた道に迷われぬよう念のため〟と我々が派遣されました」
「し、司令部なら前に何度も行ったことがあります!」
「大丈夫、貴方が迷子にならないように連れて行くのが我々の務めですから」
……どうやら以前オルヴェが迷子になった初日のことをペルセフォネは覚えていたらしい。
何ともいえない表情で固まるオルヴェだったが衛兵たちに促され、しぶしぶ司令部まで連れて行かれるのだった。
「ところで君ぃ、剣をそのまま持って入るつもりか?」
「へ?」
不意に前を歩く暢気そうな方の衛兵に話しかけられオルヴェは視線の向く先……自分の腰に差したベータを見つめる。
「姫にご指名されるくらい信用されてるみたいだが、流石に武装したままってのは衛兵的に見逃せないな」
「あー、確かに……」
(普段はセーフティをかけているので、勝手に鞘から抜けることはありませんが)
「一応ほら、これで結んでおくか?」
「あ、ありがとうございます!」
(マスター?)
オルヴェはもう片方の衛兵から手渡された丈夫そうな革紐でベータの鞘と鍔を抜けないようにぐるぐると結ぶ。
剣が抜けなくなったのを確認し衛兵たちとオルヴェは再度早足で街の坂を歩きだす。
(何たる冒涜、私を意志のない鉄塊と同程度の扱いという蛮行。許せません)
(分かったから! 分かったって! だからずっと喋るのやめてくれよ!)
……ベータが延々と文句を脳内に流してくるのなら結ばなかった方がよかったかもしれない。
ベータの音波攻撃に人知れず苛まれながら辿り着いた司令部では、相変わらず衛兵や文官が忙しそうに歩き回っていた。
衛兵に言われた通り受付で用件を伝えると別の上級衛兵に案内され、恐らく冒険者の立ち入りが許可されていないであろう豪華な広間を通り、やがて王家の紋章の金飾りが彫られた扉の前へとやって来た。
……その脇に侍る上級衛兵に許可証を見せると、すぐに扉の奥から凛とした厳しい声が響いてきた。
「何者か?」
「ギ、ギルド、アルゴノーツのオルヴェです! 約束通り参上しましたっ!」
……寝坊しなかったし、迎えの衛兵のお陰で迷子にもならなかったが、久々に聞くペルセフォネ姫の声は大半を眠って過ごしていた体が目覚めるほど鋭いもので、思わず声が裏返る。
「分かった、入れ」
(何をやってるんですかマスター、早く入りましょう)
(分かってるって! でもなんか緊張しちゃって……)
囁きかけてくるベータの言い分も最もだが、司令部のエントランスホールよりも更に豪華で衛兵の数も三倍はいるであろう内部を歩いているとやはり暢気なオルヴェも自分が場違いな気がしてくるものだ。
……病院を出た時は勇み足だった歩調も、今は小鳥のように小さくなっていた。
しばらくオルヴェはベータを握ったまま飾り彫りの扉の前で立ち尽くしていたが、やがて覚悟を決めて肺いっぱいに気合を吸うと、重く硬いドアノブを力いっぱい押し込んだ!
「し、失礼しますっ!」
「……!」
──耳と鼻先を通り抜けたのは芳香剤と埃の混ざった淀んだ匂いではなく、青々とした草花の匂いと髪をふわりと浮かす清風だった。
シャンデリアとも白熱灯ともまた違う、目蓋を刺す強い光を遮りながらオルヴェは滲んだ視界を擦り、目を見開く。
室内かと思われたそこは植物園を小さくして、丸ごと持ってきたかのように緑溢れる幻想的な庭園だったのだ。
「ここって、マギニアの中だよな⁉」
「私もこのような場所があるとは知りませんでしたが……船の中には違いありません」
「わぁスッゲェ……!」
黒い金属の柵といい匂いのする黄色い花の生垣の向こうには赤い屋根のマギニアの市街地と青空が広がっている。
そして、白布に覆われた長テーブルの最奥では本を広げ普段よりも柔らかな笑みを浮かべたペルセフォネ姫が手招いていた。
「ふふ、私の庭にようこそ。ここは王族や近衛兵しか立ち入れぬ場所、秘密の話をするにはうってつけだろう?」
「マギニアにこんな所があったなんて……でもオレなんかが入って良いんですか⁉」
「構わん。私が客として招いたのだからな」
彼女に促されるまま、オルヴェはベータを机に置き、金属の椅子に尻を収めると上半身や首をあちこち回して周囲を忙しなく見渡す。
……先程まで石のように固まって緊張していた少年の無邪気な様子にペルセフォネは愉快そうに目を細める。
「改めて獣王ベルゼルケルの討伐と冒険者の救助、見事であった。すでに走れるまで回復しているとは私の見込んだ通りだな」
「ありがとうございます! だってオレはレムリアの宝剣に選ばれた勇者ですからっ!」
「よろしい。大まかな報告は汝の仲間や他の冒険者からすでに聞いている。汝に聞きたいのはレムリアの宝剣に一体何が起きたかの詳細な報告だ」
春の女神のように温かな顔つきだったペルセフォネは指を組むなり一国の王の顔へと変貌する。
オルヴェはゆるんでいた頬の筋肉を急いで引き上げて、テンポの良い大声に乗せて数日前の死闘を口頭で再演する……。
「はい! 獣王ベルゼルケルを倒した後──」
オリバーとマルコの救出、獣王ベルゼルケルの討伐、二匹目の獣王──そして、レムリアの宝剣の隠された力『第一の鎖』。
全身の激痛で失神するところまで一息に話し終えたオルヴェは話しているうちにぶり返した全身の鈍い痛みに背を丸めて息をついた。
「──以上が、オレの覚えている範囲の出来事です」
「脳のリミッターを解除して全身の身体能力を極限まで活性化する『第一の鎖』か。興味深い……」
「お陰で獣王ベルゼルケルを追い払えたんですが流石のオレでもしんどかったです……」
(単純に貴方が未熟なだけですよ、マスター)
(しーっ!)
椅子の上で脱力していたオルヴェは頭の中で響く聞き慣れた小言に目をひん剥くと、腰に差した声の主……ベータをジロリと睨みつける。
……どういう原理かは知らないが彼はオルヴェの脳内に直接話しかけられるそうで、表立って反論できないのを良い事にこうやって小言を言ってくるのも結構あるのだ。
「我々もレムリアの宝剣について再度調べていたところレムリア載記の中で『第一の鎖』らしき記述を発見したのだ」
「へ、えっ⁉」
ベータと静かな口論に突入しようとしていたオルヴェだったが、自信ありげな女性の声と紙を捲る音に素早く背筋を伸ばすと机の上の本を覗き込んだ。
「旧エトリア文字でもゴダム語でもない……? ですよね」
「これは古代レムリア語。汝は伝承や歴史が好きなのか?」
「はい! 昔の人とか国とか、すっごくワクワクします! ……まぁ古代語読めないんだけど」
(おや、マスターにしては意外ですね。本を読んだら寝るタイプだとばかり思っていました)
(好きな本は寝ないからっ!)
オルヴェが未知の言語が踊る紙面に顔を近づけて睨みつけるように眺めていると姫は小さく笑いながら何枚かページを捲り、ベータそっくりの剣に鎖が巻き付いた挿絵を指差した。
「え⁉ これってベ……レムリアの宝剣、ですよね?」
「ああ。載記によればレムリアの宝剣には『鎖』と呼ばれる隠された機能が全部で三つ存在するらしい」
「三つも⁉」
「ただ、今回の『第一の鎖』を除き詳しい効果や発動条件は依然不明……これ以上の詳細は実際に確かめる他ないだろうな」
「実際に……!」
自分と同じようにペルセフォネも『三つの鎖』が気になるのか、少し上ずった声で喋りながら青い瞳が期待するように細められる。
「分かりました! オレに任せて下さいっ!」
「良い返事だ、では鎖の件は頼んだぞ」
オルヴェは姫の言葉に応えるように立ち上がると胸の躍る提案に食い気味に返事しつつ、素知らぬ顔で話を聞いていたベータをちらりと見下ろした。
(ベータ! そんなカッコいい秘密があるなら早く教えてくれれば良かったのに! ペルセフォネ姫も知りたがってたじゃん!)
(教えたところで今現在のマスターの力量では第一の鎖の解放が限界です。下手に第二・第三の鎖を解放すると今度こそ死にますよ)
(オレはそんなんじゃ死なないし!)
コロコロと表情を変える少年を優しげな眼差しで眺めていたペルセフォネはそれから、と続けて本を閉じるとオルヴェの方へ手を伸ばした。
「実は汝にはもう一つ聞きたいことがある。そのためにまずレムリアの宝剣を貸して貰えないか」
「っ!」
ペルセフォネが手を伸ばした直後、オルヴェは勢いよく椅子を倒しながら後ずさる。
「オルヴェ?」
「ご、ごめんなさい! えっと、レムリアの宝剣を見せるだけですよね!」
すぐ我に返り、オルヴェはペルセフォネに謝罪するが受け答えはしどろもどろであり、引きつった笑顔の奥の青い瞳には怯えと恐怖の色が滲み出ていた。
間違いない、この怯えきった表情は──。
「……汝は以前よりレムリアの宝剣を手放すことを強く拒絶していたな」
「それは……」
自分の頭に浮かぶ考えを肯定するように言い淀むオルヴェの様子に確信を得たペルセフォネはそのまま畳み掛ける。
「単刀直入に聞こう。汝はレムリアの宝剣を手放すと死んでしまうのか?」
「‼」
「……やはりか」
核心を突かれたオルヴェは口をパクパクさせたまま立ち尽くし、腕の中のベータに縋りつく。
(ベータ! どうするんだよ! 本当にヤバいぞ⁉)
(…………)
(それに、お前がいなくなったらオレ……)
オルヴェが必死に呼びかけても、ベータの声は聞こえない。
今のペルセフォネは『無視』が通用する相手ではないのに!
危機的状況をなんとか打開しようとオルヴェは脳みそをフル回転させるが言い訳どころか息だってできない。
そしてペルセフォネは腕を組んだまま銃口のような視線を自分とベータに向けたままうんともすんとも反応しない。
怒号や罵声どころか慰めもない。
逃げ場のない沈黙の重圧にオルヴェが今にも押し潰されかけたその時、抱きしめていた剣の宝玉が鈍く点滅した。
「……マスター、彼女に真実を話すことを推奨します」
──聞き慣れた静かで無機質な、だけど優しげな声が響く。
それはすでにオルヴェの頭の中だけに聞こえていた秘密の囁きではなかった。
「! ……まさか、本当に喋るとは」
「ごきげんよう。〝レムリアの正当なる末裔〟、ペルセフォネ・マギニアス。私はレムリアの宝剣、個体識別名をベータと申します」
「これ以上私の存在、そしてマスターとの契約を隠し通すことはリスクが大きすぎると判断しました。ミス・マギニアス、これまでの非礼をお許し下さい」
生きている人間と同じ、流暢で淡々としたベータの受け答えにペルセフォネは青い瞳を大きく見開く。
つらつらと紡がれるベータの謝罪に息を呑み、腕を組み、前のめりになって、やがて「ほぅ」と大きなため息をついた。
「汝の存在に〝契約〟……オルヴェ、汝らは一体」
「ご、ごめんなさいペルセフォネ姫っ! オレ、〝死んでる〟んです‼」
……そして、オルヴェはペルセフォネの唇が動くより早く真っ青になった顔を机に叩きつけた。
秘密がバレてしまった、当事者のベータもすでに正体を明かした、それに自分を見つめてくるペルセフォネの目が咎めるわけでも怒るわけでもなくただ憂うように揺らいでいて、気がつけばオルヴェの口は勝手に謝罪を口にしていた。
3
「なるほど……ベータ殿は大半の記憶を失っており、唯一覚えているのが『世界樹の麓へ向かう』という使命。そして汝はベータ殿の力により生き永らえている、と」
「ええ。ですのでマスターは私を手放すと元の死体に戻り、私の世界と人類の存亡を懸けたミッションは失敗に終わるでしょう」
静けさを取り戻した庭園を見渡し、ペルセフォネが確認するように、オルヴェが持つレムリアの宝剣──『ベータ』に問うと電子音のような声が低く肯定してきた。
机に肘をついたペルセフォネはため息を吐きながらオルヴェをチラリと見遣る。
「……」
(彼の『東土ノ霊堂』の時の腹部の怪我も〝致命傷〟だったと考えれば納得できる、が……)
先ほどまでの元気さはどこへやら、オルヴェは完全に意気消沈して俯いており、たまに恐る恐る伺う目つきでこちらを見上げてくる。
これまで黙っていた事への後ろめたさや、レムリアの宝剣を没収される事をひどく恐れている少年の様子にペルセフォネも何と声をかけたらいいのか分からなかった。
「……では、マスターに代わり質問を。先ほど私を見せてほしいとのことでしたが、理由をお聞かせ願えませんか? ミス・マギニアス」
「『レムリアの宝剣』について調べていたところ、三つの鎖と同じく隠された能力があるという書物が発見された。……『レムリアの宝剣は意志を持つ』『レムリアの宝剣は持ち主の命を助ける』というものだ」
「……ベータのと同じだ」
まさかここまで高度なものだとは予想外だったが、とペルセフォネは目を細めて頷く。
擬似的ながらも死者蘇生を可能とし、魂が備わっているかのような人格を持ち、古代レムリアの過去を部分的ながらも覚えていた。
「あの……やっぱりベータは没収ですか」
「没収? 汝は何を言っている?」
「え、でも……」
柔らかい声で話しかけられるとは思っても見なかったらしく、オルヴェはペルセフォネの顔を二度見してくる。
……彼の言う通り、本来ならすぐにでも司令部が回収するべき重要な遺物だが、ペルセフォネはその選択肢を取るつもりはない。
「すでに私は汝にレムリアの宝剣を任せ、世界樹の麓を目指すよう指令を出している。更に今の汝はレムリアの宝剣と一心同体、それを分かっていながら約束を反故にし宝剣を取り上げるのは卑劣極まりないだろう?」
「……オレ、まだベータと一緒に冒険してもいいんですか?」
「無論。王族に二言はない」
ペルセフォネが言葉を投げかけるにつれ、暗く濁ったオルヴェの表情と碧眼が段々と光を取り戻す。
……きっとこの少年が真に恐れているのは死や罰を受ける事ではない、ベータを失い仲間たちに永遠の別離を味わわせる冒険の終わり、そのものを恐れているのだ。
「それに汝はすでにベータ殿と『世界樹の麓へ連れて行く』と約束しているのだろう?」
「……約束」
「なら、冒険者らしく依頼を投げ出さず最後まで尽力するべきだ。そうは思わないか?」
じっと座り込んでペルセフォネの言葉を聞いていたオルヴェは握りしめた蒼翠色の宝玉を黙ったまま見つめる。
いつもはあれだけ小言の多い剣は一言も発さず、まるでオルヴェの答えを待っているように静かに燐光を点滅させながら、そこにいる自分の顔を映していた。
(……そうだ、ベータと約束したじゃないか。世界樹の麓へ行って世界を救うって、 )
「マスター」
「ごめんベータ。オレ、ちょっと動揺してた。もう大丈夫だ」
うっすらと滲んだ双眸をがしがしと擦りオルヴェは勢いよく姿勢を正してペルセフォネに向き直る。
「ペルセフォネ姫! さっきは疑ってごめんなさい、でももういつものオレに戻りましたから!」
「うむ。ではこれからもレムリアの宝剣のこと、そして世界樹の麓への旅をよろしく頼んだぞ」
「はいっ!」
まだ目元がほんのり赤いながらもいつもの調子を取り戻し歯を出して笑ってみせる少年の姿にペルセフォネもやっと肩の力を抜いて年相応の笑みを浮かべたのだった。
少年が落ち着いたあたりで再度、ペルセフォネはレムリア載記をパラパラと捲ってみせる。
そこには先ほどのベータ……『レムリアの宝剣』についてのページや鎖や蘇生能力に関しての記述がつらつらと記されていた。
「では話を戻して、汝らは先ほどの話になにか気になる点はあったか?」
「私は特にはありませんが……」
「さっきベータが言ってた、〝正当なるレムリアの末裔〟ってどういう意味ですか」
「|言葉通り《﹅﹅﹅﹅》の意味だ」
「言葉通り?」
眉をひそめたオルヴェが唇を尖らせて聞き返すとペルセフォネは自分の右耳に着けていた金属製の耳飾りを外し、空色の多重円の模様が彫られたそれを少年の前に置いた。
「レムリアの宝剣、飛行都市マギニア、そしてレムリアの秘宝を作り出した古代レムリア王家の末裔、それが我らマギニア王家なのだ」
ひゅるりと庭園を突き抜ける風が吹き、背から注ぐ光にペルセフォネの顔が逆光色に染まる。
風か姫君の告白か、オルヴェは口を開いたまま硬直していたがすぐに酸欠の魚のように口をパクパクさせながら机に身を乗り出して絶叫した!
「ま、マジなんですかぁ⁉」
「勿論。載記の表紙にある多重円は古代レムリア王家のしるし、そしてこの代々伝わる耳飾りにも同じしるしがあるだろう」
「本当だ……でもでも、でも! だったらベータの本来の持ち主って……⁉」
……オルヴェは額から瀑布のような汗を流しながら手元に視線を向ける。
「正解ですマスター。ミス・マギニアスは私の正当なるマスターとでもいうべき御方です、なんなら今すぐでも所有権を譲渡できますが?」
「おいやめろよベータ! 冗談だろ⁉」
「冗談ですよ」
「ふふ、使命を達成し彼の体が元に戻ってからならいつでも歓迎しよう、ベータ殿?」
ペルセフォネ姫に古代レムリア人の血が流れている、明かされる衝撃の事実にオルヴェが腕を組んで考え込んでいると次は私の番だな、とペルセフォネは明るい声で語り出した。
「実は私がベータ殿と話したかったのは鎖の件もあるが『国を永遠に繁栄させる秘宝』について色々と聞きたかったからなのだ」
「国を永遠に繁栄させる秘宝……?」
「以前、我らの目的はレムリア島に眠る秘宝だと言ったな? その秘宝は『国を永遠に繁栄させる』力を持っているのだ」
オルヴェが首を傾げると姫はレムリア載記の最後のページ……レムリア島の世界樹と根本の蒼い光を描いた挿絵を開く。
「詳細は不明だが古代レムリア王国が総力を挙げて作り上げたと伝わっている。私の父は晩年まで秘宝を追い求め、私にその使命を託された」
「てことはペルセフォネ姫の父さ、王様は今どこに?」
「……数年前、病に倒れそのまま亡くなってしまった」
「……そうでしたか」
「汝らが気に病むことはない。いずれは話すことになっていただろうし、私にはミュラーがいるからな」
肉親の死を語るにはあまりにあっけなく淡々とした、まるで何でもない事のように語る声。
……その凛とした光を宿す目が少しだけ寂しそうに輝いた気がして、オルヴェの胸がチクリと傷む。
「それに、秘宝の入手は父上の最後の願いだからな。叶えるのは子供として当然の義務だ……ちょっと来てくれ」
「あ、はい!」
重たい話題に自ずと黙り込んでしまったオルヴェとベータだったが、ペルセフォネは不意に立ち上がり、オレンジの髪を揺らしながら明るい声で庭園の奥へと招いてきた。
「我々をどこへ連れて行くのでしょうか」
「おぉ……これは……!」
軽い足取りの姫君に着いて行くとオルヴェたちの視界、開けた金属柵の先に見えてきたのは並んだ煉瓦色の屋根と漆喰の壁、空と天を隔てる真っ白な帆の船体、そして青空を貫かんばかりに聳える世界樹だった。
「見てるだけで気分が爽やかになるっていうか……!」
「どうだ、素晴らしい景色だろう? 挫けそうな時、私はいつも街を眺めるんだ」
「ええっ⁉ ペルセフォネ姫も落ち込むんですか?」
「失礼ですよ、マスター」
「ふふ、こうやってマギニアを眺めれば王である私が守るべき民を、国を直に感じられる……そうすればこんな場所で立ち止まってなんていられないと思い出せるのだ」
何度も信じられないといった様子で目を輝かせるオルヴェと彼の素直すぎる態度を咎めるベータを見ていると、まるで二人が年の離れた兄弟のようでペルセフォネの顔はいつの間にか年相応のうら若き乙女の笑顔に戻っていた。
──影も形も分からない秘宝を探せという普通の人なら投げ出してしまうであろう任務。
だからあの時、秘宝の一端である『レムリアの宝剣』を目の当たりにして心底安心したのだ。
言い伝えは真実であった、父は間違っていなかったと。
「長くなったが汝らの元気な顔を見れて私も喜ばしい限りだ。汝の仲間にはすでに命じたが回復次第、碧照ノ樹海の獣王ベルゼルケルの捜索にも協力してほしい」
「勿論、オレたちアルゴノーツに任せて下さいっ!」
「私もマギニアとの関係は引き続きマスターを通じて継続したいと考えています」
声を被らせながら胸を張る少年と剣の姿にペルセフォネは愉快そうに目尻を下げる。
「レムリアの宝剣の調査に世界樹までのルート開拓……労多き任務になるが頼んだぞ。オルヴェ、そしてベータ」
ペルセフォネはもう一度右手を差し出し、オルヴェとベータは内なる好奇心と新たな指令に胸躍らせながら姫君の手を握りしめた。
4
「ただいま〜」
オルヴェがペルセフォネ姫との対談を終え、入院用の荷物を抱えて湖の貴婦人亭に戻って来たのはもうお昼の鐘が鳴った後の事だった。
カウンターで飼い猫マーリンと共にだらけていた店番の少女ヴィヴィアンは元気な少年の姿を認識するなり、まるで信じられないものを見たような、だけども安心した声で話しかけてきた。
「おー、ホントに帰ってきた……大ケガしたって聞いたけど大丈夫なの?」
「まあな! ほい、マーリンさんも久しぶり」
「ヴゥン」
……マーリンさんは相変わらずオルヴェの挨拶にもナデナデにも塩対応だった。
「お前はいつでもモッコモコだよな〜、そういやアリシアたちは?」
「いつも通り冒険に行ってるよ、でも今日は遅くまで帰らないってさ〜」
「そっか」
自分とヴィヴィアン、それとマーリンさんしかいないフロントを見ながらオルヴェはとりあえずソファーに腰掛ける。
……自分を置いてすでに冒険に戻った仲間たちに一抹の寂しさを感じながらも、入院明け特有の体のだるさに身を任せ白樺の窓枠の向こう側をぼんやりと眺めていた。
「あ、忘れるところだった。オルヴェさん宛に手紙来てるよー」
「手紙ぃ?」
半分眠りかけていたオルヴェは目を擦ると上体を後ろに逸らして幼げな声の方へ振り向いた。
背後のカウンターからは自分と同じように仰け反った姿勢のヴィヴィアンがつまんだ四角い紙切れを催促するように揺らしており、オルヴェは首を傾げながらも封筒を受け取った。
「ひょっとしてファンレターだったりして?」
「どうだろ〜? 差出人の名前も住所もないし、郵便屋さんも不思議がってたよ」
「えー? ただの恥ずかしがり屋なだけかもよ」
……暢気で気の抜けた、でもどこか訝しむような様子の少女から手渡された手紙は確かに謎めいていた。
まっさらな白の封筒には『オルヴェさんへ』と書かれた黒以外にはシミ一つ無く、よく熟れたクランベリー色の封蝋に浮き出た羽のある蛇らしきマークに見覚えはない。
錬金術師《アルケミスト》の紋章がこんなデザインだった気もするが、自分の頭の中を掘り返してみてもそういう知り合いがいた記憶はない。
「マスターにファンレターとは悪趣味ですね」
「ふん! さーて、中身は何だろな〜」
……一通り眺めた後、オルヴェは肩をすくめつつ封蝋を切って中身を取り出す。
ファンレターなら問題なし、イタズラなら帰ってきた仲間たちにどやされる前に片付けてしまえばいい。
だが、封筒から出てきたのはオルヴェが期待していた手紙ではなかった。
──空きスペースに文字が書き殴られ、〝自分以外の顔が黒塗りにされたアルゴノーツのギルドカード〟だったのだ。
〝
拝啓オルヴェ殿
この度は獣王ベルゼルケルの討伐、心よりお祝い申し上げます。
オルヴェ殿が獣王ベルゼルケルを『レムリアの宝剣』を用い屠ったと聞き、是非ともレムリアの宝剣を私自らの眼で拝見したくお手紙を出させて頂きました。
皇帝ノ月十六日の午前一時に、同封してある地図の場所、碧照ノ樹海の外れまでレムリアの宝剣を持って一人でいらして下さい。
なお手紙の内容は秘密厳守、アルゴノーツの皆さまにも衛兵にも誰にも話さず、明かさぬようよろしくお願い致します。
アルゴノーツの皆さまの冒険が末永く続く事を願っております。
〟
「……こ、これは──」
「どうしたのオルヴェさん? なんて書いてあったの?」
「うおわっ⁉」
送られてきた異常なギルドカードに見開いた目がくっつきそうなほど近づけていたオルヴェは背後からの不意打ちに飛び上がる!
「フシャーッ‼」
「ぐふっ! い、いたた……」
「おい二人とも大丈夫か⁉」
オルヴェの百本の爆竹が一斉に破裂したような悲鳴にマーリンさんは全身の毛を逆立てながら飛び出し、ヴィヴィアンは頭上から発射されたマーリンさんに踏まれカウンターテーブルに顔面を強打した。
「もう、一体なんて書いてあったんだよ〜……オルヴェ」
「あっ、後で説明するから! じゃあなヴィヴィアン! マーリンさん!」
「えーっ! 教えろよー!」
「ヴルミャン‼」
机にぶつけて鼻を赤くしたヴィヴィアンと尻尾をモップか棍棒みたいに膨らませて威嚇するマーリンさんを心配しつつも、オルヴェは急いでギルドカードをポケットにねじ込むと何度も足を絡ませながら自室へと退散していった。
「ヤバいって! これ絶対ヤバい!」
自室に着くなりオルヴェはベッドに手紙とベータ以外の全ての荷物をぶん投げると、ベータの柄を掴んでもう一度件の手紙に目を通した。
少年の滝のような手汗や激しい心拍数を感じ取り、ベータは普段よりも早く反応する。
「ベータ! これって、きょ、脅迫文だよな⁉ それも今夜って……!」
「落ち着いて下さいマスター。確かにこの手紙は脅迫文といっても過言ではないでしょう」
「じゃあやっぱり衛兵隊に──」
「ですがマスターは冒険者。マギニアの法律では冒険者間のトラブルは基本当人同士で解決するようにと定められています」
「……ましてや、たった一通の脅迫文では衛兵隊に通報したところで送り主が誰であろうと相手にされないでしょう」
「マジかよ! どんな奴が送ってきたかも分からないのに⁉」
どうにもならない状況に石のように硬直するオルヴェとは対照的に、淡々と事実を告げるだけのベータだったがやはり内心穏やかではないのかそれ以上言葉を紡がない。
……衛兵隊に通報するのも不可能、そして相手はオルヴェとベータのみならずアルゴノーツの全員の顔を知っているのは確実。
レムリアの宝剣を求める人間が〝それ以外〟に手を出さないと断言できるだろうか?
この作戦が上手くいかなければもっと別の、より過激で、残忍な策を練ってくるかもしれない。
そうなればレムリアの宝剣を手に入れる為の『生き餌』にされるのはオルヴェの大切な友人たちや親しい人々かもしれない。
……気がつけば握りしめたギルドカードが汗でふやけていた。
(なにか、なにか手掛かりは……!)
縦読み、飛ばし読み、後ろから。
オルヴェが何度頭を捻ってもギルドカードには読んだ通りの内容しか書かれていない。
「|レムリアの宝剣《私の正体》を知っているような相手に下手な策は通用しませんよ」
「もう、本当に誰がこんな手紙送ってきたんだよ……!」
頬に溜まる唾液に喉仏を何度も上下させながら怪文書を睨みつけていた少年だったが、ある一文が横切った直後、青い瞳孔が小さくなった。
「……なぁ、今気づいたんだけど」
「どうかしましたか」
「ベータが、レムリアの宝剣が欲しいなら盗むなりすればいいのに──」
促すように問いかけてくる相棒に頷きながらオルヴェはギルドカードを指さした。
「──なんでオレごと呼び出す必要があるんだ?」
「……マスターにしては冴えてますね」
相変わらず素直じゃないな、なんて口にしたらヘソを曲げそうなのでオルヴェはベータに向かってニヤリと得意げに歯を見せるだけに留める。
「レムリアの宝剣が欲しいだけならわざわざ我々に伝える必要はない。それこそ司令部を偽って没収しても、なんならマスターを殺してでも奪い取ればいい」
「なのに、コイツはオレを呼び出したんだ!」
──オルヴェが必ず来るように仲間への危害をちらつかせ、ギルドカードに不気味な落書きまで施して。
「ここまで誘われたらやっぱり行くしかないよな」
「行くのなら相応の覚悟、それから武器の準備が必要です。……相手は複数人かもしれない、もしも捕まったら殺されたり売り飛ばされるかもしれないという警戒心をお忘れなく」
「大丈夫! 仮に悪い人だったら『第一の鎖』を解放して逃げればなんとかなるだろ?」
「今やったら開放骨折しますよ。私個人としてはマスターの体がどうなろうと知りませんが……」
「まぁ、なるようになるしかないってことか!」
わざと罠の中に飛び込むという思考回路、全身の骨が砕ける可能性にも怯まない度胸、そんな若いマスターの生き様にもはや心配性を隠そうともしなくなったベータに向かってオルヴェは自らをも奮い立たせるように親指を立てる。
……仲間を守る為、ベータを守る為、様々な理屈や考えが胸の中で混ざり合うが、オルヴェを罠の中に飛び込ませたのはやっぱり詳細不明の差出人に対する好奇心であった。
5
「ニャヴゥゥ……」
「マーリンさん、ちょっと出かけてくるだけだから、シーッ!」
「マスター、猫に言葉は通じませんよ」
「いやでもマーリンさんって結構頭いいぞ? この前ヴィヴィアンがサボろうとしてたら顔ひっかいてたし」
「はぁ」
「ンルル」
オルヴェを一目見るなりカウンターの上で膨らんで警戒してくるマーリンさんを鎮めつつ、オルヴェは手紙代わりのギルドカードを握りしめ湖の貴婦人亭から静かに夜半の街へと繰り出した。
ベータの剣先から煌々と漏れる青白い光に導かれ、人々の寝静まった市街地、夜勤の衛兵が見張るマギニアの出入り口、そして草木も眠る碧照ノ樹海の若草の地面を踏み進む。
深夜一時の指定に備え、眠くもないのにベッドで横になり、夕方に帰ってきた仲間たちが部屋を覗いてもずっと眠ったふりをしていたし、出発する際もヴィヴィアンや他の冒険者がいない時を見計らい音を立てずに外出した。
……つまり、オルヴェとベータがこの場所に来ているのを誰も知らない。
怪文書の送り主以外は。
「マスター、目的地周辺です」
「……」
甲高いアラーム音にオルヴェは歩みを止め、茂みの中から周囲を見回す。
そこはベースキャンプ設置の為に切られた丸太があちこちに積まれている空き地だった。
普段の探索でも見かけるような痕跡があるが、時間のせいかそれとも何か別の要因があるのか、鳥の声どころか虫のさざめきすら聞こえないほど静まり返っていた。
「周辺の生命反応をスキャンします……五メートル、十メートル」
「おい! 約束通り、来てやったぞ!」
ベータが周囲の生命反応を確認する中、空き地に足を踏み入れたオルヴェはどこかにいるであろう自分たちを呼び出した人物に向かって声を張り上げる。
……ベータの忠告通りできるだけの準備をして指定の場所へ来た。
盾での守りは普段エドに任せているので初日で箱にしまった自分の盾も持ってきたし、逃走用の煙幕や轟音弾といったアイテムも購入済み。
だが、そんなオルヴェたちの準備と緊張は裏腹に返事もなければ怪しい生命反応も大声に釣られてやってきそうな魔物すら見当たらない。
「あのさ……やっぱイタズラだったのかもな」
「それなら良いのですが」
「いや、もう少し待ってみようか──」
そうならそうであってほしいとオルヴェが半分安堵しながら肩の力を抜いたその時だった。
「──マスター! 左です!」
「っ! ぐぅ⁉」
咄嗟に横に構えたベータで防御すると同時にオルヴェの右腕に強い衝撃が走る!
右腕から全身へと広がる殺しきれなかった衝撃に思わず潰れた蛙のようなうめき声を上げ、遅れて金属がぶつかり合う不協和音が火花を散らす。
腕の麻痺と震えに歯を食いしばりつつ、オルヴェは跳ねるようにその場から距離を取った!
(ちゃんとベータで受けたのに痺れが取れねぇ……どんなパワーだよ⁉)
追撃がいつ来るか、相手は何人いるのか、背中全体に浮き出る冷や汗を無視してベータを構えつつ痺れた右手を無理矢理押さえつけ風の音に耳を澄ませる。
森と土の匂いだけが漂う深青の森の中で耳の奥の奥まで神経を尖らせていたその時、背後から聞こえてきた謎の声に、オルヴェは赤いマントを翻しながら勢いよく振り向いた!
「……まさか本当に一人で来るとはな」
「っ⁉」
……切って積まれた丸太の上。
先程まで空気しかなかったはずのそこに佇んでいたのは、夜風に青いマントと二つ結びの赤髪を靡かせている仮面の男だった。
夕暮れのような赤い髪をオルヴェと同じように立たせたヘアスタイル、宵闇色の鎧と同じ材質の鋭く尖った仮面は目全体を覆っておりその奥の表情を伺う事はできない。
右手にはベータと似た朱色の剣を握っており、妖しく光る真紅の刃は先ほどの猛撃にも関わらずヒビどころか刃こぼれすらしていない。
「お、お前は誰だっ⁉」
獣王ベルゼルケルとはまた違う『強者』を目の当たりにして体が固まるが、オルヴェは敵意剥き出しの視線を男に向けたまま剣先を鋭く突きつけた。
……彼が手紙を出した張本人なら次は何をしてくるのか分からない!
だが男は精一杯の虚勢と敵意を向けらているというのに苛立ちもなければ、嘲笑も憐れみもない。
その視線はまるで蟻を見る巨象と同じ〝完全な無〟。
背筋に垂れる汗が全て氷の礫になったような悪寒を感じつつ、オルヴェがつばを飲み込むと仮面の男は淡々と低い声で言葉を発した。
「……我が名は『ディオスクロイ』。レムリアの宝剣の番人であり、レムリアの宝剣に選ばれた勇者を導く者だ」
「れ、レムリアの宝剣の『番人』……⁉」
切っ先を向けたままオウム返しするオルヴェに男──ディオスクロイがまるで出来の悪い子供を見るようにため息をつきながら、その緑色の瞳を閉じて諭すような声色で一人呟く。
「警戒するのも当然か。なんせ肝心のレムリアの宝剣が記憶喪失、マギニアも宝剣どころかレムリアの秘宝の全容すら掴めていないのだから」
「⁉ なんで知って……」
……レムリアの宝剣に番人がいるなんて初耳、それにマギニアの目的やベータの記憶喪失を知っているのは仲間たちとペルセフォネだけ。
(そんな、そんな奴が本当にいるのか!?)
(私の記憶データベースに『番人』なる存在は記録されていません……ですが、私が忘れているだけなのかもしれません)
ベータからの答えもいつも通りの詳細不明。
だが、その言葉は断言する口調ではなくオルヴェに対して「これであっているのか」と問いかけるような不安が滲んでいる。
すぐにオルヴェは見開いていた目とぽかんと開いていた口を真一文字に結び直し、男に向かって不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせた。
「で! そのレムリアの宝剣の番人さんがオレたちになんのご用事で?」
「私の使命はお前を一人前の勇者に鍛え上げること……元よりお前に危害を加えるつもりはないから安心しろ」
「……本当なのかよ」
啖呵を切りながら向けた人差し指を回してみてもディオスクロイの顔は笑ったり怒るどころか鋼鉄や氷のように固い。
なのに語る内容はこちらを助けるだとかサポートするだとか、友好的なのが余計に引っかかるのだ。
どこまで自分たちの事を知っているのか、何が目的なのか、腕の痺れが薄れてきてもなおディオスクロイへの疑いは晴れない。
それに、仲間をダシに使ってベータも怪しむ人物をすぐに信用するなんてオルヴェのリーダーとしてのプライドが許せなかった。
「そもそも! こんな脅迫状みたいな手紙を送ってきておいて、ハイそうですかって信じ──」
「敵対生命反応検知! すぐ近くに接近中!」
「なっ⁉」
オルヴェがへの字の口を開いた瞬間、ベータの魔物の接近を知らせる警告が脳内に響く!
ベータを構えたその直後、ディオスクロイの背後の茂みから今の今まで息を潜めていたバッタの魔物たちが一斉に飛び出して来た!
「! ベータ──ッ!」
オルヴェは咄嗟に地面を蹴り出すとディオスクロイの後ろめがけて突進する!
──相手が何者でも、目の前で魔物に襲われる人を見捨てるなんて英雄の風上にも置けない行為だ!
腕をしならせ加速のついたベータの刃が魔物に迫る直前、それは一瞬の出来事だった。
「……遅い」
「──ギィィ!」
ディオスクロイは振り向きもせず魔物の蹴りを半身で躱すと同時に手首と肘を僅かに動かす。
剣が赤い線を描いた直後、ディオスクロイに迫っていた魔物は刹那のうちに足先から脳天までがまるでバターのように軽々と切り裂かれる!
「な……!」
仲間をやられた怒りでキチキチと鳴く羽、跳ねる直前に胴体サイズにまで膨れ上がる脚部、空気を食いちぎる顎、虫特有の感情の読めない複眼。
その全てがディオスクロイが一歩踏み出す度に弾け、真っ二つになり、彼の歩いた後に血の道ができる。
あまりの早業に立ち止まってしまったオルヴェには、もはや赤い閃光と遅れて響く魔物の断末魔しか追いかけられなかった。
青いマントにシミ一つ付けず戦う男の姿にオルヴェは無意識のうちにベータを下ろし、まるで英雄劇を見る子供のような目で『英雄』の戦いに見とれていた。
「む──」
「わっ⁉」
ディオスクロイの達人技に見とれていると不意に赤い刃がオルヴェの真上に現れた!
──斬られる!
咄嗟に降りてくる刃に両腕をかざそうとした瞬間、赤い剣の表面からキラキラとどこかで見たような青白い粒子が巻き起こる。
放たれた〝それ〟はオルヴェが振り向くよりも早く駆け抜けると、自分の背後に迫っていた最後の一匹を十六等分に叩き斬った!
「……あり得ない、器具《わたし》無しであれだけの濃度の『残影』を出すなんて」
ベータの声が聞こえているのか、その言葉に反応するように魔物にとどめを刺した『蒼いディオスクロイ』は顔を上げると瞬きもせずに青白い瞳でオルヴェたちの方を眺める。
「ざ、残影……⁉」
最初の戦いでオルヴェが出した残影はもっと幽霊のようで、向こう側が透けて見えたし十秒もすればコーヒーに入れた砂糖のように霧散してしまった。
しかし、ディオスクロイの残影は十秒どころか〝一分以上も〟オルヴェの前でゆらゆらと陽炎のように揺らいでいる。
柄と鞘がぶつかる音が小さく響くと同時に残影は役目を終えたように青白い光の粒になりながら静けさを取り戻した夜空へと消えていった。
「……理解したか? これがお前と私の実力の差だ」
「っ!」
「レムリアの宝剣に頼らなければ残影一つまともに出せないお前に何ができる?」
いつの間にか背後に迫っていたディオスクロイの黒い仮面に驚いたオルヴェは思わずその場でたたらを踏む。
蛇のような緑の瞳に見下ろされ全身を強張らせるがやがて男は鼻から小さな笑いを漏らしながら仮面の奥の光を細めた。
「何が言いたい……!」
「私からの試練を全て達成すればレムリアの宝剣は真の力を取り戻し、お前は〝真の英雄〟になれる……達成できれば、だがな」
……挑発するような低い声でそう告げるとディオスクロイは竜血樹の林へと姿を消す。
オルヴェは先ほどの戦いと嘲りにしばらく呆然と立ち尽くしていたが、一拍遅れて腹と胸の中が煮えたぎるように脈打ち始める。
「……ああいいさ、望むところだ!」
(こんな怪しい奴、絶対に信用できるわけない。でも……強い。オレもあれくらい強くなれたら……!)
真っ赤になった鼻から憤りを噴き出しながら、誘われるように少年も林の中へと消えていった。
鳥の声すら聞こえない夜の森をディオスクロイは迷いなく進み、オルヴェもずんずんと枝を踏みしめて歩いていると呆れたため息が聞こえてきた。
「……マスター、本気であの男の話を信じるのですか?」
「あ、ベータ」
ディオスクロイが現れてからというものの、危機的状況を除いて全く喋ろうとしなかったベータの声にやっとオルヴェも笑顔を取り戻したのだが、ベータの視線が向く先は先導する男の背中。
視界を共有しているから分かるのだが、それも害虫でも見るかのような不信感丸出しの目で睨みつけているのだ。
「確かにああ言われたらムカつくけどベータに頼りっぱなしなのは事実だし……」
「私が聞きたいのはそのようなことではありませんが」
「……何か言ったか」
「っ! いいや、別に?」
オルヴェは咄嗟にベータを鞘の中に押し込むと訝しげにこちらを見つめていたディオスクロイの傍に駆け寄った。
男が指差した先には碧照ノ樹海のように迷路状の開けた平地と泉が広がっており、ジューシーな果実や花の香りがオルヴェの鼻腔をくすぐる。
「ここは初心者向けの小迷宮『小さな果樹林』だ。お前のような新米なら絶好の鍛錬場になるだろう」
「初心者向け、なぁ……ここで何をすればいいんだ?」
「お前への最初の試練、それは──」
直後、ディオスクロイの言葉を遮るように二人の頭上を黒い影が飛び越える!
紫の毛皮とトライデント型のエナメル質の角、泥土で研がれ弧を描くリーパーの鎌に似た蹄。
赤い瞳の獣は細身の体と長い脚で泉の対岸へ華麗に着地すると、見慣れぬ二匹の生き物を訝しむように頭を傾げた。
「──この迷宮を住処とする『狂乱の角鹿』を一人で討伐しろ」
「きょ、狂乱の角鹿ぁ⁉」
『狂乱の角鹿』と呼ばれた魔物はオルヴェとディオスクロイを完全に無視し、そのまま一飛びで果樹林の中へと消える。
……『狂乱の角鹿』といえば冒険者の逸話で必ず語られる魔物だ。
甲高い鳴き声や特徴的なステップで得物を混乱させ、前後不覚になったところを槍のような角で貫き百キロ超えの全体重で踏み殺す。
昔の自分なら即座に特攻しただろうが、今のオルヴェの足には経験と死の恐怖という重い鎖が巻き付いていた。
なかなか踏み出せないでいると背後からフンとバカにするように笑われ、オルヴェが憤りながら振り返ると男のニヒルな笑みが突き刺さる。
「どうした? この程度で怖気づいたのか?」
「‼ ……ああやってやるよ! 狂乱の角鹿を倒してお前の試練を乗り越えてみせる!」
闘志に火がついたオルヴェが見たかったのか、後は自力で頑張れとでも言いたげに腕を組んだまま半歩下がる男をもう一度睨み、オルヴェは剣を抜くと未知の樹海へと突撃していった!
「まずはそこら辺の雑魚で手馴し──」
「行こうぜベータ! ……ってうわぁ! 何だコイツら⁉ わわっ! ディオスクロイ〜〜ッ‼」
「……先は長そうだな」
……勇猛果敢に飛び出した直後にマンドレイクたちに絡みつかれ地面で悲鳴を上げて助けを求める少年にディオスクロイは静かに頭を抱えるのだった。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第九話だよ!今回もオリジナル展開でオルヴェ退院〜ディオスクロイとの出会いまで。
第二迷宮『碧照ノ樹海』編は最近書いたのもあって、旧バージョンと比べ大きな展開の変更はありませんが、誤字脱字や表記ゆれ・ミスの修正、オルヴェの設定変更に伴うシーンの書き直しを重点的に行いました。
今回の話も旧バージョンでは一話に収めていた所を分割して再構成しています。
実はこの話、結構な難産で『ラグナロクの覇者』シリーズは個人的に戦闘シーンのほうが筆が進み、日常シーンで筆が止まる傾向にあるので大変でした……。
でも、暢気なヴィヴィアン&賢い飼い猫マーリンさんとのやりとりや今回追加したペルセフォネ姫にオルヴェのゾンビ化がバレてしまうシーン(ここ、旧バージョンから改変するのがかなり大変でした……)など、気に入っている物は多いです。
最後に『彼』が名乗った『ディオスクロイ』という名前ですが、語源はアルゴー船の乗組員であり、ふたご座のモチーフになった双子の英雄『ディオスクーロイ』です。
ちなみにこのディオスクローイ兄弟がアルゴー船に乗り組んでいた時、頭上に光(セントエルモの火)が灯ったところ嵐が静まったので航海の守護神と崇められているとか。