1
「っはぁ……はぁ……はぁ」
どれだけ走っただろうか。
魔物の体当たりをモロに受けた挙句、長時間の全力疾走で丸太のように重くなった足を必死で前に動かしていた新入りの背後から魔物の断末魔が響く。
やっと立ち止まった新入りは肩で大きく息をすると、その場に膝をついて全身から流れる汗を拭い取った。
ついさっき倒れた魔物はどくどくと温かな体液を垂れ流し、草に覆われた石畳を朱く染め上げている。
「お前逃げすぎ、少しは方向を考えろ」
「! ……はぁ……ぁ」
魔物を狙撃したキッドは陽動を頼んだ新入りに近づくと役に立たない新米への不満を吐き捨てる。
何だと──と、新入りの腹の中に怒りが溜まっていくが脳と肺が必死になって酸素を取り込むのだから、反論どころか面を上げて生意気な青年を睨みつける事すらできなかった。
「キッドよ、あまり新米を甚振るでない。此奴もじき己の役目に慣れる」
「あっそ」
「……っ」
その様子を見ていたのかバーバ・ヤーガは冷淡な青年の態度に呆れたような、それでいて見守るような目で肩を竦め、未だ力の抜けない新入りの汗ばんだ背中をそっと擦って寄り添う。
窘《なだ》められて興味をなくしたのか、キッドはつまらなさそうに首を振ると近くの石柱に背中を預け黙ってしまった。
……そんな二人の態度に無性に腹が立って、新入りはバーバ・ヤーガの手を払いのけると剣を杖代わりに逃げるように二人から距離を取った。
……新入りの配属先であるミズガルズ図書館の影の部隊『ミズガルズ実働隊』。
花形である調査隊があらゆる知識を収集し人の役に立てるのだとしたら、実働隊はあらゆる知識を簒奪し道を阻む〝障害〟を文字通り排除する。
彼らの戦闘はこれまで新入りが見て習ってきた訓練と一線を画していた。
抜刀した忍刀は瞬く間に朱に染まり、絶え間ない発砲は確実に魔物の急所を貫いて痙攣一つ起こさせない。
呪術師の少女が言葉を唱えれば、魔物の身体を即座に災厄が襲う。
バッディとは一度刃を交えた事はあるが、彼からすれば新入りとの『戦い』など遊びに過ぎなかった。
新入りが受けた短剣と魔物に突き刺さる短剣の速さは見て分かるほど違う。
お得意の『ハイドクローク』も以前のように避けた直後にサーカスみたいにひらりと宙を舞うなんて無駄はしない。
代わり外套を脱ぎ捨てたその一重の隙に魔物の身体をバラバラに切り裂く。
──殺すための戦い方。
守ったり倒したり、そういう理性や人としての尊厳といった枷を引きちぎった、どこまでも無慈悲で残酷で最大限に効率的な戦場。
新入りが剣の柄を握りしめて魔物一匹に手こずってる間にも彼らは相手の肉を裂き血の海を作り出す。
特段秀でたところも、希少な才能も無い新入りにできる事といえば魔物の陽動と少しだけ丈夫な自らの身体で仲間の盾になる事だった。
……つまるところ、鍛えた剣も覚えた知識も何も必要なかった。
「どうだ新入り? 樹海の洗礼は」
「……話しかけてくるな」
片手をひらひら振ってでかい図体で影を作ってきたサヴァ・カーンを新入りは鬱陶しいから消えろと言わんばかりに睨みつける。
相変わらず反抗的な新入りの態度にサヴァ・カーンはからからと豪快に笑って隣に腰掛けた。
「まぁそう言わずに。キッドのヤツが何か言ったのか? アイツも口悪いからな〜」
「お前には関係ないだろ」
「あるんだこれが、だって俺は隊長だからな。隊員の仲を取り持つのも俺の役目だ」
「あ! サバカン新入りちゃん独り占めとかずる〜〜!」
耳元で妙に明るい声が響いて、反射的に新入りは顔を上げる。
見慣れた緑髪と赤い目だけが爛々と輝く青年を見るなり新入りの顔が分かりやすく嫌悪に歪む。
乱入してきたバッディはそんな新入りの眉をひそめた表情とは対照的にニコニコ笑いながらサヴァ・カーンと二人で新入りを挟むように座り込んで肘をついた。
「新入りちゃんこんなツライ任務もうイヤでしょ? オレちゃんと一緒にイイコトしない?」
「うるさい離れろ変態!」
自然な動作で肩に腕を回され、乳香の香りに交じってふわりと鼻腔が嗅ぎ取る鉄の匂いに鳥肌が立つ。
新入りはバッディのみぞおちに肘を入れると悶える青年を突き飛ばして立ち上がる。
殴られたバッディ本人も痛みよりも驚きの方が大きかったらしくポカンと口を開いて固まり、そのマヌケな面構えにサヴァ・カーンは手を叩いて笑い転げていた。
「も〜新入りちゃんったらお年頃〜☆ サバカンも何か言ってちょーだい?」
「お前一緒に寝た奴にすぐ手が出るだろ、新入りもこの変態には気をつけろよ?」
「変態じゃないし! 無償の愛! さすがのオレちゃんも神サマをバカにしたら怒っちゃうよ?」
新入りは自分を置いて騒ぐ二人を忌々しげに一瞥すると、すぐ一人で遺跡の先へと進みだした。
──一瞬だってこんな変人たちと一緒にいたくない。
(……こいつらも教授たちと同じだ、自分の話なんか一言も聞いてくれないくせに口だけは友人気取り)
少し前、レムリア島に上陸したミズガルズ実働隊は植物と未知の石材で作られた遺跡『東土ノ霊堂』を発見し──それをマギニア側にも報告した。
下手に素人に〝発見〟されるよりも、いっその事自分たちが発見したと言えば調査に対する干渉も予想できる、その方がむしろ楽だというのがリーダーのサヴァ・カーンが出した結論だった。
その際、新入りは司令部にミズガルズの者だと伝えれば支援があるかもしれないと提案した。
……もしかすると自分たちを『調査隊』と思ってくれるかもしれない、という淡い期待を込めて。
「残念だが今回ミズガルズは許可を取ってないからな。つまるところ秘密の任務だって訳だ」
「お前バカか? マギニアの目的は〝秘宝の入手〟、下手にミズガルズだって名乗ったら宝を没収されるかもって船を追い出されるぞ」
「ミズガルズが大手を振って潜入できない場所に行くのがオレちゃんたちのお仕事だからねー☆ 今のオレちゃんたちはただの一般冒険者なんだよねー☆」
「道化のような名の方があちらも勘ぐる気が失せる。ほれ、池のヌシ釣り名人かヤギ追いの勇者か選べ」
(……最初から分かってただろ。私みたいな新参者の意見をアイツらが聞くとでも思ったのか?)
結局、新入りたちはどこにでもいる普通の冒険者ギルド……大義も正義も無い烏合の衆として認識された。
しかも司令部のペルセフォネ姫ですら池のヌシ釣り名人やヤギ追いの勇者といったふざけた名前に怒るどころか、嬉々として話に乗ってくる始末だ!
こっちはただでさえ入りたくなかった実働隊に入った挙句、嫌と言うほど分かる実力差に辟易しているというのに!
(なにが王族だ、なにがミズガルズの名に懸けてだ!)
服のミズガルズの紋章のワッペンを確かめるように握りしめ、脳裏でペルセフォネや実働隊に掴みかかる光景を夢想しながら新入りは黙々と歩き続ける。
胸の内に渦巻く感情に全身の傷が呼応するように痛んで、木漏れ日の注ぐ静かで穏やかな翠の樹海も未知の遺跡を発見した喜びすら霞むほどに、何もかも憎らしくてたまらなかった。
2
「! っう……」
どこまで歩いただろうか。
不意にこれまで鈍い痛みを放っていただけの足首が鉄槍で刺したような鋭い痛みを放ち、新入りは悲鳴を噛み殺しながら広間に膝をついた。
茶色のブーツの上から患部を優しく押すだけでも電気が流れたような痛みが走り、熱を持って速い脈を打っていた。
……やる気のない実働隊に代わって自分が任務を遂行しようとしたのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
「!」
──がさりと背後の茂みが音を立てる。
新入りは咄嗟に振り向こうとするが足に力を入れると再び激痛が足首を襲い、構えた剣は杖のように石畳に突き刺さる。
……血の匂いか弱った自分の気配を察したのか。
冷汗も拭わずに新入りはまだ動く足に全体重をかけて茂みから飛び出してくる何者かを待った。
マッスルフライか、それとも肉食コアラか。
相手がなんだとしても群れで来たらおしまいだ。
でも、こんなところで何もできず無駄死にするなんて絶対に受け入れられない。
つばを飲み込み、疲労か恐怖か震える体に力を蓄えた新入りはじっと深緑の闇を見据えていた。
「お前は……」
茂みから出てきたのは魔物でもなければ獣でもない、見慣れた頭巾を被った巨躯のシノビだった。
「うーん。急ぐ気持ちも分かるがまずはその足だな」
サヴァ・カーンは頭についた葉っぱを払って新入りを一瞥すると納得したように声を上げる。
……男の視線の先にあったのは力の入っていない方の足だった。
「アイツらももうすぐ合流するからな……ほれ、ここに足置け!」
サヴァ・カーンは新入りに近づくと石畳の上に胡座をかくとその上をポンポン叩いて笑う。
そんな施しめいた態度に新入りが身を強張らせていると男は頭巾から出ている目を細めた。
「街に戻るにしても歩けないことには始まらないぜ?」
「……」
「だから、な?」と、サヴァ・カーンは聞き分けのない子供をたしなめる親のようにくすりと笑う。
新入りは後ずさりしようとしたが反射的に動かした足首からはもう歩けないと文句を言われ、やがて少女はその場に恐る恐る座り込む。
頷いたサヴァ・カーンは慣れた手つきで腰のポーチから応急処置セットを取り出すと、新入りの足を自身の膝の上に置いて丁寧にブーツを脱がせる。
傷の手当もされず気力だけで悪路を歩き続けた足首は痛々しい紫と赤色に腫れていたがサヴァ・カーンは特に表情を変えず慣れた動作で氷嚢袋を当てた。
そのまま他の怪我も診ようと他のポーチから包帯や軟膏がでてくるものだから、新入りは年甲斐もなく身を強張らせてしまう。
だがサヴァ・カーンはそんな少女の姿に再度笑いながら首を振った。
「遠慮すんなって! ウチはメディックがいないから俺が担当してるんだ」
「……ほらー! キッドくんが煽るから新入りちゃん気にしてこんなに悪化してんじゃーん」
「うるさい、気にする方が悪い……」
氷嚢に始まる治療をぼんやりと眺めていた新入りの耳に聞き慣れた明るいバッディの声が響く。
新入りたちを急いで追ってきたのか、茂みの中からぞろぞろと出てきたキッドやバーバ・ヤーガの頭には緑の葉やクモの巣が付いている。
相変わらず多弁なバッディやすぐに新入りに駆け寄ってきたバーバ・ヤーガと違ってキッドは手当を受ける新入りを見るなり硬直したが、すぐに手に持っていた応急処置セットを無言で新入りの腕の中に差し込むとホルスターから銃を抜いて周囲を警戒し始めた。
「でもまさかキッドくんが他の人を心配するなんてね〜オレちゃん燃えて来たよー!」
「それ以上抜かすと鉛ブチ込むぞテメェ!」
「わー怖い☆」
「お前ら怪我人がいるのにうるせーぞ! あとバーバはサポート頼む!」
「あい分かった」
銃を抜いて大騒ぎする二人よりも更に大きな声で叫ぶサヴァ・カーン、そんな彼らを愉快そうに見ながらたまに言葉を交わすバーバ・ヤーガ。
いつも通り不快で騒々しい景色なのに今の新入りには怒る気力が湧かなかった。
むしろ明るく騒ぐ楽しげな声が自分の中の空洞に響いて彼らと自分の距離が嫌と言うほど分かってしまう。
「なんで、」
「ん?」
包帯を巻こうとするサヴァ・カーンの手に新入りの手が拒むように重ねられ、サヴァ・カーンは子どもに問いかけるように頭を傾げる。
しばらく黙っていた新入りはやがてぐっと噛んだ唇を緩め、俯いたまま低い声を震わせ始めた。
「なんでお前たちはこんなことするんだ」
「捻挫くらい一人で処置できる。なのになんで」
思いに音を与えてしまうともう止めようがなかった。
新入りはこれ以上声が震えないように喉に力を入れるが形を与えた言葉は濁流のように口から溢れ出して止まらない。
応急処置や地図書きは選抜試験を受けるための必須スキル、新入りも彼らもそれを叩き込まれている。
なのに今の彼らはたかが新米ごときの怪我を四人掛かりで診ているのだった。
……馬鹿馬鹿しい。
役立たずなら手当をする必要もないのに、なんで──
「強いて言うならば、報いだな」
脳内の嘆きが無意識に出ていたのか、瓦礫の上から降りてきたバーバ・ヤーガはそれだけ言うと労うように新入りを肩を小さな手で撫でた。
直後に体中の痛みが〝痺れるように〟弱まり、バーバ・ヤーガの手によって外れていた肩の骨が元の位置に収まる。
……得意げに目を細めるバーバ・ヤーガは小さな金色の鈴を握っていた。
「貴様は既に実働隊の一員。我が身を盾とし我らの代わりに手傷を負う以上、その努力と役目に報いるのが我ら先人と仲間の責だ」
「……仲間」
『仲間』と確かめるように新入りが繰り返すとバーバ・ヤーガは肯定するように目を細め、サヴァ・カーンたちも静かに少女を肯定するように頭を振る。
それでも実働隊を見る新入りの黒曜石のような瞳は警戒と不信を堪えていた。
しかし、誰かから施しを受ける──心のどこかで望んでいた──不思議な感覚は包帯奥の傷の痛みから身体全体に広がり、岩のように固まっていた身体の力が少しずつではあるが抜けていった。
……そのまま新入りは大人しく手当を受ける自分を他人事のように眺めていた。
手傷を負った新入りの次の任務は地図描きだった。
とはいえ地図の大部分には既に実働隊の軌跡が黒いインクで描かれ、どちらかというと帰還のついでに正しく書けているか確認のためだった。
……悪名高い実働隊謹製の地図だとしても現に書き損じやまだ見ぬ小道があったのだから、あながち無駄な作業でもないらしい。
「腕は動くか」
「ん」
「なら良いのだ」
強請《ねだ》る通りに新入りが少し上がりにくい右腕を上げてやるとバーバ・ヤーガは満足げに喉奥で笑い、新入りの麻痺している側に身体を寄せて歩く。
……術を使った以上専属医のつもりなのだろう。
出発前のサヴァ・カーンの言葉もあながち間違いでもないらしいと新入りは自分のラウンドシールドを背負い、隣のバーバ・ヤーガをチラチラ見ながら森の出口を目指していた。
身を寄せ合う二人の様子にお調子者のバッディが茶々を入れ、バーバ・ヤーガが何かの呪いをかけると分かりやすい動作で落ち込む。
懲りない青年にキッドが肩をすくめて、新入りたちの後ろから最後尾を担当するサヴァ・カーンの大砲みたいに豪快な爆笑が響き渡る。
……何となく、初めて彼らを冷静に見た気がする。
来た時には一面の緑だった草原や森はすっかり茜色に染め上げられ、逆光で黒くなった木々の先に佇むマギニアへ入る小さな縦長の影や光の玉の群れを目指して新入りも森を抜けるのだった。
3
……実働隊とは言ってもその活動は調査隊とほぼ変わらない、それを新入りが理解したのは東土ノ霊堂に戻ってすぐ後の事だった。
夜の帳が降りて、魔物はおろか人影すらない遺跡をゆく実働隊は慣れた手つきで床の溝から葉の一枚まで触ったり嗅いだり、カンテラや顔を近づけては探索手帳に記し、物によっては袋や試験管に詰めて持ち帰る。
調査隊と違うのは怪しい部分を紙面に写したら武器でその部分を破壊してしまうところだったが。
「……こんなもんか」
「おっいい感じだよ新入りちゃん! んじゃこのまま全部壊しちゃおっか」
粉々になった壁を見たバッディは新入りの仕事ぶりに両手を鳴らして褒め称えたが、新入りの表情は暗く憮然としたものだった。
ミズガルズ図書館は知識の保全と保護を第一に掲げ、新入りたちもそれを踏まえて今ここにいる。
だが壁一面にあった蒼い線は新入りの持つ剣で粉々に粉砕され、最早文字と認識すらできない有り様だった。
……夕方、マギニアに戻った際に無駄に足の怪我を心配してくる痣顔の幼女やニヒルな銃士といったお節介どもを振り切って同行したのにまさかこんな事をするハメになるとは。
複雑そうに眉をひそめたまま自分の破壊の跡を見下ろす新入り、バッディは彼女の目線までしゃがみ込むと舌を出した茶目っ気たっぷりな表情で頷いた。
「一応写してるから気にしないで。大事なやつは隠したり引っ剥がして持って帰るからねー」
「そう、だな」
とりあえず手ごろな入口すぐの広間から〝調査〟を開始したのだが新入りたちの頑張りもあってか壁や床は既に八割方破壊済み、美しかった石畳は見るも無残な姿になっていた。
「ところで怪我の具合は大丈夫?」
「……別に、もう動けるし」
不意にバッディから真面目な声色で質問され新入りは一瞬目を丸くした。
だがすぐにまたその質問か、と言わんばかりに肩をすくめて青年を睨みつけて顔を背ける。
小さな傷はマギニアに戻って十分すぎるほど労ってもらったし少し重傷な部分に関してはバーバ・ヤーガの呪言や薬で痛みは軽減済みだ。
術が効いている間は動きが多少鈍くなってしまうのだが、それでも今の新入りにとっては十分だった。
……こんな風に他人に労わってもらったのは何年ぶりだろうか。
このままじっとしていると胸の内を目聡《めざと》いバッディにニヤニヤしながら見透かされそうで、新入りは壁に手をついてゆっくりと立ち上がった。
その直後、新入りの手の下から蒼い光が溢れだした。
「な、なに?」
突然の光と聞きなれない甲高い音に新入りが急いで手を退かすと、壁の中央にあったのは蒼い螺旋と人の手形のような多重円の紋章だった。
紋様は淡い蒼の光を放っていたが手を離すとすぐに消灯し、もう一度触れてみると同じように光を放つがやはり何も起きない。
……呆気に取られながらも新入りが隣のバッディの方を振り向くと、彼も自分と同じように口と赤い目を丸くしてポカンと固まっていた。
「なんだこれ……⁉」
「え⁉ 光るじゃんこれ!」
もう何も無いと思っていた場所の新たな発見にバッディは小躍りしながら何度も手形に触れて、光る度に新入りの服を引っ張ってくる。
そんな青年をあしらいつつ、新入りの身体は教わった通りにカバンから紙と筆記用具を取り出すと壁の紋章を写し始めた。
いつの間にかバッディが呼んだのかサヴァ・カーンたちも側に集まって皆興味津々に謎の発光する手形を覗き込んだり、これまで写した遺跡の紋章と見比べていた。
「蝙蝠型の紋章と同年代のものか? それにしては造りが細かいが……」
「この光の弱さなら日中見つからないのも納得だな」
「すごいでしょキッドくん? 新入りちゃんが見つけたんだよ〜」
「ほぅ、よく見つけたな!」
「……まあ、触ると光るだけなんだが──」
先ほどまで一人だったのに八つの目玉に見つめられ、新入りは少し上擦った声になりつつもぶっきらぼうに答える。
他の壁にあった文字なのかすら不確かな蒼い線と比べると見つけた手形は確実に手の形だと分かるように精密だ。
……まるで誰かが発見する事を目的としているかのように。
「……ん?」
急に冷たい風が吹いたからか、月を覆っていた雲が消えたからか、それとも先ほどまで鳴いていた虫の声が聞こえなくなったからか……新入りは何となく上を向いた。
新入りが深海のような青と緑の木々の先に目を凝らすと少し開けた空間が見えて──思わず目を疑った。
人気のない森の中、そこに佇んでいたのは金髪の幼い少女だった。
整った顔立ちの少女は少し眠たげな赤い瞳を瞬かせながら辺りを見渡す。
彼女が動く度に月が照らす秋の小麦畑のような二房の髪が揺れて、幻想的な雰囲気を纏った少女の一挙手一投足はまるで妖精のよう。
だがその服装は冒険者というにはあまりにも不向きな紫と黒のドレス姿、よく見れば顔や身体付きもバーバ・ヤーガより幼い。
……そして何よりも、森の中にいるというのに彼女の頬には傷どころか泥一つ付いていなかった。
「ねぇ、ちょっと──」
新入りが声をかけるが少女は気付いていないのか、そのままふらりと森の奥へと歩き出してしまう。
「あ、待てって!」
「どうした新入り──」
新入りは近くにいたキッドに持っていた筆記用具を押し付けるように渡すと、立ち上がりながら剣と盾を引っ掴んで駆け出した!
後ろからキッドの怒りの雄叫びと実働隊が自分を呼ぶ声が聞こえるが新入りは振り向かなかった。
自分は魅入られているのかもしれない……だけど、あの少女を放っておくのはダメだと全身の細胞が叫んでいる。
石と草木に囲まれ厳かながらも心地よかった昼間とは違い、夜の東土ノ霊堂は棄てられた墓場か何かかと勘違いするほどに閑散としている。
虫の声どころか樹冠同士が擦れる音すら聞こえない静寂の中、地面に足を取られながらも新入りは少女の姿や茂みを抜ける音を頼りに追いかけていた。
急いだあまりカンテラを忘れたせっかちな自分に内心呆れつつも、少女の金髪と白い肌のお陰で暗い森の中でもギリギリ見失わずに済んだのは幸いだった。
闇の中で光輝く金色をめがけて走った末に、新入りは霊堂のどこかの広間に飛び出した。
他の広間よりも一際大きく植物の侵食も激しい広間は月の光を一面に受けて青白く輝いて、そして何よりもむせ返るような緑の匂いに新入りは顔をしかめた。
……その広間の中心部にて少女はまるで石像のように立っていた。
「お前は……?」
「……わたし?」
少女は息を切らせながら自分を見ている新入りに驚く様子もなく無表情のままゆっくりと向き直りながら自身を指差す。
その言葉をなんとか肯定しようと新入りは深呼吸して精一杯硬い口角を上げてみせると、少女の目が少しだけ見開いた。
……そんな浮世離れした少女に新入りが手を伸ばそうとしたその時だった。
少女の視線が新入りの背後に向けられ、広間に漂っていた緑の匂いが不快なほど生々しくなる。
背後で肥大する何かの気配に全身の毛が逆立ち、予感が爆発する直前新入りは即座に剣を抜いた!
「危ない!」
鞭のような風切り音が上空から振り下ろされるのと、剣を抜いた新入りが少女を抱えて跳躍したのはほぼ同時だった。
遺跡の壁にハンマーをぶつけた時の十倍は大きな轟音と煙が周囲を包み込み、新入りは衝撃から少女を庇う。
……突如霊堂に降り立った魔物は丸太ほどはあるツタを振るい自身が出した煙を切り裂いた。
巨大なつぼみを背負った、食虫植物のような魔物は新入りよりもはるかに大きく、そして獲物を取られた事に腹を立てているのか触手の先端にある口を開いて威嚇する。
「下がって」
「……」
新入りは少女を後ろに下げると鈍く光る鋼色の切っ先を魔物に向けて汗を拭う。
一人だろうがやらなければならない、見捨てられない。
彼女の闘志を感じ取ったのか、魔物は雄叫びを上げると先ほどと同じように勢いよく巨大な蔓を新入りめがけて振り下ろした!
「おおーっと! 面白そうなことやってるじゃん!」
突然バッディの声が聞こえた認識すると同時に丸太ほどはある蔓に何本もの十字の短剣が突き刺さり魔物の雄叫びは一気に悲鳴へと塗り替わる!
月を背に降り立ったバッディは親猫が子猫を運ぶように新入りと少女の襟首を掴むとサヴァ・カーンたちの方へ投げ渡した。
「げほっ、バッディ! お前もう少しこの子に優しくっ」
「こりゃ大物だね☆」
「新入り! その子供は⁉」
「知らない! 森の中に居たんだよ、っ!」
説明も集合も終わらない内に起き上がった魔物の触手が振り下ろされ実働隊は即座に散開する。
バッディの短剣に塗ってあった毒で動きは鈍くなっていたものの、触手の破壊力は石畳を叩き割るほどだった。
少しでも安全な場所に、と新入りが少女に逃げるように指示を出そうと振り向こうとしたその時腰に重い衝撃が走った。
「ちょっ! 危ないから逃げろって!」
「……」
体を振り回して慌てる新入りとは対照的に少女は新入りの腰をがっちりホールドしており一向に離れようとしない。
こんな状況なのに、無理やり引き剥がそうとすれば少女はこちらを真紅の瞳でじっと見つめたまま、人形のような顔の頬を膨らませて無言で抗議してくる。
……置いて行くなとでも言いたいのか、その瞳の奥には自分で見ても心配になるくらい必死な顔の新入りが映り込んでいた。
「あぁもう! 近づいて怪我するなよっ⁉ 頭巾の大男と一緒に待ってろ!」
「……うん」
納得したのか金髪の少女は首を縦に振ると新入りから手を放して後ろに下がった。
新入りはやっと自由になった下半身に血液を送り込み、全体重を乗せて石畳を蹴り飛ばす!
4
魔物の周りでは既に実働隊が交戦しており、キッドの放つ弾丸が魔物の顔面で火花を散らし、バッディは一番接近しているものの黒い外套をまるで手足のように操って魔物の攻撃を回避し続けている。
自身が攻撃を受ければひとたまりもないと理解しているのか、バーバ・ヤーガは魔物から距離を取って何やら杖を地面に突き立てて動かしていた。
そんな彼らの間を縫うように走りながらメディカや魔物の足止めといった支援を一任するサヴァ・カーン。
──ならば、と新入りは迷わず銃を撃ち続けるキッドの元へ駆け出した!
「キッド!」
「弾! カバンの中!」
近づく新入りを一瞥せず吐き捨てるように青年が叫ぶと新入りは指示通り地面に転がるカバンの中からマガジンを引っ張り出す。
背中に第三の目でもついているのか、キッドは背を向けたままマガジンを受け取るや否や躊躇なく残りの弾丸を魔物に撃ち込んだ。
弾丸の雨を受けた魔物が怯んだ隙に少年は迷いなく新入りの方へと滑り込む。
「こんの……っ!」
「っ雑草が粋がってんじゃねぇ!」
背を向けたキッドに迫りくる触手を新入りが叩き切り、赤い体液が溢れ出した傷口めがけてキッドが装填した鉛玉を叩き込んだ!
急所に異物を何発も突っ込まれた魔物は激痛に荒れ狂い、新入りはキッド狙いの巨大な蔓攻撃を庇いながらカウンター気味に魔物の身体を切り裂く。
「っ」
盾越しとはいえ、盾が悲鳴を上げるレベルの一撃を正面から受けた少女は腕の痺れる感覚に顔を歪ませ、苦々しげに眉をひそめたキッドの舌打ちが聞こえた。
……間の悪い事に呪言と軟膏の効果が切れてきたのか、昼の探索で負った肩と足首の熱が段々と鋭敏になって新入りの額に嫌な脂汗が垂れ始める。
「陣の中に入っていろ!」
バーバ・ヤーガの声と同時に石畳の上に光の方陣が浮かび上がると新入りの身体の痛みが軽くなる。
高い音を立てて方陣が割れると陣に張り詰めていた龍脈が実働隊に還元され新入りの傷は瞬く間にふさがった。
……ミスティックの技術を実際に見るのは生まれて初めてだ。
「あ、」
「礼は不要だ、行け」
「……でも、助かった」
背を向けたバーバ・ヤーガが鼻を鳴らす音を聞きながら新入りは再度魔物に向き直る。
するとどこから聞きつけたのかバッディが嬉しそうに新入りの隣に並び立ちウィンクしてくる。
……向こうからは突然一人置き去りににされたキッドの散弾銃のような怒声が聞こえていた。
「お帰り新入りちゃ〜ん! オレちゃんと一緒に突撃する? しよっか!」
「勝手に決めるな! ていうかガンナーを置き去りにするなっ!」
新入りがちゃらんぽらんな態度のバッディをねめつけながらも二人は左右に向かって全速力で走り出した!
追い詰められた魔物は顎をを打ち鳴らしながら無数の触手を新入りとバッディに向かって一直線に貫く──がバッディはかすり傷一つ負う事なく攻撃を続け、新入りも触手に腹のど真ん中を貫かれるような致命傷を避けながら魔物の身体に何本も赤い線が走る!
緑の体表に月の光に照らされた真紅の体液はレーザーサイトのように輝き、正確無比な弾丸が更に風穴を開けた。
小さなかすり傷はバーバ・ヤーガの方陣で癒され、身体に絡みついた触手は影のように音もなくサヴァ・カーンが切り捨てる。
……何もかも順調だった。
「とった──‼」
──新入りが魔物の背後に回ったその時までは。
「⁉ ごほっ」
大きな赤いつぼみが勢いよく開花し新入りの視界が揺らぐ。
噴出する花粉の勢いと頭が痛くなるほどの生花の臭いに喉の奥から酸っぱいモノが上がって、たっていられないほどの眩暈と吐き気が襲ってきた。
「う……」
「おい! ……飲め!」
ふらついた新入りの背中をキッドが即座に支えるとドラッグバレットの弾頭を外して中身を飲ませる。
むせながらも何とか薬剤を飲み干す新入りを見つめていると僅かに黄色く染まった視界の向こうからバーバ・ヤーガを抱えたバッディが駆け寄って来た。
「新入りちゃん!」
「コイツは処置したが銃に花粉が詰まりやがった」
顔色の悪い新入りと花粉塗れの銃を歯ぎしりしながら握るキッド。
二人も戦闘不能者が出た事実に実働隊のリーダーであるサヴァ・カーンは難しそうに頭を掻くが、すぐに明るい顔になって不安げなキッドと新入りの前にしゃがみ込んだ。
「お前らには少し無茶になるが……ちょっと時間稼いでくれねぇか」
「……作ったらどうする」
「確実に勝てるぜ」
サヴァ・カーンの宣言に実働隊の視線が集中する。
頭巾越しにも分かるほどのドヤ顔を浮かべて腕を組んでいるが、その声は普段よりも低くよく通って、何よりも四人を見据えるオレンジの瞳は真剣そのものだ。
……沈黙の中、誰よりも早く新入りは男に背を向けるとそのまま真っ直ぐに剣を構えてみせる。
サヴァ・カーンをしかめっ面で見つめる少女だったが、その瞳は今までのような疑惑の色ではなく黒曜石のように輝いていた。
少女のガッツを受け取った男は応えるように親指を上に立て、豪快な笑みを浮かべながら新入りの胸ポケットにオイルの入った瓶を差し込んだ。
「……失敗するなよ⁉」
「言われずとも!」
毒の抜けきらない体のまま一陣の風のごとく先陣を切った新入りに続き、サヴァ・カーン以外の仲間たちも魔物の前に躍り出る!
……データは取れた、ここからが正念場だ。
サヴァ・カーンも手の甲の小型錬成籠手を撫でると戦場を仲間に任せ、逆転の切り札の作成に取りかかった!
花粉を出したのは最後の警告だったらしい。
花の魔物は実働隊を獲物ではなく完全に敵と認識し、壁ごと薙ぎ払わんと言わんばかりに触手を振り回す!
序盤は何とか動きについて行けた新入りだったが、発狂した魔物の苛烈な攻めは新米の彼女の手に負えるものではなかった。
「はなれ──ろっ‼」
盾ごと触手に押し倒された新入りは咄嗟に盾から腕を抜くと、盾の下に両足を乗せ全体重を乗せた蹴りで魔物の拘束から逃れる!
──背後から堅木の盾が砕け散る音が聞こえるが自分にはまだ剣がある!
「足狙え新入り!」
「っああ!」
今度こそ新入りを叩き潰そうと振り上げられた触手にいくつもの風穴が開き短剣が突き刺さる!
弾丸と麻痺でツルが一本完全に使い物にならなくなったその隙に新入りは魔物の懐に潜り込む!
盾を捨てて身軽になった新入りは魔物の短い触手の追撃を紙一重で回避しながら、つぼみ状の足めがけてファイアオイルの瓶ごと剣で一閃した!
「これでも──食らっとけ!」
「‼」
剣の動きで着火したオイルは瞬く間に魔物の下半身を灼熱地獄へ変貌させ、さながら巨大なキャンプファイヤーのように燃え上がった!
魔物は半狂乱になって火を消そうと触手を振り回すが、動く度に燃え盛る足が崩れ身動きを取る事すらままならない。
……前髪を少し犠牲にして何とかバックステップで炎の手から逃れたが、その光景に自分のやった事ながら正直感情が追いつかない。
「ハッ! オイルを贅沢に使用して生きたまま篝火にするとはな! 中々の趣味だな、え? 新入りよ⁉」
「うっさい!」
森の中の迷宮、そして背後には非戦闘員が控えているというのに新入りの大胆すぎる行動にバーバ・ヤーガは杖にすがりながら破顔するとからかうように邪悪な笑みを浮かべる。
……つい気が動転してファイアオイルを丸々一瓶投げつけたのがそんなに面白いのか!
「新入りちゃんの頑張りと我らがリーダーのお望みとあらば~! ──オレちゃんちょっと本気出しちゃおうかな」
背後からにゅっと現れたバッディに労うように肩を叩かれ新入りが振り返るがそこにいたのはいつもの能天気でお調子者な笑顔の青年ではなく、感情の削げ落ちた顔が口だけ弧を描き子供のように見開かれた真紅の瞳が魔物を捉えていた。
……直後に青年の姿は掻き消える。
「──悪を行う者はそこに倒れ、起き上がることはない」
鎌鼬のように放たれる盲目の投刃によって魔物の視界が潰れた〇・一秒後、飛び降りてきたバッディの詠唱と共に魔物の身体を歪な剣が切り裂く!
炎に焼かれ全身が弱点と化した魔物の身体は弱点である斬撃を一身に受け、まだ炎の届かなかった内部に熱せられた大気と火の粉が突き刺さる!
灼熱の中、限界まで剣で魔物の身体を貫いたバッディは魔物の顔を踏み台に華麗に一回転しながら新入りたちの元へ降り立った。
「いぇ〜い! ピース! オレちゃんかっこよかったでしょ?」
「うわっ血まみれで寄って来るな!」
「あのクソプラントまだくたばらねぇのかよ……さっきので殺せや!」
「や~んキッドくん口わる~い」
バーバ・ヤーガの方陣が解除され石畳が剥がれる轟音にキッドは舌打ちすると装填した弾丸を魔物の顔に何発も叩き込む!
だが動き回る相手と瓦礫を回避するために走りながら射撃したせいか弾丸は思うように当たらない。
口汚く悪態をつくキッドをバッディが抱えツタの一撃を紙一重で回避しながら更に銃撃する!
新入りもバーバ・ヤーガを引っ掴むと炎を纏って余計に危険度を増した魔物の攻撃を避けているが、このままではあの少女やサヴァ・カーンにも危害が加わるかもしれない。
……あの時ファイアオイルを冷静に使えていればこうならなかった。
思考に釣られて俯きかけた頬を背負っていたバーバ・ヤーガに潰され、新入りは素っ頓狂な声を上げて立ち止まる。
「急になんだよ⁉」
「何をぼさっとしておる。今は戦、過ぎたことを気にするな!」
「あ……」
新入りの視界に映るのは燃え盛る魔物を避けながらも気にせず戦い続けるバッディたちともう少し待ってくれと叫ぶサヴァ・カーン、そして胸の前で手を握って戦いをじっと見つめている金髪の少女。
背から降りたバーバ・ヤーガも新入りの不安そうな目に向かって小さく頷く。
……新入りが魔物に火をつけた事を気にしている者は一人もいなかった。
「寧ろ、我はこっちのほうが好みだぞ」
「随分と趣味が悪いな……!」
バーバ・ヤーガに再度痛みを和らげて貰うと新入りは振り返らずにバッディたちと共に時間稼ぎに戻る。
魔物も手傷を負う内に段々と動きが鈍くなっているようだが、何十もの斬撃と銃弾を受け燃え盛りながらも未だ動く姿に新入りは暑さではない汗を拭う。
……早く倒れてくれと内心思い始めたその時、新入りの視界の端で金髪の少女がにこりと表情を和らげた気がした。
「お前ら離れろ!」
「!」
サヴァ・カーンの強い警告が聞こえた瞬間、新入りたちが一斉に魔物から距離を取るとサヴァ・カーンは魔物目掛けて先ほど錬成した毒爆弾を投げつけた!
毒爆弾が破裂し魔物は鼻が痺れるような匂いの緑色の瘴気に包まれ忌々しげにツタを振るうが直後に魔物の青く逞しかったツタはみるみるうちに茶色く萎びて枯れてゆく!
毒──しかも多量に花粉をまき散らす魔物だった事と、新入りたちの時間稼ぎによってサヴァ・カーンの錬成した毒はこの魔物の命を枯らしてしまう程に強力な物となっていた。
……実働隊の攻撃を受け、炎に焼かれ、毒霧を受けた魔物はとどめと言わんばかりに再度方陣で縛られると、やがて丸太のように大きなツタだけを残して燃え尽きる。
「……はぁ」
灰となった魔物を前に、新入りはその場にへたり込む。
その上に何故か当然のように少女が乗っかってきたが振り払う気力は残っていなかった。
……緊張が解けると同時に足首が痙攣し始める。
呪言とアドレナリンで消えていた痛覚が戻り始めたのだろうと考えながら、せめて宿に戻るまでは持ってほしいと新入りは息を吐いた。
5
「貴様、名をなんと?」
「……」
静けさを取り戻した代わりに焦げ臭くなった東土ノ霊堂、その最深部の広間でバーバ・ヤーガは金髪の少女の前で呪いの鈴を振り子のように揺らしていた。
金髪の少女の赤い瞳は鈴をきちんと追いかけているがバーバ・ヤーガの質問には全く答えない。
「やれやれ、手荒な真似はさせてくれるなよ」
……誘導尋問も呪言もダメと来て、藁にもすがる思いで子供にでもできるような催眠術を行ってみたが結果は見ての通り。
これでは今世紀最恐の呪術師の二代目の面目丸つぶれだ。
まさかの強敵を相手にバーバ・ヤーガが一人ため息を吐いていると広間奥の扉から調査を終えたキッドたちが戻ってきた。
だが、まさか彼女が真剣な顔をして素人みたいな催眠術を使っているのは予想できなかったらしく固まっている。
……バーバ・ヤーガが少し低い声で話しかけてやるとちょっとひきつった笑みを浮かべて正気を取り戻したが。
「色々試してみたが……全く反応せぬ。眠りはしたから術が効かぬわけではなさそうだが……」
「まどろっこしい、こんなの銃突き付けりゃ喋るだろうが」
「バーバ終わったら次オレちゃんの番ね! イイコトし〜ましょ☆」
「なに考えてるんだよお前ら⁉ ……ぁあもう! ちょっとこっち来て!」
舌打ちして銃を取り出し始めるキッドと気持ち悪いくらい爽やかな笑顔を浮かべるバッディに、新入りは思わず飛び出すと少女を抱きかかえて立ち上がる。
新入りは背中めがけて飛んでくる不満の声を無視し、少女を奥の部屋へと連れて行くと二人して石畳の上に座り込んだ。
部屋の中央では桃色の樹海磁軸が静かに光を放っているが少女は一瞥しただけで特に気にもとめない。
……勢いのまま連れてきてしまった、今更不安になって来た気持ちを追い出すように自分の頬を叩くと新入りはぼんやりしている少女に向き直った。
なんという事はない。
図書館で習った通りなら、とりあえず敵意の有無を示せば最悪の事態は避けられる。
落ち着いて深呼吸をする。まず自己紹介をして自分たちに敵意は無いと示すだけ、それだけでいい。
……交渉術に関してはずっと赤点だったがきっと何とかなる。
「えっと、初めまして。私たちは貴方を傷つけるつもりはなくて、むしろ知りたいっていうか……その、私は新入りで──ああ違う……!」
「しんいり、なまえ」
「ああ……」
新入りは完全に馴染んでしまっていた自身のコードネーム、そしてそれを受け入れてしまっている自身の頭を抱えた。
名前を貰ってたった数日なのにもう自我が『新入り』に乗っ取られかけている!
己に悶絶する新入りを少女は無反応に眺めていたが、新入りがカバンから携帯食料を取り出すと赤い瞳に光が宿った。
「……欲しいのか?」
「うん」
こくりと頷き頂戴と言わんばかりに差し出された白い両手に新入りはバー状の携帯食料を乗せると、少女は不思議そうにバーの包装を眺めだす。
開け方を教えてやろうとすると慣れた手つきで包装の端を剥いて出てきたバーに食らいつく。
表情は変わらなくとも少女が満足気に携帯食を頬張っている姿を見ていると新入りですら釣られて微笑みを浮かべそうになるが、十秒もしない内に少女は手のひらサイズのそれを食べ切った。
「……もっと」
「そんなに腹が空いてるのか、ほら」
与えられては食べて、おかわりをねだる。
最初の内はよく食べると感心していたがやがて少女の傍に空になった包装紙が溜まっていくにつれ、いつの間にか部屋に入っていた実働隊の表情も青ざめていく。
深夜の霊堂で黙々と携帯食を貪る少女を眺めてどれだけ経っただろうか。
少女の底なしの胃袋は新入りの手持ちの携帯食どころか実働隊全員分の食料を食べ尽くし、少女を見る実働隊の温かな目も今やぬるめの半目になっていた。
「……ぁ」
「え?」
半分意識を飛ばしていた新入りの耳に不意に少女の小さな声が響く。
少女は何かを思い出すように何度か声を出しながら呟いて、それから深呼吸をするとゆっくりとまるで馴染ませるように自身の名前を口にした。
「ニァ。わたしの、なまえ」
「……ニァっていうのか」
「うん。ね、しんいりなんでニァたすけた? ひとたすけるの? いぬは?」
「あー、その、」
腹を満たして元気が出たのか、ニァと名乗った少女はそこからいきなり新入りに四つん這いのまま近づくと鉄砲水のごとき質問の濁流を新入りに浴びせ始めた。
先ほどまで少女を身を挺して守っていた新入りは完全にリードを奪われ、要領を得ない返事が口から続く。
……くっつくニァをサヴァ・カーンが猫のように引き剥がしてやっと新入りは立ち上がる。
「話は変わるが先ほどの魔物の初撃、我には小娘を狙ったものではなく寧ろ新入りに振り下ろされたものに見えた」
「確かに。なんていうか、ニァごと追い払うっていうかニァから私を引きはがそうとしてた感じがした」
新入りに確認するようにバーバ・ヤーガは首を傾げるとカバンから焼け残った植物のツタを取り出す。
話に出てきた魔物……キッドが『大いなる花獣』と名付けたそれは凶暴ではあったものの、ニァに向かって丸太のようなツタを振り下ろしたり毒の花粉を浴びせるような真似はしなかったし彼女の側に近づこうとしなかったのだ。
新入りがニァを見つけた際も森の中にいるというのに、魔物は無防備な彼女に寄っていこうとはしなかった。
……まるでニァが傷つく事を恐れているかのように。
「それじゃあなんだ? このガキは魔物に襲われないっていうのか?」
「さて、どうだろうな」
「はなして」
「ぁあ、分かったって」
掴まれているのが嫌になったのかニァはじたばたと暴れだし、地面に降りるとすぐに新入りの後ろに隠れてしまう。
そのまま恨めしげなジト目で見上げてくるのでサヴァ・カーンは豪快に笑うと不意に真面目な顔になって四人とニァに向き直る。
「なんにせよ樹海の中に一人……こいつは放っておくわけにはいかねえな」
「見覚えがないとはいえ、この霊堂の手がかりになるやもしれぬ」
「オレちゃんもさんせーい!」
「連れて帰るのか……はぁ」
「うん」
堂々とした態度で当然のように頷くニァにキッドは呆れていたが、他の三人と同じくその目つきは少し柔らかくなっていた。
「……それじゃあ行くか、えっと、ニァ」
「しんいり、わかった」
新入りは後ろに引っ付いて離れないニァに照れながらも自分よりも幼い少女と手を繋いで、ニァは繋いだ傷の多い大きな手を何度も握り返していた。
あとがき
SQXのギルド『ミズガルズ実働隊』のプロローグ後編であり第一迷宮のお話だよ!
不思議だよね……こういうのって書き始めたときは2、3日で書けそうだったのに気が付いたら1万字越えてるし1週間経過してる……早筆になりたい。
もともとは新入りをもっとトゲトゲさせるプロットだったけどあまりにも和解の目処が立たなかったので早めに折れてもらった。 あんまりギスギスしても肝の樹海探索が進まないからね!
でもこれでやっとメインキャストがそろったので大手を振ってXで実働隊語りが出来るようになったよイエイ!
書いていて思ったことと言えば新入りの口下手で警戒心の強い所を台詞で再現しようとすると「あ、」から始まってしまう。コミュ障かわいいね…
警戒心が強くて責任感もあるけど攻められると弱いお姉ちゃん新入りと無口で世間知らずだけど大胆な幼女ニァちゃんをよろしくな!!!!あと他の奴も!