インターミッション
──レムリア王宮のホールに集められた文官の一人は、延々と続く壇上の研究者の話にあくびをした。 数年前から王国の科学者たちが着手していた『フェンリル』計画に進展があり、その発表の為に王国中の文官や軍人が集められたのだが……新技術がどうとか、環境がどうとか、自分とは関わりのない話ばかりで正直退屈で仕方がない。 だが、配布されたプログラム表によれば次の出し物で最後なので涙目を擦ってホールの中央ステージに目を向けた。 「それではご紹介しましょう──レムリア王国の技術の粋を集めた対人型万能兵器『フェンリル』です!」 計画の責任者である緑髪の科学者が高らかに宣言すると同時に赤いカーテンが上がり、一人の青年が現れた。 天井から吊るされたモニターに映る、背が高く体格の良い彼の手には翠の丸い宝玉がある。 「見えるでしょうか? 今、彼が持っている翠色の宝玉。これが『フェンリル』の本体《コア》です。非常に頑強、かつ軽量でどんな方でも使用可能です」 スポットライトに照られ宝石のように輝く宝玉自体は美しいものの、金銭的な価値は全く感じられず「それのどこが〝素晴らしい〟のだろう」と文官は鼻で笑う。 ……そんな会場の空気を読んだのか科学者は不意に口角をにぃっと上げた。 「この力の真髄は我々の用意した資料では分かりづらいかもしれません……ですので、皆さまにも今一度フェンリルの力をご覧入れましょう」 そう言って科学者は舞台袖に移動し、スポットライトが舞台中央の青年に集中する。 蒼い瞳の青年が数歩前へ歩み出ると、突然宝玉を空へ放り投げ──次の瞬間、宝玉から青白いエネルギーが水のようにほとばしる! 液体状のエネルギー体は宝玉を中心に弧を描き、青く輝く刃と金の翼の意匠が施された一振りの剣へと変形した! 刃と柄が回転しながら落ちてくる剣を青年は難なく掴み取り、会場から歓声が上がる。 「──今ご覧に入れたのが『フェンリル』の最大の特徴であるユグドラシル・エネルギーを使用した『変形』です」 ホールに響く科学者の解説をバックに、青年の持つ剣は更に変形を繰り返す。 剣は槍へ、槍は鎌へ、鎌は銃へ、銃は杖へ……。 青いガラスとよく似た見た目を基調とした武器が光り輝きながら舞う姿は観客の目を掴んで離さず、まるでダンスを踊っているかのような派手なパフォーマンスにあちこちから拍手が起こる。 「この『変形』は武器だけではなく様々な道具への変形も可能です。例えば調理器具、医療器具、連絡器具。どれも持ち主が使いやすいよう最適にカスタマイズされた状態で出力されます」 科学者の言葉通り、青年が宝玉を再度転がすと宝玉は丸いサッカーボールへと変形した。 青年がリフティングを開始するとサッカーボールは野球ボールへ、野球ボールはテニスボールへとまばたきすら許されない速度で宝玉は変形を繰り返す。 青白い皿をまるでトランプカードをシャッフルするように操り、その一つ一つが銀色に光るメスと化し、青年が両手で包み思いきり潰すと観客が悲鳴を上げる! ……だが開いた手のひらは無傷であり、中央には翠の宝玉がころんと転がっていた。 「このように安全装置も搭載済み。さぁ、続いては──おっと!」 その時、舞台袖から突如として武装集団がなだれ込んで来た! 驚きと恐怖からか会場が海鳴りのようなどよめきに包まれるが、科学者は「予想通り」といわんばかりに青年に目配せした。 彼女の合図と共に青年は宝玉を剣へと変形させて戦士たちを迎え撃つ! 綺羅びやかな剣は見た目だけではなくその性能も高く、青い線を描きながら剣先が相手の胴を切り裂き、鋭い槍をムチのようにしならせて数人の相手を薙ぎ払い、更には宝玉を巨大な大砲へと変形させて大立ち回りを繰り広げる! 最後の乱入者を刀で仕留め、青年が刀を翻すとエネルギー体が粒子となって空へ消え、残るのは翠の宝玉のみ。 華麗なる殺陣に会場中から拍手が響き渡るが、突然ステージに倒れる武装集団の一人が青白い液体に──『ユグドラシル』に変化する! 一体今度は何が起きているのか、と身を乗り出してステージやモニターを見つめる観客たちの前で青年はいたずらっぽい笑みを浮かべて人差し指を立てる。 そして彼は宝玉をまるでブドウでも食べるようにつまむと──宝玉を飲み込んだ! あっという間に喉仏が上下し、青年の体は生物の色からユグドラシルの色へと変わり、水しぶきを上げながら〝元の姿〟へと戻る。 そのまま乱入者たちがユグドラシルと混ざり合い、天井に届きそうなほど大きな渦を形成し──壇上に残されたのは金色の細い台座の上に鎮座した〝蒼翠の宝玉〟だった。 「さて──これが、万能型対人兵器『フェンリル』の力です。いかがだったでしょうか?」 音楽が止まると同時に会場だけでなく、中継中のテレビの前からもはち切れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。
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……磁軸を抜けた先に広がっていた景色は霊堂のものとは違う、明るい翠緑と木漏れ日に溢れた森だった。 オルヴェたちの眼前に広がる光景は霊堂の欠片もないほど自然と緑で埋め尽くされており、聞こえる鳥の声も匂いすら完全に霊堂とは別物である。 離島とはいえ僅か数キロ程度しか離れていないはずの場所なのに、ここまでの変貌ぶりに冒険者たちは言葉を失うしかなかった。 「枝分かれした低木、幹が膨らんだ樹木……間違いない」 「これって『|碧照ノ樹海《へきしょうのじゅかい》』だよな?」 オルヴェやエドの故郷がある西の街『タルシス』。 そこから北に広がる大草原を進むと辿り着く巨大なバオバブ群が乱立する緑と泉の迷宮──それが『碧照ノ樹海』だ。 幼い頃から聞かされていた冒険の舞台へ今、自分たちは足を踏み入れているのだ。 オルヴェとエドは子供みたいに目を輝かせながら大はしゃぎで走り回り、ヴィーザルとイリスも控えめながら一変した植生に興味を示す。 「話で聞いた通りの迷宮ですね……すごい」 「ああ……! でも何でタルシスじゃないのにあるんだろう?」 「よね。あなたたちの話を聞く限りだとほぼ同じ景色なんでしょ?」 対してアリシアが周囲を見渡しながら興味深そうに唸って、首を傾げて問いかけてきたのでオルヴェはその通りだと胸を張った。 ……とはいえ、実物を見た事はないので大体でしか答えられなかったが。 「とにかく似てるのは分かった。どんな魔物がいる」 「えーっと、森ネズミだろバッタだろ……あとそれから」 覚えている魔物を指折り数え水を得た魚の如く喋りまくるオルヴェの話を聞きながら、ヴィーザルを筆頭に冒険者たちは各々武器を手に取って歩み出す。 ……我らがリーダーが言っているような魔物の影や気配は今のところ皆無、だが樹海に足を踏み入れた以上いつどこで何が襲ってくるか分からない。 自分の世界に入って樹海の知識を熱弁していたオルヴェも、歩き出した仲間に気がつくとすぐに足をもつれさせながら駆け出そうとする。 「マスター、碧照ノ樹海とは?」 「え?」 ──腰に差していたベータの問いかけはオルヴェだけではなく、先を進んでいた冒険者たちの足を絡め取ってその場に釘付けにした。 「私のデータベースにそのような樹海群は登録されていません。……そもそもこのレムリア島にはここまで大規模な樹海は存在しません」 「どういうことだ? お前には見えていないのか?」 突然意味不明な事を言い出したベータをオルヴェは眉をひそめて握りしめてやる。 ……ベータは勝手に自分の視界を覗き見しているのだから、こうしてやれば眼前に広がる碧照ノ樹海がよく見えるはずだ。 オルヴェが樹海の景色を見せつけるようにベータを構えて歩く度に短い電子音と考え込むような長い沈黙が続き、やがてベータはどこか頭を振るように困惑した声を上げた。 「恐らくですが、私が眠っている間に島の生態系が大きく変化したようです。警戒を怠らないで下さい、マスター」 ベータはゆっくりと、しかし所々押し黙り、言い淀みながら言葉を紡ぐ。 「ベータさんって何年眠ってたの……?」 「現時点では不明です」 イリスの問いかけにそれだけ答えると、もう話す事はないとベータは再度沈黙する。 まるで信じたくない事実を無理矢理飲み込んで、吐きそうになりながら喋っているようで、気がつけばオルヴェは膨らませていた頬をしぼませ真剣な眼差しで周囲とベータを見渡した。 ……樹海に生えるバオバブがパーティで一番背が高いオルヴェの何十倍もの大きさになるまで一体どれだけの時間が必要なのだろうか。 それも、一本だけではなく数え切れないほど。 「き、君たちどこから来たんだ⁉」 「わっ⁉ 誰!」 不意に響いた葉擦れの音と大声に思わずオルヴェはベータの切っ先を声の方へ振るい、イリスは悲鳴を上げて跳ねながら槍を構える。 ……振り向いた先にいたのはマギニアの腕章を着けた衛兵だった。 衛兵は突然現れたアルゴノーツと赤く輝く樹海磁軸を交互に見つめながら口をパクパクさせる。 まるで幽霊でも見たような、剣を抜くどころか今にも腰を抜かしそうな衛兵の様子にアリシアは脱力すると黙って星術器の電源を落として前へ歩み出た。 「私たちはギルド『アルゴノーツ』の冒険者でして──」
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「──なるほど、君たちが司令部から連絡のあった例の冒険者ギルド……」 「はい! オレはオルヴェ、ギルド『アルゴノーツ』のリーダーです! それでこっちはオレの大事な友達です!」 「ちょっとオルヴェくん、恥ずかしいよぉ!」 「ふふ、随分と仲が良いようじゃないか」 大困惑しながら驚く衛兵にアリシアたちは司令部の命令で樹海磁軸を起動した事、それに触れてこの島に飛んだ事を告げた。 ……本当に夢や妄想だとしてもあまりにバカバカしく信じがたい荒唐無稽なストーリーだな、とアリシアは心の中で自嘲した。 最初はホラ話みたいな本当の話に石化したように目と口をあんぐりと開けて固まっていた衛兵だったが、司令部からの命令や樹海磁軸という単語には覚えがあったらしく今は抜けた腰をはめ直し司令部から受けていた指示通り樹海に現れたアルゴノーツをベースキャンプまで送り届けていた。 ……どうやらあの場所は〝本物の〟碧照ノ樹海ではなかったらしく、少し進むと前の島でも見たような葉の茂った木々の小道が現れる。 「君たちが樹海磁軸を繋げてくれたお陰でわざわざ小型船でこの島に渡る必要がなくなりそうで助かるよ」 「いやぁ! 聖剣の勇者のオレにとっちゃ人助けなんて当然の仕事だぜ」 「はいはい聖剣の勇者勇者」 「えへへ!」 「……だとして、なぜ俺たちを最初に見た時あんなに驚いてたんだ?」 歩きながら無邪気に喜ぶイリスとは対照的にヴィーザルは少し離れた位置から衛兵に言葉を投げかけた。 目つきの悪いアーモンド色の瞳に睨まれた衛兵だったが、特に気にする事もなく頭の中から記憶を取り出すように指先をくるくる回していた。 「ああ、君たちが転送された樹海……碧照ノ樹海の探索前に必ず冒険者はベースキャンプで記録を取るからだ」 「記録?」 「どこのギルドなのか、何名なのか、代表者は誰なのか……この島と本拠地は距離があるからな、不慮の事態の保険や救助活動を効率的に行うために必要だったんだ」 それも樹海磁軸の開通でいらなくなりそうだ、と衛兵はまた日が高いのにまるで仕事終わりのように腕と背を伸ばし肩を回して気持ちよさそうな声を上げる。 相当雑務に堪えていた様子の衛兵にイリスたちはつい吹き出してしまった。 暢気な衛兵と雑談を続けているうちにほとんど樹海の中と変わらないあぜ道は段々と小石や茂みが取り除かれ整備された道に変わってゆき、やがて開けた草原が現れる。 駆け足で近づくと丸太で作られた小屋や切り株の間に沢山の衛兵や冒険者たちが集う広場が見える。 空に立ち上る煙と漂ってくる香ばしい匂い、商店街か酒場かと思うような喧騒と人気。 レムリア島に来てまだ一月も経っていない、しかも樹海の一角だというのにほとんど街と変わらない人間の営みにオルヴェたちは息を呑んだ。 「着いたぞ、アルゴノーツ。ここがベースキャンプ……『|幽寂ノ孤島《ゆうじゃくのことう》』攻略の最前線だ」
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「碧照ノ樹海までの道、教えてもらったわよ……って何食べてるの」 「いやぁ、美味しそうな匂いがしたからつい! アリシアも食べるか?」 「はぁ⁉ 湖の貴婦人亭で朝ご飯食べてまだ一時間も経ってないのよ⁉」 冒険者用のテントで手続きを終えたアリシアが見たのは鍋を囲って暢気に食べ物を頬張っているオルヴェの姿だった。 「ずいっ」と無造作に差し出された木皿には焼きたての肉や瑞々しい果物が粗雑に盛り付けられており、アリシアは下まぶたをひくつかせた。 ……さっき自分が代表して衛兵の詰め所で手続きを済ませてきたのだが、その間にもこの少年は何か食べていたのだろうか。 「あのねぇ、私たち遠足に行くわけじゃないの。探索前にご飯食べすぎて、魔物から逃げ切れなくても知らないわよ? ……ほら汚れてるし」 「逃げ切れるし! ん、ありがと」 「アリシアちゃんやさし〜」 「もぅ、からかわないでよ」 頭痛と眩暈がしてきた頭を振り、アリシアは無駄に自信満々な幼なじみの返答をあしらいながら頬に付いた食べかすを拭ってやる。 ……自分が何を言っていたのかも忘れて脳天気に感謝してくる少年を見ているとなんだか毒気を抜かれてしまいそうだ。 「バカやってないで行くぞ」 「わーったよ」 先に食べ終えたヴィーザルにつま先で背中を小突かれオルヴェは「むぅ」と鳴くと、皿の上に乗せられた大きめのステーキとそこら辺の草らしき炒め物を胃袋に詰め込んで立ち上がった。 別の冒険者が連れている動物と触れ合うイリスや食べ物を買い込んでいたエドを回収し衛兵から教えてもらった通りに、というより先駆者たちの手で歩きやすく踏みならされ、整備された道を進んでいると碧照ノ樹海特有の植物群が見えてきた。 今度こそ〝本物の〟碧照ノ樹海に足を踏み入れたのだ。 パッと見、磁軸周りの森と差はないが足元の踏み固められた草の道と樹海特有の〝誰かに見られている〟感覚が防具やマフラーの奥にある柔肌へ突き刺さる。 まるで巨人の胃袋に自ら入るような未知への恐怖と期待に身体を震わせながら、新米冒険者たちは真っ白な羊皮紙に筆を走らせていた。 「ベータ! ここも見覚えないのか?」 「はい、データベースに該当なしです」 「そうかぁ……」 一応取り出したベータに周囲を見せてやったが反応は変わらず、オルヴェは項垂れてベータの切っ先をくるくると回す。 ガラスのような光沢のある刃に映る自分も心なしか落ち込んだ表情をしており、そんな自分の頬っ面を叩き胸の中に溜まった重い空気を鼻から吐き出してベータを見上げた。 「心配すんな! ベータの記憶も必ずどこかにあるはずだ!」 「はぁ」 「よーし! これからがオレたちアルゴノーツの伝説の始まりだ! 気を引き締めていくぞ、ヴィーザル! ……ヴィーザル?」 決めポーズを取りながらベータを片手に駆け出そうとしたオルヴェは踏み出した足を空中で止める。 ……親友ヴィーザルの返事がなかった。 普段ならやる気なさげに答えてくれるか肩を軽く小突いてくるのに。 何かあったのか、と振り向くとヴィーザルは重鎧を身に纏った褐色肌の大男に押しつぶされて地面にひっくり返っていた。 「ヴィーーザーーーール⁉」 「うぉぉ⁉ いっけねぇ! 大丈夫か⁉」 「オリバー持ち上げすぎだ! 首が、首っ!」 オルヴェと『オリバー』と呼ばれた大男は同時に絶叫しヴィーザルを揺さぶり起こす! 重鎧の大男に潰された上に大慌ての男たちに振り回されるヴィーザルの顔色はだんだんと青から土気色に変化し、大男の傍にいたメガネの優男が大慌てでヴィーザルを取り上げて素早く地面へ下ろした! 「げほっ……」 「わ゛ーん‼ ゔーぢゃんがぁぁぁっ‼」 解放されて咳き込むヴィーザルの傍で泣きじゃくるイリス、二人を庇うようにアリシアとエドは間に入ると謎の冒険者を睨みつける。 「大丈夫かヴィーザル⁉ 一体誰なんだお前ら! オレの仲間に何しやがる!」 「本当に悪かったって! だから落ち着けってほら!」 そしてオルヴェはオリバーと呼ばれた大男に飛びかかりまるで子犬のように首の後ろを掴まれ空中でじたばたと暴れ回っていた。 今のところ敵意らしきものは感じられないが、いつ気が変わって武器を抜くのか分からない。 平和に解決するなら止めるべきだろうが流石に友達を潰されても笑って許せるほどエドもアリシアも穏健派でも冷静でも大人でもないのだ。 「うおぉぉおお! ヴィーザルの仇だ……あれ?」 仲間の敵討ちだと不安定な体勢で暴れていたオルヴェの頭上が不意に暗くなる。 魔物かと思った影の正体は視界一面に広がったのは深い紺碧の夜空だった。 ──突然すぎて、オルヴェには一体何が起きたのか分からず、胸の中を支配していた怒りの矛先があやふやになってしまう。 「ふぅ、君も落ち着いたみたいだね」 「えっと、誰だ?」 目の前に広がる夜空に困惑していると、その闇の中から先ほどのメガネを掛けた青年が困り顔で出てきた。 よく見れば肩にはアリシアと同じ星術器らしき銀色の機械を背負い、着用しているローブにも金や銀の星模様が刺繍されている。 妙に心癒される夜空はメガネの青年の手のひらから出ているらしく、集められた青や緑の光を放つエーテルがコーヒーに入れたミルクのように溶けて墨色の靄に変換される様はアリシアにも見せてもらった事のない不思議な光景だった。 「改めてウチの連れがすまなかった。僕は占星術師《ゾディアック》のマルコ、そしてこっちが相棒で聖騎士《パラディン》のオリバーさ」 『マルコ』は子供っぽく口を開けて星術を見入るオルヴェに安堵するように頷き、肩の星術器を操作して視界を覆っていた黒い闇をカーテンのようにサッと閉じた。 ……そして青空の広がる頭上から『オリバー』という名前の大男がニッコリと歯を見せて親指を立てた。 「いやぁ、まさか俺も探索早々後輩を撥ねるとは思ってなくてな!」 「……」 「すまない」と、オリバーが手を伸ばしたがヴィーザルはぷいとそっぽを向いてオルヴェの方へ駆け寄った。 「あっヴィーザル! ……コイツ結構気難しくて、気を悪くしないでほしいな」 「まぁ、いざ探索! って時にこんな目に遭ったら誰だってビックリするさ」 「そうそう!出鼻をくじかれると落ち込むよなぁ」 「……君のことだよ、オリバー」 「……それもそうか!」 コントを繰り広げるも未だ恨みがましい光を堪えたアーモンド色の瞳にオリバーとマルコは困り眉になりながらも、改めて冒険者たちに自己紹介をした。 ……オリバーとマルコと名乗った二人組の男はオルヴェたちと同様に冒険者であり、しかも碧照ノ樹海の最前線をたった二人で行く熟練者だったのだ。 最初はヴィーザルに渾身のタックルをお見舞いされたのもあって、この二人組を警戒していたオルヴェたちだったがマルコの弁明と大きな身体をできるだけ小さく丸めて必死に謝ってくるオリバーの少し愉快な姿に少しずつ心を開いていった。 ……ヴィーザル以外は。 「ったく、ヴィーザルもいい加減機嫌直せよな~」 「ごめんなさいねオリバーさん、マルコさん。彼もへそを曲げてるだけだから気にしないでいいわよ」 「お詫びになるかは分からないけれど君たちの探索を手伝わせてもらえないかな」 「えっ?」 予想外の発言に目を丸くしたアリシアにマルコがニコリと笑みを浮かべてみせる。 「見たところ、君たち新人さんみたいだし僕たちの知識が役に立つかもしれない」 「勿論探索で出た素材は全部お前たちが持って帰ってくれていいからな! ……実のところ、今俺たち持ち合わせがなくてな」 後頭部を掻きながらオリバーは少し恥ずかしそうな小声で呟くとわざとらしくウインクする。 大の大人渾身の茶目っ気にマルコは肩を震わせて吹き出し、オリバーはわざとらしく咳払いするとアルゴノーツの面々にちらりと目配せした。 「『ダークエーテル』を使う力量に素材は全部こちらの取り分……ま、悪くはない条件ね」 「ダークエーテルって?」 「さっきの暗い影よ、大気中のエーテルを操作して擬似的な……要は精神安定効果が見込める技よ」 無言の視線に促され、オルヴェたちは二人から少し離れた場所でモルモットのように引っ付いて集まると相談し始めた。 ……アリシアの分析によればマルコは(現時点では)彼女以上に〝手慣れ〟の占星術師であり、オリバーの方も未知数であるがそれなりに体躯のいいヴィーザルを簡単に吹っ飛ばせる男だ。 戦力としては十分だろう。 「そんなに凄腕なら是非よろしく──」 「嫌だ」 「ええっ⁉」 ヴィーザルは青い目を見開いて驚くオルヴェの耳を思いきり掴むとそのまま後ろへと引っ張って連れて行く。 痛がるオルヴェを連れて全員から少し離れた位置にやって来たヴィーザルは自分を困惑気味に見上げてくる親友に小声で囁いた。 「見た感じ、あいつらの装備はそれなりに高級品だ。手入れも手間がかかるし、メガネの方の器具は占星術ギルド支給の試作品だぞ」 「え、どういうこと?」 「金持ってないなんてウソっぱちだよ。どういうつもりかは知らねぇけど人にぶつかっておいて節約しようだなんてどういう魂胆してんだ」 遠くにいるオリバーとマルコを睨みつけながらヴィーザルは吐き捨てる。 賞金稼ぎであるヴィーザルの言葉を確かめる為にオルヴェも彼らをそっと観察してみたが、確かによく見れば細かい装飾や複雑そうな機構はどこか高級感がある。 ……少なくともそれなりの金は持っているようだ。 「うーん……でもいいんじゃないのか? ついてきてもらっても、オレたちもこの樹海のことよく分かんないんだし」 「はぁ⁉」 「頼む! この通り! この埋め合わせは後でちゃんとするからさ!」 三秒ほど悩んであっさり言いきったオルヴェにヴィーザルは信じられないと言わんばかりに盛大にため息を吹きかけて頭を振った。 ……確かにヴィーザルの怒りも分からなくもない、パーティメンバー以外の人間に対して警戒心の強い彼の事なら尚更だ。 だがオリバーとマルコも反省しているようだし、それに先輩冒険者の手助けをタダで受けられるというのなら話は別だ。 お金がないと言ったのも何か事情があるのかもしれないし、それならお金に見合うだけ働いてもらえばいいだろう。 「……ぁあ分かったよ、クソッ!」 「よし! 後でなにか奢るから気分直してくれよ、ヴィーザル! ──あいてっ」 ヴィーザルはしばらく振り上げた拳を震わせていたが、やがて拳を緩めて自分の髪をかき上げた。 ……両手を合わせて懇願していたオルヴェの表情がパアッと明るくなって青い目がキラキラと輝く。 そして、「ありがとう!」と今にも飛びついてきそうな緑髪の少年に向かってヴィーザルは先手を打ってデコピンしてやった。 ……真面目なエドがすぐに叱ってくるが、オーバーリアクションで情けない悲鳴を上げる親友に少しだけ胸の中がちょっと黒く爽やかなもので満たされる。 「てなわけで、よろしくな! オリバー、マルコ!」 「おう、頼むぜ! ところでお前たちの名前は? まだ聞いてなかったな」 「オレはオルヴェ! そしてこっちはオレのギルド『アルゴノーツ』の仲間たちで──!」 オルヴェの言葉を聞いたオリバーとマルコは嬉しそうに破顔し、伸ばされたオルヴェの手のひらをしっかりと握りしめた。
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逃げようとする森ネズミの頭蓋を槍が貫き脳混じりの鮮血が若草の上に飛び散る。 飛び出してきた魔物との戦闘を終え、イリスは深く息を吐くと力を込めて槍を引き抜いた。 「──っオルヴェくん! 大丈夫⁉」 「へ、平気平気……」 イリスが不安そうに見つめる中、茂みの中からオルヴェは勢いよく立ち上がり葉っぱや枝やクモの巣を払いながら仲間たちの方へ戻った。 「マスター、私を離したくないのは分かりますがそのせいで怪我しては元も子もないと思います」 「知ってるってば! でもあいつら力入れて斬らないと刃が通らないんだよ!」 「剣技は力だけではありません、相手の筋骨格に沿って斬りつければ現在の半分以下の力で無力化できます」 「筋骨格ってなんだよ!」 「それに渡しから手を離して負傷しても意識が無くなるので痛みは感じませんし、マスターならバラバラになっても治療可能ですよ」 「うげぇ……なんてこと言うんだよお前……」 相変わらずベータ特有の切れ味鋭い言葉が飛んできて、オルヴェは口を尖らせて反論する。 あのバッタの硬さをベータも身を以て経験しているのにこの冷たい態度は一体どういうつもりなのか。 「オルヴェ! まーた、武器ごと投げられちまったか!」 「咄嗟に武器を手放すのは難しいけど、ああいう風に相手に刺さった時は手を離した方が安全だよ。仲間がいる状況ならリスクも少なく済むからね」 「あー、分かってるけど……」 先ほどの戦いを見ていたオリバーとマルコもオルヴェの肩を叩いて励ましてくれているが、オルヴェはチラリと沈黙した剣を横目で見てため息をついた。 (〝武器から手を放す〟……普通ならそれが一番なんだろうけど今のオレはなぁ) ……碧照ノ樹海に生息する魔物は東土ノ霊堂と比べて桁違いの強さを持っていた。 同行しているマルコからこの迷宮は東土ノ霊堂があった島『はじまり島』の魔物と同じと思うなと忠告通り、エドのガード越しでも衝撃を感じるバッタの強烈な脚撃や、苦手な虫かつ集中力をかき乱す羽音を放つアリシアの天敵シンリンチョウ。 馬車くらいはありそうな狒々に奇襲されたあげく、ヴィーザルの投刃を弾かれた時は正直オルヴェも肝が冷えた。 だが先日の守護獣との戦闘や長年の友人付き合いで培った連携能力もあってか、なんとか太刀打ちできたし本当に危ない時はオリバーとマルコが助けてくれた。 ……例えばオルヴェが何を血迷ったのか自信満々に巨大な熊に突撃しようとした時に強制確保してくれたり! 「ベータ、お前もあのキラキラするヤツ出し渋るなよ!」 「キラキラ……『残影』ですね。あれの発動は持ち主の資質によるもので私は補助に過ぎません。単なる知識と練習不足かと」 しかし、東土ノ霊堂の時と違うのはオルヴェの残影が全く出てこない事だった。 「だ、大丈夫だよオルヴェくん! そのうちできるようになるって!」 ムキになるオルヴェと宥めるイリス、そして淡々と痛いところを突き続けるベータ。 ……オリバーとマルコの前では喋らないくせに、こうやって仲間だけになった途端あれこれ文句をつけてくるのだからオルヴェからしてみたら溜まったものじゃない。 相も変わらず場所を選ばず言い争う彼らの姿にアリシアたちも少し慣れてきたが、やはり頭痛の種である事に代わりはない。 「……私たち、ちゃんと世界樹の麓に辿り着けるかしら」 「アリシアちゃん大丈夫、きっとなるようになりますよ。ほら」 「ん」 頭を悩ませるアリシアとは対照的にまるで子供の喧嘩でも眺めているかのように落ち着いたエドに小休止のコーヒーを勧められありがたくカップを受け取る。 先程まで内部で羽音が反響していた頭を癒すようにゆっくりと黒い飲料と小休止を味わいながら、アリシアは改めて碧照ノ樹海の美しい木々を眺めていた。 戻ってきたオルヴェとイリスたちも温かいコーヒーを受け取り、岩の上やら小綺麗そうな草地の上に腰掛けて同じように周囲の景色と小休止を楽しむ。 「強くなるなら毎日特訓しろっておじいちゃんが言ってたし、オルヴェくんもわたしと一緒に特訓する?」 「うぐぐ……やっぱそれしかないのか……?」 「ま、ベータの話もあながち間違っちゃいないだろ」 「えーーっ‼ ヴィーザルまでベータの肩持つのか⁉」 オルヴェは突然親友に背中を撃たれ、大慌てでヴィーザルにしがみついたが、そんな彼に向かってヴィーザルは脳天に手刀を叩き込んで引っ剥がす。 「てめぇだってアイツらの肩持っただろ」 「あ、あれは別件だろ!」 「さっきは励ましてもらってたし」 「ぐ……ベータを手放せないのはお前も知ってるくせに」 ヴィーザルが少し意地の悪い笑みを浮かべながら先ほどのオリバーとマルコの件を引き合いに出してやると、流石に能天気なオルヴェも図星を突かれて堪えたのか眉をひそめ目を逸らそうとする。 「マスター、中立的な観点の私から申し上げると本件も大して変わらないかと」 「ちょっ!」 「どうするオルヴェ? たまには労ってくれてもいいんだぜ? ほら!」 「わはははっ! マジでやめろってぇ!」 ベータからも鞘越しに追いうちされ涙目になるオルヴェ、その両肩を掴んでヴィーザルは先ほどの仕返しだと言わんばかりに鎧の隙間に手を突っ込んでくすぐった! 「あの二人、大丈夫かなぁ……?」 「ふふっ、オルヴェくんとヴィーザルくんがいつもやるみたいにベータさんともすぐに仲良しに戻れますよ」 「全く……あの二人はふざけるといつもああなんだから」 悲鳴を上げるオルヴェとのじゃれ合いを心配そうに見守るイリスに、エドはあっけらかんとした様子で答えると、悲鳴を上げるオルヴェを指差す。 ……アリシアはオレンジの瞳を半目にして冷たい視線で顔を真っ赤にして遊ぶ幼なじみ二人の姿を凝視していた。 「君たち、そろそろ出発するかい?」 「うおっ⁉」 「仲が良いことは素晴らしいことだ! 友達は大事にしろよ?」 不意に頭上から影が差し、急に話しかけられたヴィーザルは肩を跳ねさせる。 喉から心臓が飛び出そうなくらい驚きながらも声の方に目を向けると、いつの間にか近くにいたマルコがこちらを見下ろしていたのだ。 ヴィーザルの下にいるのは二人がかりでくすぐられまくったお陰で全身汗だくで赤くなっているオルヴェだし、よく見ればベータも我関せずという風に沈黙していた。 ……逆光でメガネを光らせたままマルコは静かに佇んでいる。その表情から、何を考えているのか窺い知る事はできなかった。 石化したように微動だにせず沈黙しているヴィーザルにオリバーは頷くとぐったりしているオルヴェを起こして、寄ってきたエドに渡してやった。 あまりはしゃぐと体力がなくなるぞとだけ忠告し、オリバーとマルコはこれまでで一番温かい目で新米冒険者たちに微笑みかけると普段と変わらない足取りで先への道を促してきた。 「……じゃあ、行くか」 「オレ、穴があったら今すぐ入りたい」 ……先ほどの一件でアルゴノーツの空気は微妙なものになっていた。 いつもは無駄に元気なオルヴェも恥ずかしいやら情けないやらですっかり意気消沈したらしく、俯いたまま赤いマントにくるまって歩いている。 ……なんだか大きなコウモリみたいで少し可愛いなと、アリシアは不貞腐れたオルヴェをチラチラ見ながら思った。 「シャベルになりましょうか、マスター」 「うぅ……もういい」 ベータの皮肉にも今のオルヴェには言い返す元気がない。 折角聖剣に選ばれた勇者としてカッコよく振る舞おうとした矢先にとんでもないものを見られてしまった今、オルヴェは一刻も早くこの醜態を挽回したい気持ちでいっぱいだった。 何でもいいから魔物の一匹でも飛び出してきてくれないかと願いながら、オルヴェたちは樹海の奥へと進んでいった。
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「……あ! もうすぐ地図完成しそうだね!」 「お、本当だ!」 「僕たちって今日一日でこんなに探索したんですね」 その後も探索と戦闘を繰り返し碧照ノ樹海がオレンジと赤に染まり始めた頃、地図を覗き込んでいたイリスが不意に明るい声を上げる。 探索当初は真っ白だった羊皮紙の上にはオルヴェが描いた地図や仲間たちのコメントで埋め尽くされておりもうほとんど完成していたのだ。 「あと少しだから、そこまで描いて終わりにしない?」 「さんせーい!」 「オリバーさんとマルコさんにも見てもらいましょうよ!」 後ろから着いて来ていたオリバーとマルコを手招きし地図を見せると彼らもここまで早く描けるとは思っていなかったらしく、大層驚きつつまるで自分事のように喜びをあらわにした。 最後まで描いてから帰りたい旨を伝えると快く了承してくれたが、最後の広間に足を踏み入れるとマルコが少し寂しそうに声をかけてきた。 ……彼が指さす泉の対岸には下層へと続く階段があった。 「君たちは十分強くなった、ここから先は僕たちなしでもきっと大丈夫だよ」 「最初見た時はちょいと心配だったが、杞憂に済んでよかったぜ」 「どういう意味だよ~!」 別れの寂しさを吹き飛ばすような軽口を叩くオリバーにオルヴェがちょっと不貞腐れ気味に言い返し、その光景をマルコや仲間たちが微笑ましく見守る。 夕暮れの樹海の中で和気藹々とした雰囲気が流れていた……はずだった。 「不明な生命反応が二つ、こちらに向かってきます!」 「っ⁉」 突然ベータが警告を発し、直後に階段の下から鉄を叩きつけるような轟音が響き渡る! 魔物かと一行が身構えた瞬間、階段から飛び出してきたのは大怪我を負った血塗れの衛兵だった。 「うわあっ⁉」 「たっ、助けてくれっ‼」 負傷を省みず必死に登ってきたのだろう、血まみれの衛兵は駆け抜けた勢いのまま背負っていた別の衛兵ごとオルヴェたちの前に倒れ込んだ。 全身で息をするほど傷だらけの衛兵の鎧はあちこち砕けており、右の足に至っては紫色に腫れ上がり筋繊維と浮き出た血管が激しい痙攣を繰り返すグロテスクな光景に喉の奥からすっぱいものがこみあげてくる。 オリバーとマルコは立ちすくむオルヴェたちを押し退け衛兵たちの元へ駆け寄るとメディカや包帯を片手にすぐさま介抱し始めた。 「大丈夫か⁉ 何があった!」 「ぅう、『赤毛の、怪物』だ……‼」 「怪物……⁉」 意識のある衛兵もオリバーの呼びかけに必死に応答しようとしているようだが、肺がやられたらしく激痛から来るうめき声と血混じりの咳のせいでマトモな受け答えにならない。 「わ、わたしたちも手当を──っ!」 「イリス⁉」 「どうした⁉ ……っ!」 先ほどまで平和で静かだった緑の樹海は一瞬のうちに赤黒い鮮血に彩られた惨状へと変貌した。 最初に我に返ったイリスは首とおさげをぶんぶん振り回してすぐにオリバーたちがまだ診ていない衛兵に駆け寄り──息を呑んだ。 助けを求めてきた衛兵の応急処置を終えたマルコがイリスの方へすっ飛んできたが、血溜まりに倒れて微動だにしない衛兵を見るなりメガネ越しの眉間に険しいシワを寄せる。 「……この人はすぐに運ばないとマズい」 「アルゴノーツ。俺たちは衛兵を連れてベースキャンプに戻る、お前らも用心しろよ!」 オリバーは意識のない衛兵を背負って立ち上がり、マルコは動ける衛兵に肩を貸して『星体観測』を発動する。 「魔物の反応は無し……オリバー、急ごう!」 「! オレもついて──」 オルヴェが飛び出そうとするとオリバーの大きな手のひらが彼の頭をぐっと押さえた。 少年を見下ろすオリバーは赤黒い液体の付いた顔を軽く拭い、ゆるく首を左右に振り笑顔を浮かべる。 その表情は最初に出会ったときのような豪快で快活な破顔ではない。 強く閉じた真一文字の口から同行を許可する言葉は絶対出ないだろうし、三白眼の瞳に宿る強い意志は生半可な覚悟を許さないだろう。 ……しかし、厳しい表情とは裏腹に頭に乗せられた手の動きがずっと優しい事にオルヴェは気がついた。 「大丈夫だ、コイツのことは俺たちが責任を持って送り届ける。だからお前らは気にせず探索を進めてくれ」 「……うん」 「分かりました。二人とも気をつけて!」 オルヴェが小さく頷くと、そのまま二人は再度手を振って出口に向かって走って行く。 ……残されたのは異様な静けさと錆鉄のような饐えた臭気だった。 「……多分、あの人もう」 「っ……」 アルゴノーツが階段前で呆然としていると、イリスが可愛らしい声のままぽつりと言葉を漏らす。 あの人、とは恐らく背負われていた方の衛兵だろう。 丸っこいオレンジの瞳は夕日に照らされぼんやりと輝き、彼女らしくない冷徹な視線が衛兵たちが進んだ茂みを黙って見つめていた。 「……おいイリス、オルヴェの前で」 「! ご、ごめんね……オルヴェくん」 「いいよ、オレは大丈夫だから」 誰も……それ以上何も言わなかった。さっきまでここで倒れていた衛兵の紫色の唇や土気色の肌、濁った白の眼球と動かない胸、温もりが今も忘れられない。 「この下に一体何がいるんだ……?」 胸の奥底で湧き出した〝それ〟を絞り出すように溢れたオルヴェの言葉に誰も、ベータも、何も答えなかった。 ──答えを持ち合わせていなかった。
あとがき
『ラグナロクの覇者』の第五話だよ!今回は『幽寂ノ孤島』到達〜第二迷宮『碧照ノ樹海』1F降り階段前イベントまで。 第二迷宮『碧照ノ樹海』編は最近書いたのもあって、旧バージョンと比べ大きな展開の変更はありませんが、誤字脱字や表記ゆれ・ミスの修正、オルヴェの設定変更に伴うシーンの書き直しを重点的に行いました。 今回の話も旧バージョンでは一話に収めていた所を分割して再構成しています。 そんな第五話ですが、オルヴェたちは豪快なパラディンのオリバーとブレイン担当のゾディアックのマルコの二人旅冒険者と出会います。 (私も世界樹の迷宮二人旅は何度かプレイしたことがありますが、パラディンゾディアック二人旅はまだやったことないですね) 酸いも甘いも噛み分けた先輩冒険者の二人なので無鉄砲だけど素直なオルヴェに樹海探索のコツや厳しさ、そして楽しさを教えてくれる役回りになりました。 原作でもステーキを焼いてくれたり、ボイスで大騒ぎしたりと愉快な奴らだったので明るい仲良しPTであるアルゴノーツとの相性もバッチリで、オリバーとマルコとオルヴェとヴィーザル周りのやり取りは書いていて結構楽しかったです。わちゃわちゃ。 オリバーは公式でお兄ちゃん属性持ちなので先輩・お兄ちゃんムーヴも実に良い。 オルヴェも犬系後輩の素質があるので危ないところに特攻しそうになったら首根っこ掴まれて止められてそうとか、劇中にもあった通り負傷した衛兵イベントが個人的にはお気に入りです。 十人十色の反応を見せるアルゴノーツと頼れる大人ムーヴを見せつけるオリマルコンビ! ……強いて言うならメインが男ばっかりになったのでなんかむさ苦しいシチュエーションになってしまいましたね。 花はどこ…ここ?