7.狡猾なる獣王

アルゴノーツ:vs獣王ベルゼルケル

1


 一目散に駆け込んだ碧照ノ樹海、二階の最深部。  そこは美しい緑の葉や樹木が赤黒く染められ、人間と獣が混ざったような異様な臭気に包まれていた。 「う……臭っ」 「なんてこと……」  辺りに散乱する衛兵の装備や木片には既にアリが集まり始め、場所によっては大きくへし折れた大木や炭化した枝や毛が散らばっている。  ……その奥では腕に添え木をした傷だらけの衛兵がうずくまっていた。 「だっ大丈夫か⁉」 「君たちは……冒険者か!」  うずくまっていた男は近寄ってきたオルヴェたちの足音が聞こえたようだが、なぜか助けを求めるのではなく下り階段を指差した。  彼の二の腕に巻かれた部隊章には星が五つ刺繍され、最上位の衛兵──『衛兵長』である印を見てヴィーザルは目を丸くした。  ……こういう管理職まで引っ張り出されるとは、マギニアは相当追い詰められているのかもしれない。 「オレたちオリバーとマルコを探しに来たんです‼ 二人を知りませんか⁉」  オルヴェの質問に心当たりがあるらしく、衛兵長は苦悶の表情をわずかに和らげた。 「オリバーとマルコなら赤毛の熊を追ってこの下に向かった……」  あの二人が助けに来なければ自分はここにいなかっただろうな、と衛兵長は力なく呟く。 「もし行ってくれるなら早いところ加勢してやってくれ」 「っでもその怪我!」 「私のことは気にするな! ……いくら二人が凄腕でもあの獣はヤバい」  衛兵長は自分を治療しようとする冒険者たちを拒絶し、先へ進むように促す。 「でも……」  それでもなお怪我に集中するオルヴェの腕を掴むとヴィーザルは強い語気で言い放つ。 「オルヴェ、俺らの目的はなんだ」 「……オリバーとマルコを助けに来た、分かってるよヴィーザル」  ……言われなくても分かっている、それでも身体が勝手に動いてしまう。  長年染み付いた人助けの倫理か、あるいは自分がかつて経験した死への恐怖か。  そのどちらなのか、今のオルヴェにはまだ分からなかった。  ……兜の下から見上げてくる戦う意志を失っていない眼光、すがるように伸ばされた衛兵長の手をオルヴェは握り返すと力強く頷いた。 「分かった。オレたちがオリバーとマルコを助けるよ」 「……行きましょう」  万が一に備え先頭に立ったエドの背に続き、オルヴェたちは真っ暗な階段に足を踏み入れた。  一歩踏み出すと足元からべちゃりとした水音が響く、幸いにもそれが何なのかは闇が覆い隠してくれていたが嗅覚の鋭いヴィーザルは鼻をつまむ。  ……死の匂いだ。 「キャアッ‼」 「うわぁぁぁぁっ⁉」  不意に最後尾を歩いていたアリシアの足の裏に何か柔らかいものが触れる!  即座に甲高い悲鳴を上げた彼女を筆頭に、極限の緊張状態にあったオルヴェたちは毛を逆立てて猫みたいに飛び上がると一斉に武器を抜き振り返る! 「……なんだ、冒険者のバックパックかよ」 「まさか体のパーツかなんかだと思ったのかよアリシア〜」 「うっさいオルヴェ! 普通変なの踏んだら誰だって叫ぶでしょ⁉」  茶化されたアリシアは顔を真っ赤にすると足元に落ちていたバックパックに蹴りを入れる。  すると、不意に何かが光を反射しアリシアはその場にしゃがみ込む。 「? どうしたのアリシアちゃん」 「これ……」 「金でも落ちてたのか?」  どうしたんだと話しかけてくる仲間たちに、なぜか顔を青ざめさせたアリシアが不思議な形の金属片を拾い上げてみせた。 「……メガネ?」  それは血と泥にまみれレンズの割れたメガネだった。  歪んでしまった細い銀のフレームと割れてしまった少し分厚い近視用のレンズ。  ただのメガネだが、オルヴェたちは最近これとよく似たものをどこかで見ていた。 「……これって」 「みんなも気づいた? やっぱり──」 「っ急ぐぞ‼」  いても立ってもいられなくて、拳を握りしめたオルヴェは先頭のエドを抜かすとぬめる階段でバランスを無理矢理取りながら一目散に階段の出口へと駆け下りる! 「オリバー‼ マルコ‼」  痛いくらいに差し込む光と緑、刺すような光に目を細めたオルヴェの青い瞳がゆっくり映したのは赤黒い血と土煙にまみれ地面に倒れ伏したオリバーとマルコの姿だった。 「そんな……」 「遅かったか……!」 「二人とも起きて! わたしたち助けに来たよっ‼」  続けて降りてきたイリスが涙声で呼びかけるも倒れた二人はピクリとも動かない。  その様子にエドとアリシアは悔しげに顔を伏せ、ヴィーザルは壁に拳を打ち付ける。  素人目に見てももはや手遅れという事しか分からず、オルヴェはぼやける視界を必死に拭って流れ落ちるぬるい塩水をどうにか止めようとしていた。 (これじゃ、オレはなんのためにベータに選ばれたんだ……‼) 「……マスター、私を彼らの元へ連れて行って下さい。今ならまだ間に合います」 「え、ベータ?」 「急いで。心臓が止まってしまう前に」  いつになく真剣な様子のベータに急かされ、オルヴェは疑問を喉奥に押しやると彼の指示通りにオリバーとマルコの元へ近づく。  土気色で地面に横たわる冒険者たちを蒼く照らしていたベータはすぐに自らの形を剣から箱型に変形させた。 「これから緊急手術を開始します、指示があるまで離れて下さい」 「わっ⁉」  ベータは細い触腕や未知の器具を生み出すと、オリバーとマルコのどす黒い色の痣や白い部分が見える傷跡めがけてそれらを突っ込む! 「うっ!」 「ちょっとベータ! 何してるのよ⁉」 「まさかオレみたいに……⁉」 「ただの応急処置です。ご心配なく、彼らはまだ〝生きています〟ので」  傷口に異物を挿入され、突然の痛みにオリバーが低いうめき声を上げるが、脂汗の流れていた険しい額がすぐに和らぐ。  まるで凄腕の針子のような手さばきでベータが自らを動かし続けているうちに二人の傷はみるみる塞がり、顔色もだんだんと健康な色に戻ってきた。 「っ二人の顔が、脈も……‼」 「呼吸安定、脈拍数正常。以前貧血の傾向が見られます、後はベースキャンプで専門的な処置をして下さい」 「一体あなた中身どうなってるのよ……」 「──ごほっ! ごほ……!」 「‼」  処置を終えベータがオルヴェの手の中で剣に戻った直後、オリバーが咳き込みながら瞼を開け、マルコが痛みに呻きながらもオルヴェたちを見て驚いたように目を見開いた。 「ぐっ……君たちか」 「マ、マルコ! オリバー! 大丈夫なのか⁉」  まるで生き別れの家族と再会した子供のようにすがりつくオルヴェの頭をオリバーは彼のもみくちゃに撫で回してやった。  周囲を探っていたマルコもアリシアから割れたメガネを手渡され感謝を口にする。  ……誰が見ても致命傷だった怪我は戦えはしないものの歩けるまでに治癒していた。 「もしかして、お前らが手当してくれたのか?」 「そんなところだ。それで……」 「二人も獣王ベルゼルケルに襲われたの?」  無論ベータの治療の事は伏せてヴィーザルはお茶を濁し、イリスの問いかけに二人の表情は一気に険しくなる。 「そうだ。衛兵隊を襲撃していたところを僕たちも見つけて追いかけたんだ」 「手傷は負わせたが、この階に降りたらすぐに姿を隠しやがって……この有り様だ」  そう言って二人の顔が苦々しげに歪む。  脳裏に浮かぶ敗走の記憶だけではなく、身体中に刻まれた痛みに魘されるように。  ……戦闘しながら自分のテリトリーに誘い込み、弱った獲物に奇襲を仕かける狡猾さを持つ獣王。  不意に遠くから聞こえた地鳴りのような咆哮にオルヴェたちは思わず身構える。 「……大丈夫、奴のナワバリはここから離れているみたいだ」 「よかった……」 「それよりもアルゴノーツのみんな、君たちに頼みがあるんだ」 「獣王に手傷を負わせたことを話しただろ? ……このまま俺たちが追い詰めて仕留められればいいが、今の状況ならお前たちでもいけるはずだ」  オリバーとマルコは互いに支え合いながら立ち上がると、オルヴェたちを真剣な眼差しで見据えた。 「だからオルヴェ、俺たちの代わりに獣王ベルゼルケルを倒してくれるか?」 「ま──……いや、」  ……自分はこれまでの人生で何回〝任せてくれ〟と口にしただろう。人助け、自分がやりたい、あるいは誰かを安心させる為に。  今回のオルヴェの〝任せてくれ〟はそのどれでもなかった。  口から出たのはでまかせのその時気分の言葉じゃなくて、不思議と頭が冴えて胸の中で闘志が燃え盛る〝信頼〟の感情だった。 「任せてくれ。必ずオレたちアルゴノーツが獣王ベルゼルケルを倒す」 「……すまねぇ。俺たちの尻拭いをさせるような形になっちまって」  オルヴェのまっすぐな言葉にオリバーとマルコは無言で頷くと親指を上に立てて明るく笑う。 「この戦いが終わったら旨いステーキでもご馳走してやるぜ」 「本当か⁉ 約束だからなっ!」 「オルヴェくんは相変わらず切り替え早いですね」 「肉はいつ食べても旨いだろ!」 「はは。オリバーと同じようなことを言うねぇ」  マルコの指摘にオルヴェがまた膨らんで、アリシアたちも思わずクスリと笑いをこぼし緊張気味の空気が和らいだ。  二階の衛兵と一緒に救助を待っている、と告げて階段を登ったオリバーとマルコを見送り、オルヴェたちは再度気を引き締める。  鳥の声や日の差し込む緑色の監獄はもはや相手のテリトリー、オルヴェたちにできるのは痕跡を辿り樹海の奥へと進む事だけだった。  ヴィーザルとイリスの調査の元、獣王ベルゼルケルを探してオルヴェたちは赤い毛のついた茂みやまだぬるい血液を発見し歩きまわっていた。  できるだけ散開しないように一箇所に集まって調査をしていたオルヴェは仲間たちから隠れて、ベータに小声で話しかけた。 「……その、ベータ。さっきはオリバーとマルコを助けてくれてありがとう」 「どうしたんですかマスター」  ベータが訝しげに言葉の真意を問うとオルヴェはあれだ、それだ、と口ごもりながら少し赤くなった頬を掻く。 「オレたちだけじゃ多分オリバーとマルコを助けられなかった、でもお前のお陰で救えたんだ。だからその……ありがとな、ベータ」  ──まだ幼い顔を綻ばせ青い瞳を細めた少年をベータは無言でスキャンする。  安定した心拍数や青い剣をしっかりと捉えた瞳、表情筋の動きやセトロニンの量も、全て〝感謝や好意〟を示すものだった。 「……喜ぶのは早いですよマスター、まずはミッションの達成を」 「そうだな、おう!」  感謝には応えず、先への道を促してやると単純なオルヴェはニカッと歯を見せて笑い、腕まくりをしながら獣王の痕跡を探し出した。  ……こういう時どんな反応を返せばいいのか、破損したベータのデータベースではその答えを導き出せなかった。 「……あれ?」  追いかけていた獣王ベルゼルケルの足跡が急に途切れ、イリスは首を傾げる。  足跡が消えた先は背の高い草の茂みであり、大きな動物が通ったような痕跡はない。  ……なのに足跡は行き止まりで途切れているのだ。 「どうしたの?」 「足跡が無くなっちゃって──ん」  うーんと唸りながら顔を上げたイリスはアリシアの背後の木に目が止まる。  オリバーとマルコが戦った跡なのか、その幹は他と同じように破壊の痕跡が残っており爪痕が樹上にまである。 (……あんなに高いところまで?) 「ね、ねぇイリス? 急にどうしたのよ」 「いや、その……」  突然殺気立ったイリスにアリシアが不安そうに話しかけてくるが全身の悪寒が止まらない。途轍もなく嫌な予感がする。  足跡や痕跡から推理するに獣王の体調は碧照ノ樹海のバオバブよりも小さいはず。上まで届くならそこら辺に葉っぱが一枚二枚落ちているはずなのに。 (なのに、なんで──)  ──獣王の足跡が、僅かに〝二重〟になっている?  二重の足跡は行き止まりを少し戻り、自分たちの背後にある例の木へと──! 「みんなっ! これは罠──!」  イリスが叫ぶと同時にオルヴェたちの頭上が一瞬にして暗くなる。  ──反射的に見上げた先にいたのは、樹の上から飛び降りてくる赤い毛皮の巨大熊、獣王ベルゼルケルだった。  誰かが耳を塞げと叫んだ声は、狩りの始まりに歓喜する獣王の前ではあまりにも小さすぎた。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7

更新履歴

・2026/02/01:第1版