1
飛行都市マギニアがレムリア島に到着してから早半月。 私は埃っぽい部屋で一人鼻息を荒くして、自分とよく似た字で書かれた手紙を読んでいた。 朝一番に送られてきたサプライズプレゼントは私の寝ぼけ眼を完全に目覚めさせ、私はすぐさま身なりを整えると古いオーク製のドアをぶち壊す勢いで飛び出した。 拠点にしている冒険者向けの小汚い安宿、狭い街特有の傾斜がついた坂と細い道、邪魔でしかない客引きがはびこる商店街、騒がしいガキどもがたむろする公園、あくびが出るほどどうでもいい世界が今日はどこかで色づいて見える。 だって、こんなに『彼』と会えなかったのは久しぶりだから。 (早く会いたい、今すぐ!) 手紙の主のことを考えるだけで私の視界がキラキラとちらつき、心臓は飛び出そうなほど跳ねまくる。 おかしくなりそうなほどの歓喜、ずっと溜め込んでいた寂しさ、そしてひとつまみの不安。 私はまるで恋した生娘のように待ち合わせ場所にまっすぐ向かうと、舞台に上がる役者のように深呼吸してキャラメルの甘い香りが漂うカフェに足を踏み入れた。 指定された二人用のテラス席にいた赤い髪の青年は私に気づいたのかメニューを見たままクスクスと肩を揺らし、逸《はや》る気持ちを抑えてそっと近づくと彼は花が咲いたように満面の笑みを浮かべた。 「久しぶり、元気だったかい?」 彼の顔は子供のように幼く無邪気で、上目遣いの瞳孔だけが爛々と光る暗く濁った緑の瞳で見つめられ、私もつい〝まるで鏡のように〟彼に笑い返してしまうのだ。 「勿論だ──兄さん」
2
……ある高名な学者の論文によれば、同性の双子というのは知能も性格もあまり変わらないらしい。 だが、私の兄はハッキリ言って私よりも何倍も頭が良い。 そもそもこの計画を立案したのはほとんど兄、私は何も考えず指示に従って動けばいいという待遇。 おまけに今回だってたった数十分喋るだけの予定なのに、兄はマギニアでも特に見晴らしの良い人気カフェのテラス席を用意してくれた。 運ばれてきた上質な珈琲の味が舌に広がる度に私は兄の優秀さを噛み締め、頬をパンケーキで膨らませ、まるで幸せそのものを体現したかのようにご機嫌な兄を間近で見れることに私は胸の中で何度も何度も感謝する。 ──勿論、感謝は私の兄に向けてのものだ。 「ところで、君は『レムリアの宝剣』を知っているかな?」 「レムリアの……宝剣? レムリアの秘宝じゃなくて?」 小腹を満たした兄は手を口元に添えてわざと声をワントーン低くしてちょっと悪い笑みを浮かべる。 子供の頃から兄は二人だけの内緒話をする時は決まってこのポーズを取って、私の反応をウキウキしながら伺ってくるのだ。 私もわざとらしく眉をひそめてオウム返しにしてやるとお眼鏡に適ったようで、兄は頷くとおしゃれなカフェには似つかわしくない古びた一冊の本──『レムリア載記《さいき》』の後巻を取り出した。 「〝それ〟がどうかしたのか」 「ちょっと待ってくれ、確かこのページに……」 本の虫な兄らしい挟まれた大量の栞と折られたページを見ているうちに『元の持ち主』に返却するつもりはないんだろうなと思いながら、私は静かにメニュー表を通路側に立てページを捲る音に耳を澄ませながら思案に暮れた。 (レムリアの宝剣、なぁ……) 私自身この単語には全く心当たりがなかった。 ……本音を言うと、私個人はレムリアの秘宝『ヨルムンガンド』にも古代レムリア文明にも全く興味がない。 一応計画の要である『ヨルムンガンド』や他の重要事項は教えられた通り記憶しているがそれだけで、伝承や歴史が大好物である兄のような関心も好奇心も私の胸で沸き立つことは一切なかった。 (レムリアの宝剣ってことは剣なのか、でもたかが剣如きで釣れる兄さんじゃないし……) 「……ほら! あったよ!」 早々に考えるのをやめて舌の上の苦みを味わいながら兄を眺め、私の視線も気にせず夢中になってページを捲っていた兄はやがて開きグセが付いたページを突き出してきた。 ……載記に描かれていたのは金持ちの指輪についてるような青緑色をした雫型の『宝玉』。 宝玉の周囲に卵の殻のように纏わりついている、粘土のようにも水のようにも見える『光の塊』だった。 「レムリアの宝剣、正式名称『フェンリル』はヨルムンガンドと同じ時代に製造された古代兵器。そして、古代レムリア王国の栄華を築いた技術の到達点でもあるんだ」 「はぁ、フェンリル?」 兄はやや興奮気味に本を叩くと雛鳥の口に餌を突っ込む親鳥のような早口で見知らぬ言葉の羅列をスラスラと暗誦し始めた。 ……レムリアの宝剣、フェンリル。 かつて古代レムリア王朝が繁栄した時代に製造されたコレは兄の目指すヨルムンガンドとも関わりがある、一言で言うなら兄弟機なんだとか。 そんなレムリアの宝剣も元は軍事利用が主だったが、弟分となるヨルムンガンドが製造されて以降は軍用から民間用にも生産され古代レムリア王国内のありとあらゆる場所で使用された。 ──それは何故か? 「君は……何故だと思う?」 「あー……レムリアの宝剣が万能兵器と呼ばれる所以、それは〝持ち主によって最適な器に変化する特徴〟にある?」 「そこだよ! だから僕はレムリアの宝剣が欲しい」 私に読み上げさせた言葉を強調するように兄は強く、両手をゆっくり勿体ぶりながらポケットの中に突っ込んで二枚の紙切れを机の上に放り投げた。 一枚目はレムリアの宝剣を腰に差した見知らぬ緑髪の少年が描かれた羊皮紙。 そして二枚目には冒険者ギルドのマークが刻印された冒険者の遍歴書が記されていた。 以前エトリアの遺跡で拾った『勝手に絵を描いてくれる遺物』を使ったのか、上等な羊皮紙──写真には精巧な絵が描かれている。 写真の少年は清潭な顔立ちをしているが全体的にまだあどけなさを色濃く残しており、腰に下げたレムリアの宝剣らしき剣と二枚目の紙がなければただのガキにしか見えなかった。 「数日前、マギニアを歩いていたらレムリアの宝剣を持っている冒険者を見つけたんだ」 「……名は『オルヴェ』。男で歳は十六、職業はヒーロー。ギルド『アルゴノーツ』のギルドリーダー……知らないな」 「知らない? 碧照ノ樹海を牛耳っていた獣王ベルゼルケルを倒した期待の新人冒険者なんだけど、今入院中だってさ」 「聞いたこともないし興味もない……それでコイツをどうすればいいんだ?」 役所らしい角張った文字で書かれた少年の遍歴書に目を通したが特に変わったところはない。 高名な王族貴族の血筋でもなければ、幾つもの国を股にかける大泥棒でもない。 どこかの迷宮を踏破した大冒険者でも、その子供でもない。 ……蛇足になるがどうやらこの少年は兄が落とした財布を拾いわざわざ追いかけて届けてくれたらしいが、そんなのはどうでもいい。 これくらいの雑魚なら兄さん一人でも殺せそうなものだが、私に知らせたという事はそうも行かないのだろう。 こんな何の変哲もないガキが古代レムリアの遺物を持っているなんてイレギュラーにもほどがある。 なにか隠し玉を持っていてもおかしくはないと兄は考えたのかもしれない……だが私には無意味だ。 私はまだ火傷しそうなほど熱いコーヒーを一気に胃に流し込んで口を拭いながら席を立つ。 「夕方までには終わらせてくる、兄さんはここで待っててくれ」 ……とっとと終わらせて早く兄さんの喜ぶ顔を見よう。 「ん、違うよ?──君に頼みたいのは、このオルヴェ少年を一人前の英雄《ヒーロー》に育て上げて欲しいんだ」 「──は?」 私の兄は完璧だ。 たまにとんでもないことを言い出すけれど──彼は私の自慢の兄だ。
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「前にも話した通り、僕達の計画の要は抗い難い恐怖と共通の敵による団結……そのためには団結を促す『英雄』が必要だ! この少年にはその才能がある‼」 「え⁉ うおっ! ちょっと待ってくれ兄さん!」 突然兄は何かに取り憑かれたかのように叫びながら立ち上がる! ……さっきまで完全に殺れって雰囲気だっただろ⁉ それまで石化したみたいに固まって呆気にとられていた私は咄嗟に半身を大きくひねって反転させると兄が倒しかけた机を掴んで止める! 金属の脚と石床がぶつかる大きな音がテラス中に木霊して店中の視線が一斉に私たちに向けられるが、兄はまるで何でもない事のように目をキラキラと輝かせていた。 「君にも話しておこうか、あれは僕が少年の後をつけて樹海に向かった時のこと!」 大人しくなったかと思ったのもつかの間、兄は目を爛々と輝かせたまま人差し指を天に向かって真っ直ぐに突き立て、演説を再開した! 「二匹目の獣王によって瀕死の重傷を負った知り合いの冒険者を助けようと無謀にも戦いに挑んだ少年は仲間たちやレムリアの宝剣、そして瀕死の冒険者までもを鼓舞し立ち上がらせたのだ!」 「おいおい待て兄さん! 一旦落ち着けって!」 「まだまだ未熟だけどあの善性と適性の高さ! 彼が育てば確実に計画は成功するぞ! あははは‼ ──むぐっ」 「ストップ! ストップ! ……話が全く見えないんだが⁉」 私は『リンクスキル』の如き怒涛の勢いで喋りだそうとする兄の口を咄嗟に手で塞いで強制停止させる。 見上げてくる丸くなった緑の瞳にちゃんと一から説明して欲しい旨を教えてやると次第に兄の上がりきったテンションが沈静化してゆく。 瞳に理知的な光が戻ったあたりでそろそろ良いかと口を覆っていた手を外してやると、兄はちょっぴり申し訳なさそうに唇を尖らせて頭を掻いた。 「いやぁ、思い出したらついテンション上がっちゃってさぁ。君にもあの光景を見せてあげたかったよ」 「……店中から見られているぞ」 あははと暢気に笑いながら兄はお決まりのようにウインクして舌を出した。 茶目っ気で押し切ろうとしているが、流石に今回ばかりは私もそれで流せるほど盲目ではいられない。 何事もなかったかのように話を続けようとする兄を唇を真一文字に結んで何も言わずにじっと見つめてやる。 しばらく兄は無言の圧力をかける私から目を逸らしていたが、やがて耐えられなくなったらしく物凄く小さな「ごめん」が聞こえてきたと同時に私の前にクリームと果物が乗ったふわふわのパンケーキが一口分差し出された。 ……どうやら今回のにらめっこの勝者は私のようだ。 口腔に広がる甘ったるいジャムと甘さ控えめな生クリームの味わい、ついでに自分の分も切り分けて頬をまんまるに膨らませながら甘みを堪能する兄の姿に私の眉間に入っていた力や呆れといった感情はいつのまにか静かに消えていた。 少し混沌としたオープニングトークを終え、兄は店員に空になった皿やコーヒーカップを下げさせるとカフェ特有のたるんだ空気を追い払うように両手を小気味よく鳴らす。 「改めてさっきの話に質問はあるかな?」 「山ほどあるが……そもそも兄さんが欲しいのはレムリアの宝剣なんだろう? なのになんで見ず知らずのガキを教育する必要があるんだ?」 「計画に利用できそうだからさ。僕もただ単にレムリアの宝剣を手に入れるために君を呼んだわけじゃない」 私と兄は改めてレムリアの宝剣のページと冒険者の写真を一瞥する。 ……兄が何を語るにせよ、着席した私にできることは兄の話ができるだけ脱線しないよう胸の前で小さく指を組んだまま話に耳を傾けることだけである。 「まず彼が持っているレムリアの宝剣だけど、他のレムリアの宝剣と比べて〝特別〟なんだ。何がって言うと『大部分の力が封印されている』らしい」 「載記にも古文書にもレムリアの宝剣に封印があるなんて記述はどこにもないな」 「ヨルムンガンドの動乱で失われた、何らかの目的で秘匿された、あるいは太古の人々すら知り得ない〝何か〟があるのか……」 兄が最初に話の題材に選んだのはレムリアの宝剣だった。 ヨルムンガンドと違って大きな事件がなかったのか、それとも別の理由があるのか、レムリアの宝剣は情報は殆ど残っていなかったらしく今やカフェの小洒落た机の上にはレムリア載記だけではなく方々から収集した古文書や兄特有の意外と丸っこい文字がびっしり書き込まれたノートが何冊も広げられており、もはや肘をつく場所もない。 「情報らしい情報も|本人《﹅﹅》の話が正しければ長年眠っていたせいで本来の力が失われているんだとか」 「本人?」 本人というのはやはり写真の少年なのかと思ったのだが兄は首を横に振る。 ……まぁ当たり前か。 例え私たちの知らない情報を持っている場合は兄が既に『お喋り』しているはずだし、そもそもこのアホそうな少年がレムリアの宝剣の秘密を知っているとは思えない。 「──この特別なレムリアの宝剣はなんと『自我』を持っている。人間みたいに喋るし考えることができるし、なんならこの少年とケンカだってできるんだ」 「自我ぁ⁉」 しまった、と正気に戻った時には既に私の顔から上半身はテーブルに乗り上げて兄の鼻息がかかるほどすぐ近くに迫っていた。 こういう話で兄が嘘を言うとは到底思えないが余りに信じられなくて、勢いよく立ち上がった私の足元には金属製の椅子が大きな音を立てて横倒しになり目の前の兄も身振り手振りの途中で固まったまま顔を覗き込んで小首を傾げてくる。 先程兄が騒いでいたときよりも遥かに多いほぼ店中の客どもの訝しげな視線が全身に突き刺さり、背中に大量の汗が一気に流れるのを感じながら私は静かに着席する他なかった。 ……そもそも、ただの兵器に自我があるなんてフィクションか何かか⁉ 「んふふっ……!」 「に、兄さん……」 恥ずかしいやら穴があったら入りたいやら頭の中で羞恥心が爆発して、内気な生娘みたいに顔を真っ赤にして椅子の上で小さくなってる私の反応が相当面白かったらしく兄は椅子に座ったまま腹を抱えてしばらく吹き出していたが、恨めし気に涙目で睨んでやると「ゴメンゴメン」と舌を出して謝ってきた。 「んんっ、載記によればヨルムンガンドにもレムリアの宝剣と同じような自我──自己判断の術式が組み込まれているみたいでね」 「そうか……でも自我があるなんて兄さんには寧ろ好都合だな」 「分かってるじゃないか」 不気味なくらいにっこり笑って兄は胸を……首からかけている『呪いの鈴』を大事そうに撫でる。 ……呪術師《カースメーカー》の兄にとって他者の自我を奪い従順な傀儡にする術は得意中の得意、かつて世界を恐怖に陥れたヨルムンガンドもレムリア文明の到達点であるレムリアの宝剣も兄にかかれば赤子同然だ。 それに、自分の預かり知らぬ場所で自分やレムリアの宝剣の処遇を決められている少年の状況が少し哀れで愉快で、まるで喜劇のようで腹の底からくつくつとおかしな笑いが込み上げてきた。 「封印をどうやって解除するかは不明だが、それに関してはとりあえず追々やっていくとして……次は君が『先生』になる件について話そうか」 「ぁあ……分かったよ兄さん」 兄はレムリアの宝剣の現持ち主である少年オルヴェの写真を私の前に改めて差し出し、静かに語りだす。 今度は先ほどの聞き取らせる気のない早口ではなく、私とよく似た声はまるで物語を読み聞かせるようにゆっくりと一定のリズムを保つ。 彼の声はまるでスキュレーの歌声のように透き通っており、気がつけば私は写真を握りしめたまま息をするのも忘れ兄の語る物語に聞き入っていた。 ……獣王ベルゼルケルの討伐、そして二匹目の獣王ベルゼルケルとの遭遇。 先程の戦いで手傷を負った少年は、なんと自分の命よりも獣王に襲われて生死も分からない冒険者たちを優先した。 そして、少年は仲間たちに『自分が囮になる間に助けを呼んできてくれ』と頼み込んだ。 ──少年の仲間たちは助けを呼びに行く者と、少年が獣王の気を引いている間に負傷した冒険者の手当をする者の二手に分かれた。 ──負傷した冒険者たちは、逃げることすらままならず、ほとんど立つことしかできない状態でも少年に協力し戦うことを選んだ。 ──そしてレムリアの宝剣はレムリア載記にも載っていない『第一の鎖』なる絶大な力を少年に与え、獣王ベルゼルケルを退けた。 何も知らずに聞けばなんて陳腐でありきたりなくだらない筋書き、だがこんな三流作家も書かない三文芝居も『実際に起こった出来事』なら話は別だ。 |伝説の剣《シンボル》を持ち、|他人を導く才能《アイドル性》があり、危機的状況からの痛快な|逆転劇《おやくそく》を見せつける。 ……まるでおとぎ話から飛び出してきたような英雄劇場を目の当たりにした観客《あに》がどんな感想を抱いたのか、結果は推して知るべし。 「兄さんがこのガ……コイツに拘る理由は分かった。それで私がコイツの、あー、その、面倒を見るわけを聞いても?」 「まずこの少年はバカだ、そして物凄く弱い。恐らく、レムリアの宝剣無しでは絶対獣王には勝てなかっただろう」 ……ここまで見知らぬ赤の他人の褒め言葉ばかり聞かされておいて次は何を聞かされるかと思いきや飛び出したのはまさかの罵倒。 「……ふざけてるわけじゃないよな?」 「まあまあまあ! これが重要なんだって!」 『バカで弱い』とドヤ顔で語った兄は私のじっとりとした訝しむような視線に耐えられなかったのか、あるいは私がまた両手を伸ばしてくるのが見えたのか、ちょっと慌てた様子で私の手首を掴んで膝の上に戻してきた。 口を塞ぐつもりはない、ただデコピンの一発くらいお見舞いしてやるつもりだった。 「あの少年には『レムリアの宝剣の封印解除の代行』、それと『マギニア側の監視と干渉』をやらせるつもりなんだ」 「干渉? 兄さんの術で十分じゃないのか」 「わざわざ一人一人に呪言をかけて話して回るのは手間がかかるだろう? それに彼に頼みたいのは部外者の僕や君が関われない場所……『探索』を担当させる」 兄は古傷だらけの細い指を二本突き出し、折り曲げて数えながらくるくると指先を回してみせた。 「弱いとはいえあの少年は最前線を行く冒険者ギルドの一人。それも集った強者たちを苦しめ、血の海に沈めた獣王ベルゼルケルを『誰一人犠牲にせず』撃破した期待の超大型新人さ! ……そんなちょっとした有名人の彼を〝僕たちの思い通り〟に動かせたら、とってもお得だと思わないかい?」 そこまで一息に言い、兄は嘲るようにクスクスと肩を揺らして嗤う。 人を鼓舞する英雄性、偶然にも最前線を行く新米冒険者とくれば、呪言で操り人形にしてスパイにすればより効率的に事《﹅》が進む。 わざわざ情報屋に金を支払ったりマギニアの士官や役人の行動を調査して呪言をかけて回る手間が省けるし、多少なりとも探索状況をこちらで管理し干渉できるのは非常に魅力的だ。 ……兄が何を言おうとしているのか段々と分かってきた。 「──有名すぎると行動を怪しむ奴らが出る、無名すぎると先導者として不適合、頭が良すぎると私たちを疑いかねない、強すぎるとリスクが大きすぎる、無能すぎるとゴミでしかない。だから『有名でもなく、無名でもなく、愚かで、貧弱で、でも才能がある新米冒険者』だから良かったのか……兄さんも本当に人が悪い」 私は腕を組んで座席に背中を預け、緑の目を妖しげに輝かせている兄と同時に口角を上げた。 「でしょう? そのためにはあの少年にマギニアで一番強くなって貰わないと……教えることはたくさんありそうだけどね」 「違いない」 そう言いながら兄が鼻先を軽く突いて来たので、私は堪らなくなってお返しに赤い髪を大雑把に撫で回してやると兄は甲高い声で大はしゃぎしながら私の手のひらに頭を擦り付ける。 ……いたずらっぽく細められた目や伏せられた少し長めのまつげは誘っているとしか思えなくて、つい髪が寝起きみたいになるまで撫で回したが……まぁこれに関しては兄さんにも非があると思う。 「それに──君もそろそろ一人でも大丈夫にならないとね」 「……え?」 だから私は、次に兄が何を言ったのか理解できなかった。 最初は世界が少しだけ揺らいだように感じただけ。 それが段々と目眩や耳鳴りといった不快感へと変貌して、やがて大きく遅れて浮かび上がってきた「どうして」が汚泥のように私の内側にドロドロと広がってゆく。 「あ……えっと」 「やっぱり不安? ふふ、君は昔から僕にべったりだったからね」 私は震える喉に無理やり空気を通し、氷のように青ざめて固まってしまった唇を必死に動かして音を出す。 兄さんは髪の毛を直しながら柔らかく頬を上げると椅子を動かして私の隣に座ると私を抱きしめたまま背中を擦る。 突然温かい手のひらと嗅ぎ慣れた兄の香りに包まれた私は兄の顎に脳天をぶつけかけながら呆然と自分を包みこんだ世界を見ていた。 普段ならまた一つになった喜びや僅かばかりの恥じらい、満たされて温かくなる互いの胸を感じられるのに今、私の胸の中にある暗く深い穴のような不安がどうしても埋まってくれない。 「……兄さ、その、私は」 「また離れ離れになるのが寂しかったのかな? 大丈夫、僕たちは双子なんだからいつでもどこでも繋がってるだろ」 兄は私の頭を軽い手櫛で梳かしながら撫で回し……何でもないことのように、笑った。 「それに〝これも世界の平和のためだから〟頑張れるよね?」 怪物みたいな緑色の瞳だけが逆光の中で浮かび上がる。 少し下がった眉の寂しげな笑みが私の耳元に迫る。 目の前の同じ顔の青年には戦場でわざと手当されずに歪にくっついた足の骨や背中一面に広がるのは淀んだ色の火傷と壊死の跡、未だに子供程度の体力しかない。 ──あの地獄に囚われたままの兄に「私が望んでいるのはそんなことじゃない」なんて無慈悲な台詞、誰が言えるだろう。 「私は……大丈夫だよ、兄さん」 私に許されているのは飛び出しかけた告白を喉の中で絞め殺し、行き場を失った吐息をため息のように低く吐き出すこと。 瞬きもせずこちらを見つめてくる深淵色の瞳に気づかれないように、できるだけ口角を上げて取り繕った笑みで「仕方がないな」と首を傾げてやれば兄はやっといつもの光を取り戻してくれるのだ。 「うん! それならいいんだよ、君が元気になってくれて本当に良かったぁ! ……心配ない! あの少年のことはペットかなんかと思えばいいよ!」 「ペットって……」 兄は人目も憚らず私に抱きつきながら何度も頷いては頬を撫でたり背中を擦って、心の底から嬉しいと言わんばかりに全身で私に感謝を伝えてくる。 相も変わらず軽口を叩く兄につい苦笑いしてしまうが、私は彼の顔が先程よりも随分と血色が良くなっており朗らかな雰囲気を纏っていることに気がついた。 ……兄に心配をかけてしまった自分が心底嫌で、過去に囚われた兄が一瞬でも私を見てくれたのが狂おしいほど嬉しくて。 何も知らずに抱きついてくる兄の背中に手を回した時、自分がどんな表情をしていたかもう分からなかった。 「さて! 彼にはマギニアの探索を先導させると同時にスパイになってもらいつつ、迷宮の魔物退治やレムリアの宝剣の封印を解除させ、最終的に『英雄』に育て上げ解放されたレムリアの宝剣を奪い取る……完璧だろう?」 「ああ……兄さんは相変わらず凄い、凄いな」 「だろう⁉ 彼の弱さを僕の呪言と君の剣で補ってやるんだ!」 上機嫌になった兄は芝居がかった動きで腰に手を当てて胸を張ると、「ふんす!」と鼻の穴を膨らませてみせる。 そんな賢さと子供のような無邪気さを兼ね備えた彼がまるで一流の舞台役者か脚本家に見えて、拍手を送ってやると器用に座ったままお辞儀をしてくる。 ……そうだ、私が守りたいのはこの兄さんだ。 完璧で天才で何でもできて、いつも私を引っ張って恐ろしい世界を共に歩んでくれる。 それ以外の人間なら全員死のうが生きようがどうでもいい。世界だって焚べてやる。 だって私の剣と力は全て兄さんの為にあるのだから。 (精々役に立ってもらうぞ……偽りの英雄) ──あなたの望むことを全て叶えれば、私はずっとあなたの傍にいられるはずだから。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第八話だよ!今回は原作にはないオリジナル展開です。 七人目のメインキャスト、そしてラグナロクの覇者の裏主人公ブロートくん(弟)が遂に登場だ! 唯一の肉親で最愛の双子の兄に協力し、レムリア島に眠るヨルムンガンドを復活させるために暗躍する真面目なヒーローです。 原作では冒険者たちの行く先々で出会い、ヨルムンガンド復活計画のために剣を交え、そして兄に先立たれ完全に絶望した彼は航海王女に拾われるかたちで新たな人生を歩みます。 『ラグナロクの覇者』では原作では描かれなかった弟くんの『成長』に焦点を当て、最終的に全員生存ハッピーENDを書きたいと考えています。 Xで遊んだ時からずっとブロート(兄弟問わず)生存ルートが書きたかったんだよ!! おおくちの中では二人が生存するだけなら冒険者でも、お兄ちゃんでも、航海王女でも、ペルセフォネ姫でも、マキリでも……なんなら〝沢田のアニキが1人でその場所に行ってなァ ロケットランチャーをぶっ放してその建物を木端みじんにしてもうたんじゃ〟でもいいと考えているのですが、最終的に『ラグナロクの覇者』のテーマや主人公(オルヴェ)と同じヒーローという点から、一番書いてて構想が膨らむ弟くんにスポットライトを当てることになりました。 「こんな世界線もあるんだなぁ」と温かい目で見守って頂ければ幸いです。 なおside『B』は、ベータでも、ブラボーでも、ブロートでも、ブラザーでも、ブレイブでも、お好きな意味で捉えてくださいね(一つの単語で複数の意味に取れることに意味がある)